黒揚羽
Target --003
校舎自体は古くも無く新しくも無く。
まぁ、勉強するには何も支障はないなと思える程度に大きく綺麗だった。
築何十年を誇っていた自分の学校とは大違いだと、紅は笑う。
いつまでも開け放たれたままの校門の外で立ち尽くしているわけにも行かず、彼女は一歩踏み出した。
校門を潜ったところで、彼女の耳に土を踏みしめる音が届く。
数はそう多くは無く―――…一人。
「堂々遅刻とはいい度胸だね?」
「午後一という約束ですから遅刻じゃないですよ―――って、雲雀恭弥さん?」
反射的に言葉に対する返事を唇に乗せつつ、紅は振り向いた。
その先に居たのは黒い学ランに袖を通し、鋭い眼光を彼女へと向ける学生――雲雀恭弥。
振り向いた彼女の顔を見て、漸く気付いたのだろう。
彼が眉を寄せる。
「…君、昨日の…」
「…思ったより早い再会で」
顔を引きつらせる紅を他所に、彼の腕にはすでに昨日も見た金属のアレ。
どこから取り出したんだと言う疑問を彼女が抱くはずも無く、今現在丸腰状態である彼女は軽く足を引いた。
「昨日の君に敬意を表しようか。この場で名乗るのと、地面に沈むのと…どっちがいい?」
「………奇妙な二択をどうも」
普通は考える間もなく『名前を名乗る』を選ぶところだろう。
しかし―――彼は、その時すでに悟っていたのかもしれない。
紅が、結構な負けず嫌いであると。
「一度言った事は撤回しないの、私」
「『勝てたら教える』って奴?アレ、本気だったんだ」
「冗談は言わない性格だから」
一歩ずつ後ろに下がってはいるのだが、依然として彼との距離は変わらない。
言うまでも無く、雲雀も同様に足を進めているからだ。
紅が一歩下がれば、彼も一歩踏み出す。
一瞬で詰められる程度の距離を開けているのは、単純に恐怖心を煽るためだろう。
「いいね、その負けず嫌いな性格。咬み殺したくなるよ」
「(咬み…?嬲り殺すの間違いじゃないの…?)」
紅がそんな事を考えた時、彼の姿が消える。
瞬きの間に自身の死角に入り込んだ彼のトンファーが鈍く光った。
軽く舌を打ちつつ、肩を掠める形でそれを避ける。
確実に入ったと思われた攻撃を避けられた雲雀は、口角を持ち上げた。
やはり、昨日感じた手ごたえは気のせいではない。
「君…強いね」
「…それに免じて出来れば解放して欲しいんだけど………無理みたいね」
右手だけでなく、左手にもトンファーが握られた。
明らかにここで止めるつもりの無い彼に、紅は言葉を終えて溜め息を落とす。
「(避ける事は…出来る。でも、こっちの攻撃は掠りもしない。強いなぁ、この人。さて…どうしたものか…。)」
校門が教室棟から離れている所為か、二人の遣り取りに目を留める人は居ない。
考え事を出来る辺りまだ余裕は残っているが、体力の差を考えれば向こうに分があるだろう。
チラリと目の端に捕らえた腕時計の針が、約束の時間を過ぎている事を教えてくれる。
転校初日の手続きに遅れるなど、彼女の中では許し難い愚行だ。
そろそろ本格的にまずい、と判断した紅は、軽く溜め息を吐いた。
「あの…」
「何?」
「そろそろ終わらせていただけたら有り難いんですけど…。って言うか、今普通に授業中ですよね」
大丈夫なんですか、と言う意味を込めて後半部分を呟いてみる。
だが、そんな事を気にするならば、こんな所に居たりはしないだろう。
現に彼の表情は「それがどうした」と語っている。
頬を掠めた金属に口元を引きつらせつつ、現状を打開するには自分が折れるしかないのだと悟った。
「名前教えれば素直に引いてくれます?」
今更だが、これしか思い浮かばない。
駄目元で言ってみた台詞だが、彼女の予想外の返事が返ってくる。
「…いいよ」
その言葉と共に、一時的に緩まる攻撃の手。
生憎、紅はそれを見逃すような教育はされてきてはいない。
「ごめんなさい!」
半ば叫ぶようにしてそう言うと同時に、嵌めていた指輪の突起をピンと弾く。
指輪を中心に閃光が走った頃にはすでに身体を反転させていて、そのまま脇目も振らずに走った。
校舎の生徒用玄関と思われる場所に走り込むと、紅は漸く足を緩めて立ち止まる。
「…また同じ方法で逃げちゃったよ…」
ハッと我に返ってそんな事を呟いた。
こう言うのを後の祭りと言うのだろう。
「毎日こんなのを繰り返してたらさぞかしいいトレーニングになるんだろうね…」
体重が激減しそう、とそんな事を言いながら、靴箱の脇にある校舎案内板を眺める。
来客用と書かれたボックス内からスリッパを拝借し、覚えた地図を元に職員室へと歩き出した。
途中、学生ならば誰もが聞き覚えのあるチャイムの音が校舎内に響き渡る。
ざわざわと教室棟からの声が廊下を伝って彼女の元まで届いてきた。
「…懐かしいな、この感じ」
「あれ、紅さん?」
「ん?あ、じゅ…じゃなくてツナくん。偶然だね」
この角を曲がれば職員室が真正面に見えるはず、と言うところで、紅は背後から呼び止められる。
振り向いた先に居たのはその声に違いなく、昨日会ったばかりのツナだった。
彼の腕には数学のワークが20センチほどの厚さに積まれている。
恐らく職員室まで運ぶ途中だったのだろう。
「紅さん今登校?ひょっとして迷ったり…」
「してないから安心して。今日は転校の説明を聞きに来ただけだから。それから、紅でいいよ」
重そうだから、と半分手伝うと進言する紅だが、彼の拒否により4分の1を手に持った。
正面に見えている職員室の扉に向かって歩きながら、二人は言葉を交わす。
「うーん…でも、何か紅さんって一つ上には見えないんだ。もっと年上に見えるって言うか…」
そんなわけ無いのに、と彼は笑う。
しかし、紅はツナの台詞に表情には出さないが、驚いていた。
「………中々イイ勘してるね、ツナくん」
「え?」
呟く声が聞こえたのか、ツナが問う。
それに対して、紅は真意を悟らせない笑みを浮かべるだけだった。
そうしている間に職員室に到着。
丁度出て行こうとしていた教師が開けてくれたスライド式の扉を潜り、中へと入った。
「あ、紅さん。ここまででいいよ。ありがとう」
「どういたしまして。ところで…山川って先生はどの人?」
「えっと………あぁ、あそこ。窓際でパソコンに向かってるあの人だよ」
ツナは両腕がふさがっているので、仕方なく顎でそちらを指す。
偶然にも窓際の席で座っている教師と言えば一人で、迷う事もなかった。
紅は今一度彼に礼を言って、ワークを渡してからその教師の方へと向かう。
「山川…先生ですか?」
「あぁ、そうだが…」
「遅れました。今週転入させていただく雪耶です」
ぺこりと頭を下げれば、山川はチラリと壁に掛けられた時計を見る。
時刻は約束の10分後を指している。
「10分遅刻だ」
「すみません。学校に到着したのは40分前なんですけど…校門付近で学ランの生徒と少々ありまして」
学ラン、と言う言葉を紡いだ途端、職員室のあちらこちらでガタンやらバサバサなどと様々な音が響く。
自分の言葉がそれの原因だと悟った紅は、きょとんと目を瞬かせた。
そんな彼女の周りに、その場に居た教師が集まってくる。
「左腕に腕章を付けた学ランの生徒!?」
「…あぁ、そう言えばありました。風紀委員の腕章」
「髪はリーゼント!?」
「リーゼントってまた古い…。普通の髪型でしたよ。ショートの」
これくらいの、と手で雲雀の髪の長さを示す。
周囲の教師が目に見えて青褪めた。
「よりによって彼か…!!」
「雪耶さん怪我は無い!?」
「特には…。あっても掠り傷ですよ」
女教師が紅の返事に胸を撫で下ろす。
どうやら彼女の予想を遥かに上回るほど恐怖の存在らしい。
そんな教師らの反応に、紅は「ふむ」と何やら考えるように手を顎に添えた。
「…………山川先生…私、遅刻になりますか?」
首を傾げた紅に、周囲の教師らが一斉に首を横に振った。
彼の所為で遅刻したわけだが、彼のお蔭でお咎め無しのようだ。
運がよかった、などと励ましてくる教師らに愛想笑いを浮かべる紅。
「(…ま、終わり良ければ全て良し…かな。)」
彼女がこんな事を考えていたと言う事を、教師らは知らない。
06.08.19