黒揚羽
Target --023
一人暮らしの日曜日と言うのは静かなものだ。
朝携帯のアラームで目を覚ます必要もなければ、決められた時間に登校できるよう準備をする必要もない。
のんびり時間だけが過ぎる休日は、紅にとっては睡眠日と言っても過言ではなかった。
そんな彼女の至福のひと時を邪魔する無粋者。
――ピリピリピリ。
「…」
ベッドから手だけが伸びてくる。
そしていつものように枕もとの携帯を攫うと、そのまま布団の中に引きずり込んだ。
程なくして、パカッと言うそれを開く音と共に、無機質な電子音が止む。
「―――…今何時だと思ってるんですか」
寝起き独特の掠れた声が、こんもりと膨らんだ布団の山の下から聞こえる。
いつもならば「はい」と答えるところなのに、今回ばかりは文句が先に零れ落ちてしまった。
先程電話主を知る為に開いたディスプレイに映った時刻と言えば、学校に行く時の起床時間とさほど変わらないそれ。
――そう言えば、相手は誰なんだろう。
電話主を確認したにも拘らず、視覚的にただ見ただけで脳内に情報として蓄積されなかった。
『…寝てたの?』
電話口の向こうから聞こえてきたのは、そんな言葉。
自分の記憶の中にある人々が、縁起の悪い事に走馬灯のように次々と浮かんでは消えていく。
そして、十数人目と言うところで、声の主が脳内でカチリと嵌った。
「………雲雀さん!?」
そんな声がクリアに室内に響いた。
バサッと跳ね除けた布団がベッドからだらしなく落ちたのを拾いつつ、携帯に意識を集中させる。
電話と言うのは不思議なもので、見えるはずがないにも拘らず自分の身なりが気になってしまったりするものだ。
少しばかり跳ねた髪を撫でつつ、携帯を利き手に持ち替える。
「め、ずらしいですね…雲雀さんから電話してくるなんて」
こちらから掛ける事はあっても、彼から掛かってくるという経験は皆無に近い。
彼の携帯は着信専用なのか、と言う疑問を抱いてしまうほどだ。
『赤ん坊の住所知ってる?』
「赤ん坊…あぁ、セン…リボーンですか。彼の家は知りませんけれど、今現在お世話になっている住所なら」
どうかしたんですか?と首を傾げる。
相手には見えないのにそう言う仕草をしてしまう所も、電話の不思議なところだ。
『沢田って家に来るように言われてね』
「ツナの家…?今日なんかあったっけ…」
後半部分は呟くように。
記憶の中を探るが、これといった目ぼしい情報は見当たらない。
更に言うと、ツナと雲雀と言えば、第一印象が最悪だ(ツナにとって)
彼らを結びつける意図が理解できない…と紅は心中で首を捻る。
「まぁ、兎に角…彼の家なら分かりますよ」
『教えて』
「えっと………」
住所を思い浮かべようとして、紅の口はピタリと止まる。
家は知っているけれど、住所や地名は分からない。
こんな事を一度は経験した事があるのではないだろうか。
彼女は今、まさにその状況だった。
「………案内します」
『じゃあ、30分でそっちに行くから』
起き抜けの女性に30分で準備をしろと言うのは酷だと言う声など、聞き入れられるはずもない。
通話が切れるなり、弾かれたように洗面所へと駆け込んでいく。
その際、ベッドの上に放り投げられた携帯の「留守録あり」マークが点滅していた事に気付かなかった。
「雲雀さん…普通なら免許取れないですよね」
電話が切れてからきっかり30分後。
紅の携帯は再度着信音を奏でる。
しかし、今度は1コールでそれが途絶えた。
紅はそれを聞いてから部屋を後にする。
ポンと低い音と共に、エレベーターが1階に着いた事を知らせてくれた。
エントランスを抜け、待っていた雲雀を見た紅の第一声が、先程のあれだ。
「乗らないの?」
「…乗ります」
紅の言葉など綺麗に無視した雲雀は、バイクに跨ったまま彼女に問いかける。
その返答に暫し沈黙する彼女だが、まぁいいかと言う楽観的に考えて彼に近づいた。
「今日も学校に行ってたんですか?」
「そうだよ。暇だったからね」
「…暇だからって全部活も休みの休日に学校に行くのってあなたくらいだと思いますよ」
制服に学ランを羽織った彼を見ての紅の言葉。
バイクを走らせれば風で学ランが飛んでしまうと思うのだが…ちゃんと彼の肩に止まっているのだから不思議だ。
彼のすぐ傍らに立つと、紅は思い出したようにマンション前の道に目を向ける。
「声が聞こえないといけないので、一応道順説明しますね。分からなくなったらその都度聞いてください」
そう言うと、前の通りを指差しながら順に説明していく。
ここからツナの家まではそうややこしい道ではない。
簡略ながらも要所をしっかりと押さえた説明を終えると、雲雀が一度頷いた。
聞く時は真剣だったから、恐らく正しく覚えられたのだろう。
「じゃあ行くよ」
そう言いながら、彼はヘルメットを投げて寄越した。
危なげなくフルフェイスのそれを受け取り、紅は軽く髪を整えてからそれを被る。
イタリアでよくバイクに乗せてもらっていた所為か、彼女の仕草一つ一つは手馴れていた。
「雲雀さんはいいんですか?」
「蒸れるから要らない」
「…安全運転でお願いしますね」
くれぐれも、と念押しすると、紅は軽やかにバイクの後部席へと跨った。
そして慣れた様子で腕を伸ばしかけ、ハッと我に返る。
今までは暁斗に乗せてもらうことが多かった。
彼以外であったとしても、ファミリーの人間はいわば紅の家族同然だ。
安定を保つ為に腕を回す事に対しても何ら抵抗はなかったが…今回は話が違う。
不自然に宙で止められた彼女の腕を見下ろした後、雲雀は軽く溜め息を吐き出した。
「振り落とされてもいいならそのままでいいよ」
「…困ります」
スピード狂ではないだろうが、彼が原付並みの速度で走ってくれるとは思わない。
角を曲がった時に振り落とされる自分を想像し、軽く青褪めた後おずおずと腕を回す。
今までにない急接近に、紅の心臓は早鐘だ。
もう一度自分の腹で交差された彼女の腕を見下ろした後、雲雀はバイクを発進させた。
「…雲雀さんって群れるの嫌いな割には優しいですよね」
「何?」
「いいえ、何も!」
バイクの音で聞こえなかったのだろう。
ただ、何かを話した事だけ気付いた彼の質問に少し声を大きくして答える。
どうやらその声は無事届いたようで、彼の意識は前方へと戻った。
「しかし…雲雀さんの後ろに乗せてもらうことになるとは思わなかったなー…」
「…君は弱くないからね」
「!?聞こえてるんですか?」
「ヘルメットが無い分、君より聞こえ易いよ」
「(じゃあ、さっきのも聞こえてたんじゃないか…!)」
紅は思わず自分がまわしている腕を思いっきり締め上げてやりたくなった。
だが、そんな事をすれば後ろに乗せてもらっている自分まで危険だし、何より後が恐ろしい。
近くに居ても咬み殺されないと言う名誉ある位置に居るのに、自分からそれを返上する事などありえない。
教えた通りの道を通っていくバイクは、風景を後ろに流しながら進む。
「………何か、安心するかも…」
口の中だけで本当に小さく囁いた言葉は、風によって掻き消された。
暁斗の後ろでは感じない、安心感と…もう一つの感情が胸の内にほんのりと火を点す。
燃え盛るような激しいものではないけれど、確かにそこに存在するもの。
認めたくなくて、でも認めざるを得ないような―――
それを振り払うように目を伏せると、紅は軽く頭を振った。
住宅街へと滑り込んだバイクは、目的地を捉えて徐々に速度を落としていく。
06.10.16