黒揚羽
Target --024
ひらりとまるで蝶を思わせるように軽やかに、紅はバイクから足を下ろした。
フルフェイスのヘルメットを外し、少し崩れた髪を元に戻すように頭を振る。
幸い、蒸れて髪がべたつくほどの時間でなかった。
「ひ、膝が痛い…!」
「バイクなのにスカートなんか履いてくるからだよ」
「バイクだなんて聞いてませんよ」
季節は秋も深まってきた頃。
吹く風が少し冷たく感じるようになってきたこの時期に、素足のままでバイクに乗せてもらうのは膝に悪い。
せめてジーパンにしてくればよかったと思うが、時すでに遅し。
冷えすぎた所為で関節の動きが悪くなっているのを感じ、紅はそれを摩りながら恨めしそうに雲雀を見た。
30分で準備をしなければならなかった紅は、まず考えなくても良い服装を思い浮かべた。
その結果、平日には毎日着ている制服に身を包んでしまったと言うわけである。
ここで雲雀が私服を着ていれば間抜けにも見えるだろうが、誂えたように彼も制服だ。
とりあえず、彼に当たっても仕方がないと思いなおした紅は、それなりに膝が戻った所でしゃんと立ち直す。
そして、雲雀の方を向いて―――思わず、首を傾げてしまった。
「…雲雀さん…何してるんですか?」
「見て分からない?」
「今まさに不法侵入しようとしていることだけは分かります」
門に手をかけている彼女は彼を仰ぎ見ながらどこか呆れたような声でそう言った。
彼は紅の言葉などまるで聞こえていないように、ひょいひょいと門から屋根へと移り、そこにある窓枠に手をかける。
それを見届けると、紅は溜め息を吐き出してインターホンを押した。
――返答は無い。
「…どっちも不法侵入に変わりはないか…」
誰に言うでもなくそう呟き、紅は玄関から家の中へとお邪魔することにした。
音も無く部屋の扉に背中を預けて立つ。
部屋の住人らは、窓から派手に登場した雲雀へと全神経を集中しているのか、彼女の侵入には気付かない。
そんな中、彼がベッドに横たわるそれの始末を任されるということで話が纏まった。
彼の視線だけが紅を捕らえる。
「紅、あいつらに連絡しておいて」
「!?」
「私は小間使か何かですか」
などとは言いながらも、彼女の手にはすでに携帯が握られている。
突然出てきた名前に驚いたのか、面白いほどに肩を揺らして振り向く一行。
その驚いた顔は多種多様で、何だか妙に笑いを誘う。
クスリと口元に笑みを浮かべると、彼女はひらひらと手を振った。
「どうも、皆さんお揃いで」
「紅まで!?」
「お前も一緒に来たのか」
声を上げたのはツナとリボーンだった。
後者は、紅が休日のこんな時間に雲雀と共にやってきた事に驚いている様子。
いつもの彼女ならば、確実に寝ている。
「センセがちゃんと住所を教えないからですよ」
いい迷惑です、朝早くから…と文句を言いながらも指はカチカチと携帯のキーを打つ。
雲雀のことだから来る事は間違いないと思っていたが、住所は勝手に調べるだろうと思っていた。
紅を連れて来た事は意外と言えば意外。
また、あの寝起きの悪い彼女がついて来たと言うのも予想外だ。
「悪かったな」
「いーえ、別に構いませんよ。これは貸しにしておきますから」
にっこりと嬉しそうに笑う。
彼女に限って無理難題を持ちかけるという事はないだろうが…何とも、裏を感じる笑みだ。
そんな言葉を交わしていた紅は、不意に窓の方に視線を向けて思わず口を開く。
「雲雀さん、もうお帰りですか?」
「うん。用は済んだからね。あとで風紀委員の人間よこすよ」
窓枠に手をかけたままの状態で彼女の質問に答える雲雀。
言い終わるが早いか、彼は「またね」と言う言葉を最後に窓から出て行ってしまう。
そう、一緒に来たはずの紅を残して。
「………!ちょ、雲雀さん!置いてくんですか!」
勝手に連れて来ておいて、と声を上げつつ部屋の中を横切らせてもらう。
室内の人間全員の視線を一身に受けるが、それに戸惑ったりするような可愛らしい神経など持ち合わせては居ない。
窓までの道中で、紅は視界の端に映ったそれに違和感を受けた。
「…?」
ピタリと足を止め、そちらを向く。
その先にあるのは、ツナが殺してしまったと嘆いていた人間…つまり、この場合は死体だ。
何が違和感の原因なのかは分からないが、とにかく…と紅はそれに歩み寄る。
そしてそれに手を伸ばした。
「わ!し、死体に触っちゃ駄目ですよ!!」
ぐいと腕を引かれた紅は、思わずその手を止めて背後を振り向いた。
そこには、何やら必死の形相で自分を止める女子生徒。
「あぁ、大丈夫大丈夫」
「何が大丈夫なんですか!?現場の保存は警察で決まってるんです!」
「テレビドラマの見すぎよ」
現場保存に関しては確かに警察にはそう言う決まりがあるらしいが…そんなもの、紅の知ったことではない。
緩んでいた指先から逃れると、紅は死体の手を取った。
指先を血流の流れる部分に添えつつ、男の様子をじっと見る。
自分の脈と間違えてしまいそうなほどに微弱だが、指先はそれを確かに感じ取った。
数秒間に一度、ほんの小さく打つ脈。
「…なるほど」
その後、もう片方の手首、そして首の脈をそれぞれ確認すると、紅は小さく呟いた。
そして片手でポケットに押し込んでいた携帯をパカッと開く。
送るはずだったこのメールは必要なさそうだ。
「そ、それくらいにしておいた方が…!」
「ええ、そうね。もう分かったから」
「わかったって…死んでるって事がですか!?」
ヒィッと頬を挟みこんでややオーバーなリアクションを見せる彼女に、紅はクスクスと笑う。
そして、説明しようと口を開いたその時。
彼女はその女子生徒の向こうに見える窓に、ダイナマイトの存在を確認した。
こっちに集中するあまり、彼らの言動を把握していなかった自分自身に小さく舌を打つ。
「下がって」
「わわ!」
少女の腕を強く引き、自身の学ランの中に隠すようにして壁側に向き直る。
その際に自分の頭を抱える事も忘れなかった。
ドォンとダイナマイトが爆発し、黒ずんだ硝煙とその臭いが室内に充満する。
「けほっ…大丈夫?」
紅は自分が抱え込んだ少女を放しながらそう問いかけた。
息を吸い込めば煙が喉を刺激し、思わず咽てしまう。
「あ、はい。あの…あなたは大丈夫なんですか!?ハルを庇って…!」
「あぁ、平気。爆発には慣れてるわ。それに…女の子が顔に傷でもつけたら大変でしょ?」
そう言って少女ハルの頬についた煤を指で拭う紅。
見た目は一つ二つの年齢差だが、姉妹のように見えるのは紅が大人びているからだろう。
にこりと笑った紅に、ハルが頬を赤くする。
だが、その後で青褪めた。
赤くなったり青くなったりと忙しい事である。
「ほぇ!!?大変です!死体が無くなってます―――!!!」
もぬけの殻となったベッドを指差し、ハルが叫ぶ。
紅から解放されて、そう距離を取っていなかった彼女の叫び声に、紅は耳を押さえた。
だが、その内容に自分の考えは間違っていなかったと悟る。
死体だと思っていた男性は、死んだフリをしていたと言う事が明らかになった。
ひたすら空回りして騒いでいたツナとハルが脱力するのを見届け、紅は静かに沢田家を出る。
「あれ、雲雀さん。まだ帰ってなかったんですか?」
「待ってた人間に言うこと?」
「置いていった人間の台詞でもないと思いますけどね」
バイクに寄りかかったまま腕を組んでいた彼は、紅の返事に口角を持ち上げた。
そしてシートに乗っていたヘルメットを彼女に投げると、そのままバイクに跨る。
「…また膝が痛くなるなぁ…」
「嫌なら歩いて帰る?今から帰れば寝る時間が増えるよ」
「よろしくお願いします」
即答する彼女に彼は少し肩を震わせた。
声をあげて笑わないあたりは彼らしいが、肩を震わせ声を殺して笑われるのも中々気に障るものだ。
ムッと口を尖らせつつも、紅はそれを隠すようにヘルメットをかぶる。
そして、彼の後ろへと跨り、来る時よりもややスムーズに腕を回した。
06.10.22