黒揚羽
Target --005
紅は携帯のメロディに起こされる。
ベッドから腕だけを伸ばし、枕もとのボックスの上に乗っているそれを掴んで布団へと引きずり込む。
ピタリとメロディが止んで数秒後、彼女は漸く布団から顔を出した。
「…今日から2回目の中学校生活開始…か」
誰に向けるでもなく呟くと、彼女はベッドから降りた。
ひんやりとしたフローリングが素足の裏に心地よい。
どこか危うい足取りで、彼女はそのまま洗面所へと歩いていった。
寝相がいいお蔭か大した寝癖も無く、髪のセットを終える頃には頭も冴えていた。
一人で使うには大きすぎるだろうという冷蔵庫の前に立ち、中身を確認して朝食のメニューを決める。
「…パンとスープでいいか」
今までイタリアで過ごしてきたからか、あまり手の込んだものは作らない。
本音を言えばパンとヨーグルトで十分だったのだが、残念ながら後者が冷蔵庫に存在しなかった。
その為、彼女が今しがた呟いたメニューになったというわけである。
自分でキッチンに立つのも久しぶりだなぁ、などと考えながら野菜を切る。
小さな角切りにしたそれらを小鍋に入れ、後はコンソメを適量落とす。
はっきり言って手順も何もあったものではないが、彼女からすれば食べられれば何でもいい。
紅は酷くはないものの、低血圧だった。
野菜に火を通している間に食パンをトースターに放り込み、一旦キッチンを離れる。
数秒後にリビングに戻った時には制服と学生鞄を手に提げていた。
それらをソファーにおいてキッチンへと戻る。
鍋の中の玉葱が半透明になっているのを確認して火を止め、皿とカップを用意。
「…あ、サイフォンが無い…」
コーヒーを淹れる準備をしていてハッと気付く。
まだ寝ているのかと言うほどの反応の遅さだ。
暫くコーヒーの袋を見つめた後、紅は食器棚の中に入っていたインスタントとそれとを置き換えた。
カップにそれを入れ、スープを作る時に一緒に火にかけていたケトルの湯を注ぐ。
湯気立つそれと共に装ったスープをダイニングのテーブルに運んだ。
すでにトースターから頭を覗かせていた少しこげ色のついたトーストを皿に載せて椅子に腰を下ろす。
ここまでの準備で、所要時間は約30分。
低血圧で目が覚めきっていないにしては十分だ。
リモコンを操作すれば、テレビが喋りだして今日の天気を伝えてくれる。
自分に必要な事以外を全て聞き流しつつ食事を終え、後片付けを済ませる。
パジャマ代わりに着ていたTシャツを脱ぎ、慣れた手つきでタトゥーの上に包帯を巻く。
その上からきっちりと制服を着込んだ頃には家を出るのに丁度良い時間。
慣れた様子で忘れ物と火の元だけを確認する辺り、すでに一人暮らしが板についているような錯覚すら覚える。
紅は本来中学校2年生に所属すべきだ。
しかし、今までイタリアに留学していた事になっている彼女は、学力などの不安から1年生に配属された。
どの道彼女にとってはあまり大きな差は無い。
前を歩く教師に続きながら、教室までの道順を頭に入れていた。
「…センセの陰謀を感じる…」
教室に案内され、教卓の隣に立たされた彼女は小さく…誰にも聞こえないほどに小さく呟く。
少し前に転入生を迎えたばかりの教室は、新たな転入生にざわめいた。
しかも、今度喜んだのは前回肩を落とした男子諸君だ。
「本来なら一つ上の学年だが、留学の関係で1年生に転入となった雪耶さんだ。
前に転校してきた獄寺と同じくイタリアで語学学習の為に留学していたらしい」
「(あ、そう言う事で話が進んでたんですか。)」
本人が知らないというのもまたおかしな話だが、手続き全般は全て保護者に任せていた。
確かに筋を通そうと思えば留学にしておくのが一番だろう。
「雪耶さん、何か一言あるかい?」
「…雪耶紅です。先日帰国したばかりですのでまた色々と教えてくださいね」
前回の転入生の時には本人の性格上一言、と言えるような状況ではなかった。
紅の言葉に満足げに頷く担任教師。
物怖じする事無く笑顔でそう言った彼女は、男女共に好感を持たれたようだ。
見たところ男子の方が喜びは大きそうだが。
「君の席は一番後ろの廊下側だ」
そう言われて席に着き、ふと視線を感じて窓際へとそれを向ける。
ばっちり視線を合わせたのは先程からじっと見ていたツナだ。
紅はにっこりと笑い「後でね」と唇だけで伝える。
そうして、HRを進める担任の方を向いた。
「あー、雪耶さん。少し話がある」
HRも終わり、教室を出ようとした担任が思い出したように彼女を呼んだ。
紅はそれに返事を返して後ろのドアから廊下へと出る。
すでに廊下で待っていた彼の元へと近づいた。
「君の委員会なんだが」
「委員会は全員必ず入るんですか?」
「いや、別に入らなくても構わないんだが………と、兎に角!放課後応接室に行ってくれ!何が何でも!」
「応接室?て言うか、そこまで必死に言わなくても…」
普通の生徒ならばあまり関わりの無い部屋だ。
紅の疑問に答えることもなく、担任は「絶対に行くように」と念を押すと足早に廊下を去っていく。
さも、彼女に色々と聞かれるのを恐れるかのように。
「………ま、いっか。応接室ね」
そう呟いて、教室の中へと戻る。
余談だが、教室に入った途端に紅はクラスメイトらに囲まれ質問の嵐を受けた。
昼休みになると、流石の紅も質問に答えるのが面倒になってきていた。
適当に理由を付けて昼食に誘ってくれるクラスメイトから離れ、屋上に来ていた紅。
給水塔に凭れるようにして座っていた彼女は、屋上の扉がギィと悲鳴を上げるのを聞いた。
何かと思って下を見てみれば、三人の男子生徒。
しかもその内の一人はすでに顔なじみのツナだ。
「あ、ツナくん」
「え?」
思わず零れた声を聞いたのか、彼がキョロキョロと左右を見回す。
そんな彼をクスリと笑うと、紅は「上だよ」と彼に声を掛けた。
その声に反応して見上げてくる彼に手を振れば、隣の目つきのよろしくない男子生徒が睨みつけてくる。
紅は肩を竦めて荷物を纏めると、そこからトンッと飛び降りた。
軽い足取りで屋上のコンクリートへと降り立つと、改めて彼らに向き直る。
「そっちの二人はとりあえず初めまして。で、ツナくんは昨日ぶりね」
「まさか紅さんが同じクラスになるとは思わなかったよ」
「うん。私も予想外の展開に驚いた」
お互い笑顔で言葉を交わす二人。
それを微笑ましいと見る者と、そうでない者に分かれるのにそう時間は必要なかった。
「おい、10代目に馴れ馴れしくするんじゃねぇ」
ズイッとツナの前に立ったのは、先程睨んできた目つきのよろしくない彼だ。
紅は彼と、もう一人の黒い短髪の男子生徒を交互に見つめ、最後に先程の彼に視線を戻した。
「なるほど。君がツナくんが話していた獄寺くんで…君が山本くんね」
順番に視線を向けつつそう言った紅に、彼…獄寺は暫し言葉を失う。
彼の脳裏では「10代目は俺の何を話したんだ…!?」と言う疑問がぐるぐると回っていた。
その後ろでは山本が「よく分かったなー」と笑っている。
「山本くんは野球が上手いんだってね。今度部活を見せてもらってもいい?」
「おう、いいぜ。…それより、その山本くんってのどうにかならねぇ?何かくすぐったいな」
「………じゃあ…山本?」
敬称を省けば、彼は満足げに頷く。
それを見て紅も呼び捨てで構わないと告げ、未だ沈黙していた獄寺に向き直った。
「…獄寺くんだったよね」
「気安く呼ぶな!」
「あー…了解。でさ、君の武器はダイナマイトだって聞いたんだけど…」
ハッと我に返って声を荒らげる獄寺に物ともせず、紅はサラリと流して言葉を続ける。
睨まれようが痛くも痒くもないと言った様子だ。
彼女の代わりにツナが慌てるくらいである。
「…それが何だよ?」
「ここにこんな物があるんだよね」
どこから取り出したのか、彼女は手の中に親指の一関節ほどの大きさの物体。
形状には酷く見覚えがあり、獄寺は咥えた煙草をポロリと落としてしまう。
「それ…」
「超小型ダイナマイト」
暇だったので作ってみた、と彼女は得意げに口角を持ち上げる。
予想通り、彼はこれに食いついてきた。
「はい。あげるから、使った感想聞かせてね」
「あ、ああ。これ、ホントに使えるのかよ?」
「ダイナマイトとしては君の持ってる通常サイズとさして変わらないよ。導火線短いから取り扱いに注意ね」
「…中身はどうなってるんだ?」
「通常サイズの半分もないから、その分火薬の量を重視してあるの。で、薬品は…」
頭をつき合わせて話し出す二人。
先程まで睨みあっていた(片方が一方的に)とは思えない光景だ。
「…意気投合してる…」
昼休みの殆どを話し込む二人の傍らで、ツナがそう呟いた。
06.08.22