黒揚羽
Target  --022

体育祭と言うのは、盛り上がるだけで「はい、終了」と言う風には問屋が卸さない。
疲れた身体を引きずる生徒らに待っているのは、その後片付けだ。
救護テントに呼ばれていた紅も、例に漏れる事無くその作業に追われていた。
使った用具を確認し、不足があればメモに書き出しておく。
こうしておけば、小用で今この場には居ない保険医(代理)も補充が楽だろう。

「本部席のテントが崩れた!」

疲れた身体に鞭を打てば、こんな事があってもおかしくは無いだろう。
テントが崩れたと言っても、実際には骨組みはすでに解体され、屋根の部分のシートが生徒を覆っただけのようだ。
シーツの波に埋もれた子供の頃を思い出すような光景に、紅はクスリと微笑む。

「用具チェック終わりました。保健室への移動お願いします」

最後の項目にピンとチェックをつけると、紅は近くでスタンバイしていた先輩に声を掛けた。
自分より(肉体的には)年上の人が居るなら、そちらにチェックを任せればいいと思うかもしれない。
だが、治療の用具の中にはある程度詳しくないと理解できないようなものもあるのだ。
そんな物を生徒に任せる保険医もどうかとは思うが、それは紅が信頼されている証とも言えるのだろう。

「じゃあ、シャマル先生を呼んだ方がいいわね」
「…シャマル?」

救急箱の一つを持ち上げた女子の先輩の言葉に、紅は思わず振り向いてしまった。
この場では聞くはずの無い名前だ。

「あら、知らない?最近着任された先生よ。優しくて素敵なの」
「…なるほど。だから私が治療に借り出されたわけね…」

頬を染めつつシャマルについて説明してくれる先輩。
紅は彼女には聞こえないように小さく舌を打ち、そう呟いた。

何故、『ある程度』知識があると認識されているはずの自分が呼び出されるのかが理解できなかったが…。
これで、漸くその理由が分かった。
棒倒しは男子だけの種目だ。
つまり、それでの怪我人は全て男子。
男は診ない、と常日頃から断言しているシャマルが、何か上手い事言って彼らを診る事を拒んだのだろう。
そのツケが紅に回ってきた…と言う事だ。

「いい迷惑ね、まったく…」

誰にも届かないように呟くと、紅は用事の無くなったこの場に踵を返した。














先程棒倒しの総大将を務めたとは思えないほどに、応接室に馴染む人影。
部屋の扉を開くなり目に飛び込む彼に、紅はそっと表情を緩めた。
少し傾いた日差しの差し込む部屋に、彼のシルエットはよく映える。
この一瞬だけを見れば、絵画を切り取ったかのような光景だ。

「中身を知ればそんな事思わないけれどね」

そう苦笑すれば、扉に背を向けて窓際に佇んでいた彼が振り向いた。
何?とでも言いたげな視線を受け、紅はゆっくりと首を振る。

「棒倒しは楽しめましたか?」

髪が邪魔にならないようにと留めていたヘアピンを抜きながらソファーの上に置いた鞄へと歩み寄る。
そのポケットにヘアピンを落とし込むと、紅はドサリと革張りのそれに座り込んだ。
何だかんだ言って、自分もかなりこの部屋に馴染んでいるらしい。
一日座らなかっただけで懐かしさにも似た感情を与えられる。

「赤ん坊に会えなかったのは残念だね」
「…本人にも伝えておきます」

会えるかどうかは分かりませんけれど、と紅は肩を竦めた。
雲雀が、身体ごと彼女を振り向く。
その背中にある窓からの風が彼の髪を遊ばせ、学ランの裾を遊ばせ―――そして紅の元まで届いた。
秋特有の、少し肌寒い風。
まだ衣替えを迎えていない為、学校指定の制服は半袖。
むき出しの腕にその風は少し寒い。

「…雲雀さん、閉めてくれませんか?」

何を、とは言わなかったが、彼はそれを理解した。
だが、彼は窓を閉める事無く、それに背を向けたまま歩き出してしまう。
そして隣の部屋に消えていってしまった。
願いを聞き入れてくれたわけではないと悟ると、紅はよっと反動をつけてソファーから立ち上がる。
彼が思う通りに行動してくれないからと言って幻滅したりする事はない。


紅は開きっぱなしだった窓に向き直り、グラウンドを見つめた。
まだちらほらと生徒の姿が見えるが、それもかなり少なくなっている。
すでに制服に鞄を提げた生徒も見えることから、どこかのクラスではHRも終わっているのだろう。
そんな校庭風景を眺めていた紅は、不意に自身の背後に人の気配を感じ取った。
と言ってもこの部屋の中に居るとすれば自分と雲雀だけ。
警戒するでもなく振り向いた紅は、突然目の前に広がった一面の闇に一瞬思考を停止させる。
同時に、バサッと言う衣擦れの音も耳に届いた。

「…?」

視界が黒に埋め尽くされ、とりあえず頭から何かを被せられている事だけは理解できた。
ゴソゴソと腕を伸ばしたり縮めたりして、その出口を探る。
漸く見つけた布の端を引っ張り、闇色の視界に彩色の世界が戻ってきた。

「…学ラン…?」
「寒いなら着ていいよ」

紅がその布こと学ランを認識すると、雲雀はそう言って紅の鞄が置いてある向かいのソファーに座った。
一瞬彼の物かと思ったが、彼の肩にはいつも通りに学ランがあるので、どうやら違うらしい。

「雲雀さん、これ…」
「そこのロッカーで余ってたからね」

そう言って彼は先程移動した隣の部屋を指す。
その部屋には確かに変形一歩手前のロッカーがあった。
触れる必要が無かったから中を確認した事などなかったが。

「着ていいんですか?指定はブレザーですけど…」

おまけに、私性別は女ですし。と紅は学ランを手に袖を通すかどうかで悩む。
そんな彼女の反応に雲雀は笑った。

「指定じゃなくても、風紀委員の奴らは皆着てるよ。それに…君、そんな事気にするような性格だったの?」

ややからかうような口調。
だが、紅の性格を理解していなければ言えない言葉だ。
紅自身は制服が指定であろうがなかろうが、気にしない。
多少…ではなく、かなり人目を集める事になるだろうが、それも今更だ。
そう言ってもまだ学ランを見下ろしたまま動かない彼女に、雲雀が再度口を開いた。

「要らないなら別に着なくていいよ」
「要りますっ!」

即答だ。
思った以上に力んでしまった声に、紅自身はハッと我に返る。
そして、漸く真新しいそれに袖を通した。


実のところ、紅にとって学ランは密かな憧れだ。
学生時代に一度応援団長を務め、その際に長ランを着て、そして気に入ってしまって…以来ずっと。
それに袖を通せるだけでも嬉しいのに、更にそれが自分専用。
嬉しくないはずが無く、緩む頬を隠す術など持ち合わせていなかった。
しっかりと肩を合わせて着込み、そしてふと気付く違和感。

「…雲雀さん」
「ん?」
「ありがとうございます」

その言葉に返事は無かった。
代わりに彼の視線がごく自然に彷徨い、自身の手元へと降りる。


先程気付いたもの。
本来学ランと言うのは男性用に作られている。
それ故に、女性が着ればサイズが合わず、まず肩が落ちる。
袖だって余るし、裾も不自然に長くなってしまうだろう。
しかし、それの不自然さを全く感じないのだ。
袖は少し手の甲へと掛かる程度と丁度良く、無論肩幅もぴったり。
制服のスカートよりも長い裾は、膝よりもやや上程度で寒い風から守ってくれている。
あえて言うならば、制服の上着と言うよりは少しだけ大きめのコートを着ているような感覚。
素材自体は男性用の学ランと何ら変わりないが、明らかに女性を意識して作られていた。

サイズをあわせずに、偶然出来る物ではない。

「大事にします」

ぎゅっとそれを抱き込むように腕を回し、紅はそう言った。





次の日から学ランを着るようになった紅は、より一層目立つ存在になったのは言うまでもない事だ。
それでも、本人は満足そうなのだから…よしとしておこう。
凛々しい表情に黒い学ランがよく似合い、隠し撮りの写真がファンの間に出回った事など、本人が知る由も無い。

06.10.10