黒揚羽
Target  --006

放課後になり、紅は案内板で応接室の場所を確認する。
「話をしようよ」と声を掛けてくるクラスメイトはやんわりと断ってきた。
応接室の場所くらい誰かに聞けばいいものだが、聞けば色々と質問されるのは必至。
自分の容姿が目立つ事を理解している彼女の、不必要な面倒は避けるための予防策だった。

「ここか」

部屋の扉を前に、応接室と書かれたプレートを見上げる。
長引かなければいいけれど…と思いつつ、扉に手を打ち付けてノックする。
中からの声は存外に若い物だった。

「(何か聞き覚えが…あるような…)失礼します」

嫌な予感を受けつつも、紅はドアノブを捻って応接室へと一歩踏み出す。
こちらに背を向けるように窓際に立つ背中には、見覚えがあった。

「やぁ。思ったより早かったね」

踵を返そうとする前に、扉は無情にもその口をバタンと閉ざしてしまう。








何を言うでもなく一度閉じてしまった扉を開いて出て行く、と言うのも気が引ける。
どうしようかと考えている間に部屋を出る機を逸した彼女は、促されるようにソファーに腰掛けた。

「やっぱり君だったんだね。転入生を探すのは楽だったよ」
「………何で、あなたがここに居るんですか?」
「ここは風紀委員の活動部屋だから」
「…左様ですか…」

向かいで笑みを作る彼は然る事ながら、テーブルの上に置かれた湯気立つカップさえも憎らしく感じてしまう。
何なんだ、この扱いは…そう思いながらも、口に出すのは憚られていると言うのが現状だ。
因みにこのカップ、先程短い学ランに風紀委員の腕章を付け立派なリーゼントをお持ちの方が運んできたもの。
彼がこの紅茶を入れたのだろうかと思うと、少し笑えてくる。

「ところで…今度は逃げなかったんだね」
「知ってたら全力で逃げました」
「…だろうね。校門を固めさせたのは無駄になったけど…まぁ、いいか」

そう言うと、雲雀は携帯を手にし、どこかへかける。
相手が出たのだろう、「もういいよ」と一言だけ言うと、何の躊躇いも迷いも無くプチッと通話を切る。
その傍若無人ぶりに、紅は思わず苦笑を浮かべた。
一人のために校門に集められ、そしてたった一言で解散させられる。
それでも雲雀に着いて行く辺り、人を惹きつける何かがあるのだろうか…と彼を見る。
その視線に気付いたのか、窓の方へと向けていた視線がこちらを向いた。
何を言うでもなく見つめる事数秒、そして紅は思う。

――彼は嫌いじゃない。

「…で、私は何の用でここに?」
「とりあえず…君の名前を聞いておこうか」
「…紅です。雪耶、紅」

転入生だと知っていて、尚且つ放課後と時間を指定して自分を呼び出したのだ。
名前くらいは分かっているだろうが…どうやら、本人の口から聞きたいらしい。
そんな事を考えつつも、紅は割合と短い時間でそう答える。

「あっさり答えたね」
「あなたが強いって事はよくわかりましたから」
「その急に敬語を使い出したところも気になるな」
「……………癖、みたいなものですよ」

長い沈黙の存在を思えば、彼女が大まかな説明を省いた事くらい丸分かりだ。
それに、彼女は一番初めに出会った時には挑発的に話していたのだから…癖だけで片付けられる問題ではない。
尊敬故のものなのだと知らない彼は、静かに口を噤む。
そして話を終わらせるかのように立ち上がった。



暫くはその背中を見つめていた紅だが、手持ち無沙汰になったのか前のティーカップに手を伸ばす。
白いカップに唇をつけ、こくんと喉を動かせば柔らかい紅茶の味が通っていく。
あの風紀委員、見た目とは裏腹に中々淹れるのが上手い。
そんな事を考えつつ、紅が再びカップを傾け、それを喉に通そうとしたその時だ。

「…ねぇ、紅」
「げほっ!」

気管支を直撃したそれに、彼女は盛大にむせ返る。
何をやっているんだ、とでも言いたげな呆れた視線が痛い。
漸く呼吸が落ち着いた頃、紅は睨むようにして彼を見た。

「何で行き成り名前を呼び捨てるんですか!」

思いっきり咽ましたよ!と、半ば八つ当たりに近い内容の文句を発する。
涙目で睨んでも今一迫力に欠けるのだが、彼女は気付いていないのだろう。

「そんな事どうでもいいよ。それより、紅」
「(駄目だ…このまま定着する…)」
「風紀委員に入るつもりは無い?」
「(私もその内慣れそうだな……まぁ、問題ないと言えば問題ないか…)」
「…聞いてる?」
「聞こえてますからその手の物をしまってください」

首を傾げつつ手の中で鈍くそれを光らせる雲雀。
こんな所でそんな物を振り回された日には、周囲を破壊する自信がある。
良くて半壊、悪ければ学校と言う建物そのものが危機に晒される事になりかねない。

「返事は?」
「…まぁ、別に構いませんけど。元々選択肢が用意されていないように思うのは気のせいじゃありませんよね」

とりあえずカップを置いて、窓にもたれるようにして腕を組む彼を見る。
その表情は断る事を許していないと言うよりは、断る事などありえないと言う感じだ。

「僕に負けず劣らず好戦的な君なら、十分楽しめると思うよ」

やっていけるかではなく、楽しめるかと言う時点で彼との思考の近さを感じる。
自然と持ち上がる口角に気付きながらも紅はそれを隠そうとはしなかった。

「…いいですよ。入ります」

開け放たれていた窓からの風が部屋の中を巡る。














「委員の人との顔合わせとかあるんですか?」
「したいならすればいいけど、別に必要ないよ。これを付けていればわかるから」

そう言って手渡された、風紀と言う刺繍の入った腕章。
しっかりした作りになっているらしく、安物の軽さは無い。
じっとそれを見下ろしたまま動かない彼女に、雲雀は内心首を傾げた。
まさか使い方が分からないと言う事はないだろう。

「雲雀さん、これって付けないと駄目なんですか?」

漸くそれから視線を外した彼女は、腕章を指に挟んで持ち上げる。
肩ほどに持ち上げたそれをユラユラと揺らした。

「嫌なの?」
「ああなるのは嫌ですね」

転入したばっかりでただでさえ目立ちますし、と彼女は窓の外…校門へと続く道を指差した。
応接室が階上にあるため、見下ろす形となる。
彼女が指差したところには、この学校指定のブレザーではない学ランに身を包んだ男子生徒が三名。
遠目に見ても、彼らの腕にこれと同じ腕章があることが分かる。
そんな彼らが前を通ると、周囲の生徒が腰を折って頭を下げた。
紅が言いたかったのはその状況の事だろう。

「…付けてなくても噂は広まるよ」
「その時になったら諦めます」
「……………強情だね」
「今更です」

もっと可愛らしい性格だったならば、元々こんな風紀委員の活動場所に呼ばれるような事は無いはずだ。
彼の言葉を肯定と取ったのか、紅は自分の鞄を引き寄せて腕章をその中に入れる。
日常的にこれをつける日が来るのは………恐らく、そう遠くはないだろう。

「一つ言い忘れてたけど…新入りは洗礼受けるらしいよ」
「入ることを承諾する前に言ってほしいですね、そう言う人の今後を左右する大事な事は」
「頑張ってね」

人事のようにそう言った彼に、紅は深く溜め息を吐く。


毎日が面倒な事になりそうだ…そう思いながら、窓の外にある6月の空を見上げた。
大きな入道雲が、もう間もなくやってくる夏の訪れを感じさせる。
一筋の飛行機雲を見つけ、彼女はそっと目を細めた。

06.08.23