黒揚羽
Target --027
屋上から戻ってきた紅は、応接室の有様に思わず額に手をやった。
そして、不機嫌になった暁斗の行動を忘れていた自分の失態を悔やむ。
屍累々…と言うのは少々大げさだが、傷だらけの風紀委員の連中に同情の念が浮かぶ。
だが、そんな彼らの暁斗を見る視線の中に、尊敬に近い感情があることに気付いた。
「妙なところで上下関係が生まれてる…?」
とりあえず、険悪なムードと言うほどではないようだ。
「あ、兄貴!委員長達がお帰りっス!」
「兄貴、裏庭に忘れてた荷物です」
「兄貴……」
「兄貴…」
訂正しよう。
険悪なムードではないどころか、慕われている。
自分達のいない間に何が?と思うが、過ぎてしまった時を知る術はない。
未だ頬に絆創膏と湿布を貼り付けたまま、彼は応接室の扉に手をかけたまま固まっている彼女に手を振った。
その爽やかな笑顔といえば、このまま廊下を歩けば女子生徒の視線を釘付けにさせるだろう。
「あぁ、お前ら。ちょっと席を外してくれるか?」
和やかに爽やかにそう言えば、まるで野球少年のように元気な声が揃う。
一つ違いがあるとすれば、彼らのように爽やかな声ではなくどこか野太い…というくらいだろう。
ゾロゾロと列を成して出て行く彼らは、ドアのところで立ち尽くす二人に頭を下げつつ応接室を出て行く。
紅はどう反応すれば良いのかわからず、後ろの雲雀を振り向いた。
だが、彼は呆れたように溜め息を吐くだけで、特に助言もなければ行動も起こさない。
「紅、…家の事で話がある」
ソファーから立ち上がった暁斗は、紅の前まで来ると彼女の腕を引いた。
そして、その傍らに居た雲雀を一度だけ睨みつけると、そのまま応接室を出て行こうとする。
それを制したのは、訳がわからずにされるがままになっていた彼女だ。
「ちょ…暁斗?今はまだ授業中で…」
「授業に出てない奴に関係ないだろ。行くぞ」
「でも…!…っぅわ…!」
紅から妙な奇声が漏れたのは、歩こうとしない彼女に苛立った暁斗がその身体を肩に担ぎ上げたからだ。
米俵のような持ち上げ方に、肩の上から不満の声が飛ぶ。
しかし、いくら背が高めの紅とは言え、身長差は大人と子供の分だけあり、抵抗は無意味。
「もう二度と来ないでね」
「言われなくても来ねーよ」
引き止めるでもなくそう言った雲雀に、即座にそう返す彼。
紅は、自分よりも一回りも年下に大人気ない態度だ、と呆れる。
そして、抵抗も諦めて雲雀の方を見た。
「今日の予定、明日に繰り越しておいてください」
「別にいいよ。適当にやらせておくから」
振り向く事もせずに告げる雲雀の返事を聞き、紅は伸ばした手で何とか応接室の扉を閉じる。
この状態で廊下を歩くのは目立つ、と言っても、暁斗はどこ吹く風と言った様子で聞く耳を持たない。
今が授業中でよかった、と思いながら、紅は担ぎ上げられたまま玄関まで向かう事となった。
校門前につけていた暁斗の車に乗り込み、数分間のドライブを楽しむ。
今紅が一人暮らしをしているマンションは暁斗が用意した物。
彼がそこまでの道のりを知らないはずも無く、まるで毎日通る道であるかのようなスムーズさで車を進めた。
程なくして、マンションの駐車場に車を停め、二人は並んでエントランスを横切る。
「所で…“家”の話ってどう言う事?」
「まぁ、待てよ。部屋に入ってからでも遅くはないだろ?こんな所で話すのは無用心だ」
そう言って、彼はクイッとエントランスの隅にある防犯カメラに親指を向ける。
彼の身体が陰になっていて、その手の動きはカメラからは見えない。
紅はチラリと横目でそれを捉え、納得したように頷いた。
確かに、こんな場所で話すことでもないだろう。
上の階へのボタンを押し、エレベーターの到着を待ってそれに乗り込む。
重力に反して上って行くそれの中は、終始沈黙だった。
エレベーターを降り、廊下を進んだ後紅の部屋の前へと到着する。
鍵を取り出そうと鞄を抱えなおす紅の脇で、暁斗がポケットに手を突っ込んだ。
カチャリ。
「……………どうした?入らないのか?」
車のキーと共に付けられた部屋の鍵をくるりと回しながら、暁斗は開け放った進路を紅へと譲る。
一向に動こうとしない彼女に、彼は首を傾げて問いかけた。
「…何で暁斗が鍵を持ってるの」
「何でって…ないと困るだろ、こう言う時に。お前は学校があるんだしな」
そう言いながら、未だ進もうとしない紅を置いて彼が先に部屋の中に入っていく。
それを見送ってしまった紅だったが、ハッと我に返ると慌てて彼の後を追った。
「………何で荷物が増えてるの」
リビングに入った彼女は、その壁際に置かれた3個のダンボールに思わずそう呟く。
答えて欲しいような、でも、聞きたくないような…そんな複雑な感情が彼女のうちに蠢く。
そんな彼女の気持ちなど露知らず、暁斗はケロリと言ってのけた。
「連絡しなかったか?暫く世話になるって」
「…聞いてないわよ…」
「おかしいな…一ヶ月くらい前に言ったつもりになってた」
「一ヶ月前………って確か、そのタトゥーを入れたって電話してきた頃よね」
彼女の指差す先には、暁斗の頬に刻まれた炎のタトゥーがある。
絵柄も位置も違うのにお揃いだなと喜んだ彼の声を聞いたのは、まだ記憶に新しい。
「あー…それでぶっ飛んだんだな、多分」
ポリポリと頬を掻きつつ視線を彷徨わせる彼に、紅は深く溜め息をついた。
そして、ソファーにぐたりと沈み込む。
「ま、別にいいわよ。どの道この部屋を選んでくれたのは暁斗なんだし…部屋も余ってるから、好きに使って」
「ああ」
追い出されなくて助かる、といった彼に、彼女は苦笑を浮かべて「そんな事をするはずが無い」と答える。
結構冷たく当たっているようにも見えるが、暁斗を大切に思う気持ちに偽りなど無い。
そうでなければ、養子にされた時点で縁を切っているだろう。
「あ、一つ言い忘れたんだが」
ダンボールを腕に抱えた暁斗が、廊下に出ようとしてその足を止める。
何だ?とばかりに振り向く彼女に、彼は笑顔でこう告げた。
「近いうちにボスがこっちに来るぞ」
「ディーノが?」
「ああ。お前の様子見と…ついでに、ボンゴレの10代目に挨拶だとさ」
良かったな、と笑う彼に、紅は少し照れたように口角を上げた。
家族と言っても差し障りないくらいに慕う人が自分の元に来てくれるというのは、やはり嬉しい。
自然と笑顔を綻ばせれば、彼もそれに釣られるように笑みを柔らかくした。
流石に、ディーノに妬くほど彼も大人気なくは無い。
自分の荷物を空き部屋に運び終えた暁斗は、紅の用意したコーヒーで午後のひと時を過ごす。
テーブルの角を挟むように設置されたソファーそれぞれに座り、他愛ない雑談に花を咲かせていた。
そんな中、紅がふわ…と欠伸を漏らす。
「眠いのか?」
「…まぁね。昨日殆ど徹夜で…しかも、熟睡してたところに誰かさんが騒いでるって連絡がきたから」
誰かさん、の部分を強調させれば、暁斗は僅かに口元を引きつらせた。
どうやら、自分は彼女の安眠を妨害してしまったらしい。
さて、どうやってご機嫌を取ろうか…などと考えたところで、彼はふと疑問を抱く。
「授業中だったよな?どこで寝てたんだよ?」
「応接室」
「………………………な、なんて事をするんだ!お、男の前で熟す…」
そこまで紡ぎ、彼はピタリと口を噤む。
中途半端だった所為か、今まで素知らぬ顔でコーヒーを飲んでいた紅が彼に視線を向けた。
「寝たのか?」
「ええ」
「あの男の前で?」
「そうよ?」
「目を閉じただけじゃなくて?」
「しつこいわね。睡眠よ、睡眠」
食い入るように自分を見て、質問を重ねる暁斗。
何故そこまで細かく聞かれなければならないのだ、と彼女は眉を寄せる。
だが、次の瞬間にはそんな不満はどこかへ吹き飛んでしまった。
「あ――――――っ!!くそっ!!」
髪を掻き混ぜて急に声を上げる彼に、彼女の目が見開かれる。
彼の行動の意味が分からない。
「まだ息子はいらん!!」
言うが早いか、彼はソファーから立ち上がって先ほど荷物を置いた部屋へと駆け込んでいく。
リビングに残された紅は、未だ黒い液体の残るカップを見下ろして首を傾げた。
「…何で話がそこまで飛躍するの…」
彼女がこの暁斗の行動の意味を知るのは、もう少し先の話になる。
06.11.07