黒揚羽
Target --026
午前中の殆どを寝て過ごした紅だったが、午後からは参加しておくといって応接室を出て行った。
無論、未だ意識を取り戻さない暁斗を残して。
一切口を開く事のない雲雀と、頬の大きな青痣に湿布を貼ったまま起きない暁斗と言う微妙な組み合わせの空間。
どうせなら別の場所へ連れて行ってくれれば良いのに、と彼が視線を持ち上げた。
と、偶然にも暁斗の瞼が揺れ、ゆっくりとその目が開かれる。
ぱちぱちと二三度の瞬きの後、暁斗はむくっと起き上がった。
腕をつかずに腹筋で起きられる辺り、彼も鍛えていない…というわけではなさそうだ。
起き上がったまではよかったが、それ以降彼はこれと言った動きを見せない。
ただぼんやりと虚無を見つめるような眼を窓の方へと向けている。
何だかよくわからないが、その行動が妙に雲雀の目を引いた。
観察と言っても差し障り無いだろう。
何度かこの部屋で寝ていく紅も大概寝起きは悪いが、この男はそれに更に磨きが掛かっている。
ぼんやりする事5分。
先に動いたのは彼だった。
「起きたなら出て行ってくれる?部外者を置いておくつもりはないんだ」
声に反応して、面白いほどに飛び上がる肩。
即座に振り向く姿は、どこか野生の獣を連想させる部分がある。
日本人らしい黒曜石の目が、今になって漸く雲雀を写した。
「…トンファーの男!」
どうやら、意識を失う前の記憶は無事らしい。
自分を指差す男に軽く眉を寄せるが、雲雀は興味を失ったように手元に視線を落とした。
これ以上、彼に付き合うつもりはないらしい。
紅が寝ていた時と同じように、生徒の名前を追ってはチェックを入れていく。
だが、不意に何か思いついたように顔を上げ、ソファーの前にあるテーブルの上の携帯を手にする。
親指一つでいくつかの操作をしたあと、それを耳へと運んだ。
『―――はい』
「起きたけど、3分以内に来なかったらもう一度横になってもらうから」
プツリ。
我ながら、何とも簡潔な電話だと思う。
現に、目の前の暁斗は訳がわからず、警戒を見せながらも首を傾げている。
だが彼にはわからずとも、電話の相手には自分の意思は伝わったはずだ。
彼女の教室から応接室までは急いで3分。
今頃は、持ち前の足の速さを活かして廊下を駆けているのだろう。
後どれくらいで来るだろうかと、壁についた時計を見上げた。
先程通話を切った時に見たディスプレイに表示されていた時間から、すでに1分が経過している。
「…おい、そこの“委員長”」
「死にたいの?君にそう呼ばれる理由は無いね」
「しかたねぇだろうが。俺は不良の一人がそう呼んでたことしか知らねぇんだからな」
じろりと睨まれ、先程のトンファーを思い出した暁斗はソファーに完全に密着する形で視線を返す。
ファミリーの一角を担う自分がこんな若造に怯える必要がどこにある。
自分の中でそんな考えが過ぎる。
だが、それなりに危険な修羅場も潜ってきた彼だからこそ、雲雀の強さがよく理解できるのだ。
正直な話、銃を持っていたとしても勝てる気がしない。
「それより、委員長。お前」
「雲雀さん!」
バンッと勢いよく開かれたドアの方を見ずに、雲雀はどこからか取り出していたトンファーを投げる。
自分のすぐ脇の壁にめり込んだそれに、来訪者…紅は口元を引きつらせた。
「公共物を壊さない」
「…や、雲雀さんも壁を壊して…………ちょ、もう一つのトンファーまで構えちゃ駄目ですって!」
また壊れますから!と必死に手を振る紅。
彼女は壁伝いに応接室に入ると、先程勢いよく開いた所為で歪んだ蝶番の辺りを、鞄から取り出したドライバーで直す。
壁の方は…今彼女が直すわけにもいかないので、このままにしておく他は無いだろう。
「それにしても…あんまりじゃないですか。授業中に行き成り電話してきたかと思えば、脅迫ですか」
「来るも来ないも君の自由だよ」
「まぁ、それはそうですけど」
そう言いながら、先程抜いておいたトンファーを彼に差し出す。
そして、雲雀から暁斗へと視線を動かした。
「………暁斗?何で雲雀さんを指差して固まってるの?」
まだ寝ぼけてる?と首を傾げる彼女。
しかし、目に入れても痛くないほどに可愛がっている彼女の姿すら、彼には見えていないようだ。
穴が開きそうなほどに雲雀を睨み、指差し、そして口を開いた。
「お前が雲雀か!!」
「…煩い」
「雲雀さん、話が進みませんから」
危うく、先程返したばかりのトンファーが再び暁斗を襲うところだった。
紅にそれを阻まれ、不満げな表情を見せる雲雀。
彼の行動を止める時のスムーズさなどからして、大分その扱いに慣れてきていると見える。
「暁斗も雲雀さんに失礼よ。まず、その指を下ろして」
じっと睨むような目で見られ、暁斗は静かに腕を下ろす。
だが、視線は依然として彼を睨んだままだ。
「それで?雲雀さんが雲雀さんだと何か問題でも?」
「お前か!うちの可愛い娘を誑かしてくれた輩は!」
「「…………………」」
一人頭に血を上らせている暁斗と、沈黙する二人。
雲雀が彼の言葉の真意を悟れないのは当然だが、今回ばかりはある程度付き合いのある彼女も意味がわからない。
いつの間に自分は誑かされたのだろうかと色々と思い返してみるが、自分の記憶の中に答えは無かった。
「………暁斗」
「何だ、紅?」
「誑かされた覚えが無い」
少し笑顔を浮かべて彼を呼んでみれば、表情に柔らかさを取り戻して振り向く。
そんな彼に向けてそう言えば、盛大に首を振って答えてくれた。
「こんな危険な奴の傍に置いてたらその内怪我するぞ!」
「危険って…何を今更。家だって十分危険だと思うわ」
「家は俺らが守れるから問題ないんだ!こんな不良の傍に可愛い娘を置いておけるか!大体…」
「…はぁ」
こうなった暁斗が止まらないという事は、紅もよく理解している。
彼女が動いた事にも気づかない彼を横目に、すでに傍観者にすらなっていない雲雀の方へと歩いた。
「雲雀さん、少しいいですか?」
「…あれはどうするの?」
「放っておきます」
どうせ暫く戻ってきませんよ、と言うと紅はドアの方へと歩いていく。
こちらに背を向けて只管言葉を連ねる暁斗を見た後、雲雀も同じように彼女に続いた。
「お騒がせしてすみません」
「まったくだよ。ああ言うのは咬み殺したくなる」
「…それだけはやめてくださいね。あんなのでも父親ですから。まぁ…義理の、ですけれど」
屋上へとやってきた紅は、フェンスに凭れながら雲雀に話しかける。
義理の父親であるという事実は話していなかったらしく、彼は「ふぅん」と呟いた。
「頭脳派って言う割には、委員会の連中は負けたみたいだね」
「あぁ、彼ら程度なら仕方がありませんね。暁斗は最低限の能力で人を押さえ込む事に長けているんです」
つまり、埋まらない実力差がなければ、十分に強いという事だ。
委員会の連中には勝ち、雲雀には一瞬で負けた理由はそこにある。
「あんな人が一般人だって言っても通用しないと思いますから、話しておきますね」
「?」
「彼、マフィアです」
「………ってことは、君もそうなんだ?」
決して頭の回転は悪くない彼だ。
一言で全てを理解してくれた事に対し、彼女は微笑んで頷く。
軽蔑されるかもしれないと言う心配はない。
「道理で妙に強いわけだね。君の師匠とやらもマフィア?」
「そうですね。更に付け加えておくなら、センセ…あのスーツの赤ん坊も」
「…面白い人間だね、君は。普通なら関係なんて持たない世界だよ」
面白い、と言う感情は抱いても、恐ろしいとか嫌悪といった感情はない。
彼女自身がマフィアだと言われても、驚くどころか寧ろ納得できるというものだ。
でなければ、一般の女性が自分に寸差で負ける程度の実力を持てるはずはない。
「自分なりに覚悟してのカミングアウトだったんですけど…あっさりですね」
「気にすると思ったの?」
「いえ。でも、もう少しくらい何かしらの反応はあるかと思っていました」
「そう。ところで、君の秘密はまだ残ってるね」
問いかけではなく断定的な物言いに、紅は思わず苦笑を浮かべた。
何もかも、お見通しらしい。
「ここからは、また後日と言う事で」
悪戯めいた笑みを許されるこの関係が、どうしようもなく心地よかった。
06.11.04