黒揚羽
Target  --010

機内に持ち込んでいたショルダーバッグを肩から提げ、空港内を歩く。
余計なものを一切持ってこなかったお蔭で荷物はたったそれだけだ。
身軽に歩く紅の姿は、こちらでも十分人目を集める。
悲しむは、彼女がまだ(肉体のみ)14歳であると言う事だろう。
10年後が楽しみだ、と言う心の声まで聞こえてきそうだった。
空港の玄関を抜けたところで、紅は目の前の光景に深々と溜め息を吐き出す。

「紅!!」

名前を呼んでくれるなと、この時ほど思った事はない。
すでに日は落ちていて、黒が目立ちすぎる時間帯ではないはずだ。
しかし、まだまだ人通りの多い空港玄関とあれば明かりも多い。
そんな中、ずらりと並んだ5台の車。
全てが黒塗りで、傷一つなく磨き上げられている。
それだけならばまだ呆れる程度で済んだだろう。

「ディーノ」
「身長伸びたか?」
「一ヶ月でそんなに変わるわけ無いでしょう。それよりも………仰々しい迎えね」

5台の黒塗り車の前に列をなす、これまた黒一色のスーツに身を包む男達。
はっきり言って、その場を通る空港利用者が引いている。
自分も無関係であったならば絶対に故意に関わりたいとは思わない集団だろう。
紅はそんな事を考えつつ、彼らをぐるりと見回した。

「…昨日の電話で言っておくべきだった…」

この時ばかりは、自分の失態を認めずには居られなかった。











乗り心地の良い車に揺られ、紅は自分の家に向かう。
家と言っても、もちろん『ファミリーの』だ。
彼女が所属するのはキャバッローネファミリー。
今隣に座っているのがその10代目ボスのディーノである。
そして、彼は隠すまでもないことだが彼女の師匠でもあった。

「そう言えば…暁斗は?」
「あいつなら泣く泣くお前を迎える準備を指示してる」
「ふぅん…絶対来ると思ってたけど」
「負けたんだよ、ポーカーでな」
「あぁ、なるほど…それで泣く泣く、ね」

運転席の隣、助手席から聞こえた説明に紅は頷く。
勝負に負けたと言うならば、彼が来ないのも仕方のない話だ。
それでごねるほど彼も子供じゃなかったと言う事だろう。

「お前なぁ…いい加減父親なんだからそう呼んでやれよ」
「今更でしょう?」

そう答え、紅は足を組みなおす。
長時間飛行機に乗っていた疲れからか、酷く身体を動かしたい心境だ。

「夜の便にしてくれたらよかったのに…」
「皆が早い方がいいってな」
「ま、飛行機の中で散々寝たから寝れそうもないし………身体を動かせばいいか」

最後まで咎める事など、やはり出来るはずもない。
こうして一ヶ月も会わなかったと言うのは初めてで…素直に嬉しかった。
精神年齢24歳が聞いて呆れるな、と心の中で笑う。

「ねぇ、ディーノ。マイケルは居る?」
「あいつなら一昨日からフランスに出かけてるぜ?」
「………何と素晴らしいタイミング…。折角身体を動かすのに付き合ってもらおうと思ったんだけどなぁ」

残念、と彼女は肩を竦める。
そして肌触りの良いシートにポスンと凭れた。
ふと目を向けた窓の外では街灯の明かりが後ろへと流れていく。

「帰ったら久々に見てやるよ」
「え?」
「修行」

ポスンと、大きな手が頭の上に乗せられる。
それと同時に、少し浮かせるようにセットしてきた明るい茶色の前髪が視界に落ちてきた。
目だけを動かして手から腕を辿っていけば、見慣れたタトゥーが目に入る。
子供みたいだけれど、それでも撫でられるのは嫌いじゃない。

「サボってなかったか点検だな」
「サボってないよ。向こうでもトレーニングは毎日続けてたんだから」
「そりゃ楽しみだ」

ぽんぽんと撫でてくれた手が離れていくのは少しだけ寂しい。
そんな事を考えてしまった自身に、心まで子供に戻ったか?と苦笑を浮かべる。
ありえない話ではないけれど。

「あ、そう言えば…。学校だけど、留学してた事になってるの?」
「あぁ。暁斗がそんな事を言ってたな。俺も詳しくは聞いてねーんだけど」
「うん、私も。でも、教師にそう言って紹介されたからまず間違いじゃないと思う」

語学学習の為の留学だったんだって、と紅が笑う。
先に彼女の意図に気付いたのはディーノではなく、助手席のロマーリオだった。

「紅に語学学習なんて必要か?」
「…私がこっちで6年暮らしてるんだって知らないんだから問題ないわ」
「ま、一番妥当な理由だな」

そんな風に、多くもなく少なくもない言葉を交わしつつ、車は夜道を走った。
















たった一ヶ月、されど一ヶ月。
セキュリティも充実していたし、決して古いマンションではなく…寧ろ高級マンション。
そんな場所で生活していたわけだが…やはり、イタリアの本家には敵わない。
久々の我が家に思わず苦笑が漏れた。
ここでの生活が当たり前になっていた頃には麻痺していた感覚。
すっかり日も落ちていて、すでに個人の自由時間だ。
にも拘らず、玄関の前に並んだファミリーに紅は珍しく満面の笑みを浮かべた。
肉体年齢相応の、子供のような笑顔。

もみくちゃにされるように可愛がられるのも、今日だけは許そうと思う。




「紅!!!」

階段を駆け下りてくる人物に、紅はパッと顔を上げた。

「暁斗!」

日本人らしい黒髪に黒い目を持ち、顔立ちは中々の男前。
スーツを格好良く着こなす彼の名前は雪耶暁斗。
先程車の中でも話題になった彼は、紅の父親である。

「暫く見ない間に随分美人になって…!!」
「いや、ならないから。一ヶ月くらいでは何も変わらないから」

一ヶ月やそこらで『随分』と言えるほど変わったら逆に変だ。
紅の場合は薬で縮んだのだからそれもありえるかもしれないが…普通はありえない。
今のところ、彼女はごくごく普通に成長してきている。
彼女の言葉は、その自分よりはいくらか小さい身体を抱きしめてご満悦の暁斗には届いていないだろう。

「日本は久しぶりなんだろう?体調を壊していないか?道は覚えた?学校の生活は?」
「…ディーノ、助けて」

とりあえず、彼の腕の中から後ろに居るディーノに助けを求めてみる。
そうしなければ延々と質問を繰り返されて、解放されるのは彼が満足してからになるだろう。
ディーノを振り向いた時、彼の背後に居た皆が微笑ましげに見つめているのが見えて何ともむず痒い。
彼は苦笑しながらも暁斗の肩をポンと叩いた。

「姫さんは長旅でお疲れなんだとさ。質問は明日にしてやれよ」
「あ、そうだな。腹は減ってないか?」
「軽く空いてるかな。何かある?」

漸く解放された紅は首を傾げて問いかける。
暁斗から帰って来るのは少年のような笑みだ。

「お前の好物ばかり用意してある。今日は飲み明かすぞー!!」

前半部分は紅に、後半部分はファミリーに向けた言葉。
紅たち三人を先頭にして、一団が移動を始めた。
さながら小民族の大移動だ。

「…相変わらずの親馬鹿だ…」
「だな。ま、可愛くなきゃ未婚の身でお前を引き取ったりしないだろ?」

料理長に声を掛けてくるといって暁斗はすでに食堂に向かった。
のんびりと廊下を歩きながら、紅は苦笑いを浮かべる。
紅と暁斗の間には血縁関係はなく、戸籍上だけの親子。
因みに暁斗は 独身暦=実年齢 だ。

「お父さんって呼んでやれよ、泣いて喜ぶからな」
「………気が向いたらね」

可愛いと言う事を隠しもしない父親と、やや天邪鬼な娘。
二人にとっては、これくらいが丁度いいのかもしれない。

「あぁ、紅」
「ん?」
「おかえり」
「…ただいま」

これが、長くて短い三週間の幕開けだ。

06.09.03