黒揚羽
Target --030
やはり、家主の居ない家に上がらせてもらうと言うのは、たとえ許可を貰っているとは言え居心地の良い物ではない。
少し躊躇いながらも、紅はツナの家に足を踏み入れた。
磨き上げられた黒い靴がきちんと整頓されている様は、見ていて何だか面白い。
あんな、明らかに一般市民ではない格好の彼らでも、ちゃんと一般教養は持ち合わせているらしかった。
尤も、それは紅がイタリアで口をすっぱくした成果とも言える。
ツナを待つ前に、一度リボーンに会った方がいいだろう。
そう判断すると、紅は彼が居るであろう階上へと向かうべく階段に足をかけた。
一段一段上っていくごとに、開かれている扉から漏れる声が彼女の耳に届く。
初めのうちこそただの音として入り込んできていたそれは、いつしか声となり、そして言葉となった。
再会を喜んでいるらしいディーノの明るい声に、紅は自然と頬が緩んでいくのを自覚する。
最後の一段を上り、何度か入らせてもらったことのあるツナの部屋のドアを見た。
薄く開かれた扉を通れる程度に開きなおし、室内の様子を視界に映す。
と同時に、彼女は額に手をやって「はぁ」と溜め息を吐き出した。
「わざわざこんな物まで運び込まなくても…」
呆れを通り越し、笑いがこみ上げてくる。
苦笑を浮かべる彼女に、ディーノやリボーンよりも先にドアの両脇の壁を陣取っていた彼らが口を開いた。
「甘いぜ、紅!」
「ボスたる者、常に一家の主らしくないとな!」
「その結果が…これ?」
ぐっと拳を握ってくれた彼らには悪いが、正直その考えは素直に同意できない。
まだ自分がマフィアと言う物を深く理解できていないのだろうか…とも思うが、それ以前の問題のようにも思える。
紅は、大きくて黒い革張りの椅子に腰掛けるディーノを、どこか遠い目で見つめた。
誰も違和感を覚えないとなると、自分がおかしいのだろうかと思えてくるから不思議だ。
反応に困った紅は、とりあえず「ツナを待っている」と言う大義名分を掲げて階下へと逃げた。
いざ一階へと下りてみると、どこで待てばいいだろうかと悩む。
階段の終わり…廊下で立ち止まった紅の耳に、外のファミリーがざわつくのが聞こえた。
その理由を悟った彼女は、丁度良かったとばかりに笑みを浮かべて玄関へと歩き出す。
「絶対リボーンの仕業だ!」
そんな声と共に、玄関のドアをバンと勢いよく開いて中に入ってきたのは、紅の待ち人だ。
彼は勢いを消さないままにドアを閉じ、それに凭れてふぅと一息をつく。
とりあえず一言リボーンに文句を…と靴を脱いだところで、初めて前に立っている彼女に気付いた。
「紅!?」
「お帰り、ツナ。お邪魔してるよ」
「あ、うん。ただいま」
条件反射のように、ただいまと返してから我に返る。
リボーンと見知った仲で、ビアンキとは親友と言っても過言ではない。
更に、彼の母である奈々にいたっては茶飲み友達にも似た関係だ。
そんな彼女が家を訪れる事は珍しくはないが…何故このタイミングなのかが分からない。
「どうしたの?今日は母さんは出かけるって行ってたけど…」
「知ってるわ。ここに来る途中で会ったから」
「じゃあ、リボーン?あいつなら多分2階に居るよ」
「まぁ、彼に用と言えば、それも正しいけど…。今日は、ボスの付き添いなの」
茶目っ気を含ませ、にこりと笑う。
その笑顔に流されそうになるツナだが、聞き流せない単語があった、と気付く。
「ボス!?」
「そ。ツナに会いたいらしくって…来てるのよね」
そう言って彼女はピッと立てた人差し指で2階を指す。
つられるようにその先を追ってみるが、先にあったのは見慣れた天井だけだ。
もう一度彼女に視線を戻し、疑問を口に出す。
「って事は、外の人たちは…!」
「私のファミリー。ごめんね、仰々しくて」
一応、彼女がマフィアであると言う認識はあった。
だが、言葉だけでなく実際に見てみるのとでは、その衝撃は全く違う。
「ほ、ホントにマフィアなんだ…」
「随分今更ね?」
がっくりと肩を落とす彼に、紅は不思議そうに首を傾げる。
つくづく、自分の周りは普通じゃない…そう、認識を改めざるを得ないツナだった。
気を落としていたツナだが、家の外の現状を思い出して気を奮い立たせる。
そして、その勢いのまま階段を上っていった。
突然勇みだす彼に、紅は首を傾げつつもその後に続く。
リボーンに突っかかる彼の、そして、自身の紹介をするディーノの声。
一方的な自己紹介を邪魔せぬよう、紅は音もなく部屋の中に入る。
そして、壁に背中を預け、口を挟む事無く事の成り行きを見ていた。
「ディーノは紅のボスであると同時に師匠でもあるんだぞ」
「え?あ、そっか。前に師匠が居るって言ってたっけ」
リボーンの説明により、ツナの視線だけでなくその部屋の中の視線全てが、いつの間にか居た彼女へと集う。
愛想笑いを浮かべ、彼女はこくりと頷いた。
そして、壁から背を離すとディーノの傍らまで歩く。
「まだツナの前で実力をお披露目するような事にはなってないけどね」
「紅は筋が良くてな。ファミリーの中でも運動神経の良さは飛びぬけてるぜ」
隣に立つ彼女の肩にポンと手を乗せ、まるで自分の事のように嬉しそうに話すディーノ。
彼女の方も満更ではない様子で、その手を振り払うことなく少し照れたような笑顔を浮かべていた。
普段は大人っぽい印象を与える彼女の意外な一面に、ツナは図らずも頬を染める。
二人の様子を見ていれば、マフィアも捨てたものじゃないな、と思えてきてしまった。
だが、そんな心境の変化に気付いたツナは慌ててそれを振り払うように首を振る。
その後、部屋に乱入してきたランボが家の外に向けて手榴弾を放つなど色々とあったが、大した問題もなく時間は進む。
ファミリーのボスと言う肩書きに抵抗を覚えていたツナだったが、日が暮れる頃にはディーノを慕うようになっていた。
そんな彼を見て、紅は「無理もないことだ」と心中で微笑む。
彼は、若くしてボスを務められるだけのカリスマ性を持っている。
まだ中学生と言うツナには、彼の存在は大きく見えただろう。
かく言う彼女も、ディーノに魅せられたうちの一人だ。
「じゃあ、ディーノ君は泊まっていくのね」
「お世話になります」
ツナにディーノが泊まっていく事を告げられた奈々に、ディーノが頭を下げる。
そんな彼を見て、彼女は嬉しそうに笑って頭を上げさせた。
「息子が増えたみたいで嬉しいわ。あ、どうせなら紅ちゃんも夕食を食べていかない?」
「え…でも、あまり人数が増えたら迷惑でしょう?」
唐突に話題を振られた紅は、そう答える。
即答で断ったりしないのは、彼女が奈々との語らいのひと時を楽しみにしているからだ。
流石に二人も増えたら迷惑だろう、と思った彼女だが、奈々はとんでもないとばかりに首を振った。
「一人も二人も変わらないわよ」
「じゃあ、ご馳走になります」
「ふふ、そうと決まれば、今夜は腕を揮わないと」
「あ、手伝います」
奈々を追って階下におりて行く彼女を見送った一行。
彼女の声が聞こえなくなったところで、ディーノが口を開く。
「なぁ、ツナ」
「何ですか?」
「紅の奴はこっちで楽しんでるか?」
「えーっと………多分」
ディーノの問いかけに、彼は普段の紅の姿を思い出してみる。
怒ったところなど見た事はなく、いつも楽しげに笑っている彼女しか浮かばなかった。
「あ、でもディーノさんと話している時の方が楽しそうです」
今日の彼女の表情を見ていなければそんな事は思わなかったと思う。
だが、彼と話していた紅は確かにいつもよりも嬉しそうだった。
そんなツナの返事を聞き、ディーノは照れたように頬を掻いて「そっか」と笑う。
「いや、楽しんでるならいいんだ。本人からじゃなくて、第三者からそれを聞きたくてな」
「…紅の事、大事にしてるんですね」
「俺にとっては妹みたいな存在だからな」
「部下じゃなくて…?」
ツナの質問に、ディーノは驚いたように目を見開いて彼を見た。
その表情に聞いてはいけない事だったのだろうかと慌てる。
「や、別に深い意味はなくて…!」
「いや、いいんだ。そうだな…部下って言うよりは―――やっぱり妹だな」
確認するように視線を持ち上げた彼は、やがて頷く。
その時の彼の表情は、何かを思い出しているようで…どこか、辛そうに見えた。
ツナは、それを感じながらもこれ以上はその話を続けようとはせず、必死に新たな話題を探す。
下から「ご飯よー」と声が掛かるその時まで、ツナの部屋から声が消える事はなかった。
06.11.23