黒揚羽
Target --001
マンションに着いた紅は、荷物を置くなり部屋に設置されていたソファーに沈み込む。
長時間の飛行機は何とも言えず疲れるものだ。
ふと、室内にある化粧台の鏡が目に入る。
肩ほどの明るい茶色の髪に、印象的なその飴色の瞳。
黒色のチューブトップが、彼女の鎖骨のラインを隠す事はない。
右の鎖骨の上に舞う蝶のタトゥーが白い肌と対比して美しく映えていた。
見慣れた自身から視線を外し、紅はソファーから立ち上がる。
軽く空腹を訴える自身を諌めるため、とりあえず外に出ようと思った。
薄い皮製の上着に袖を通すと、脇に置いてあったウエストポーチと部屋の鍵を手に取る。
そして、紅は夕闇迫る町へと繰り出した。
「不良同士の喧嘩だ。ここから西にある公園には近づかない方がいいぜ」
マンションの近くに見つけたコンビニに入った紅。
少しでも世間の事を知っておくべきか…と思った彼女は、雑誌コーナーに佇んで買う雑誌を選んでいた。
彼女の耳に、そんな会話が届いてくる。
「何でも、ここらを牛耳ってるトップが出てきてるらしい」
「へぇ…巻き込まれないようにしねぇとな。確か、トップって並中の奴だろ?」
そんな言葉を交わしつつ、男二人は雑誌のコーナーを横切ってドリンクの方へと歩いていく。
彼らの会話を背中で聞いていた紅が、ラックに立っている一冊を手に取った。
「ふぅん…ここらを牛耳ってる並中生、か…」
興味あるなぁ…、と彼女は口角を持ち上げる。
手に取った一冊と、小さな弁当を手に持ってレジへと足を運ぶ。
「…この辺を牛耳ってるなんて言うからもっとごつい男を想像してたんだけど…」
屍累々の光景に対しても物怖じしないその声。
どこか楽しげな声に、雲雀はトンファーに付着した赤を払うようにヒュッと振る。
点々と地面を赤く染めるそれを見下ろさず、彼は背後から声を掛けたその主を振り返った。
「Piacere!うん。予想以上の男前ね」
「…誰?」
多くを語らない雲雀の質問に、その人物はくっと口角を持ち上げた。
一見すると華奢にも思えるような、均整な身体を持つ女性…と言うよりもまだ少女。
動き易さを重視していながらも、センスの良い服装に身を包んでいる。
服装だけを見ていれば、女性と形容するも十分に思えた。
明るい茶色の髪は肩の辺りで綺麗に揃っていて、彼女が動くのにあわせて揺れる。
彼女の腕には不似合いなビニール袋が提げられていた。
「んー…私に勝てたら教えてあげてもいいよ」
「何?死にたいの?」
「すでに見逃すつもりの無い人が言うセリフじゃないと思うけどね」
彼女はクスリと笑みを零し、雲雀を見つめた。
すでに臨戦態勢の彼は自身の獲物をくるりと回す。
それが元の位置に戻ると同時に、彼は地面を蹴って少女との間合いを一瞬のうちにゼロにした。
女性であると言う情けも容赦も無く、トンファーは寸分の狂いも無く彼女の顔面へと向かう。
だが、それは彼女の顎より数センチ手前でピタリと動かなくなった。
「容赦ない攻撃だね」
「…鞭?」
反動をつけて背後に引くと、彼は彼女の持つそれを見た。
呟いた言葉通り、彼女の手の中にあったのは黒く鈍い光を放つ鞭。
「その辺を歩く女子供とはワケが違うから」
「ふぅん…やるね。その威勢がどこまで続くか楽しみだよ」
雲雀の口元の笑みが深まる。
それを見て少女は苦笑を浮かべて肩を竦めた。
両手で持っていた自身の獲物を片手に持ち直し、ヒュッと振る。
打たれた地面がパシンと小石や砂を撒き散らした。
「師匠の面子にかけて、無様な負け方は出来ないのよね」
ぺろりと赤い唇に舌を滑らせつつ、悪戯めいた笑みを零す。
自分と対峙する事を純粋に楽しんでいるように見え、雲雀はいつもと違う勝手に内心眉を潜めた。
それでも、自分の目の前に立つものは薙ぎ倒すと言う事実は変わらない。
久々に骨のある相手を前に、彼もほんの少しばかり笑みを深めた。
どのくらい時間が経過しただろうか。
少女は軽く息を弾ませ、雲雀の方も顔には出さないが僅かな疲労感を感じる程度の時間。
やや雲雀の方が優勢と見えたその時。
――ピリピリピリ――
「あ、ごめん。タイム」
少女に左のトンファーを腕ごと鞭で絡め取られた雲雀が、彼女の側頭部にもう一方を沈めようとした、まさにその時だ。
いとも簡単に鞭を解くと、彼女はトンと地面を蹴って軽やかに後ろに下がった。
そのまま雲雀の方に視線を向ける事無く、片手を肩ほどにあげてもう片方はポケットに突っ込んでいる。
取り出したダークグレイの携帯をパカッと開き、ボタンを押した。
「はい」
あまりに当たり前のようにそれを行うものだから、雲雀の方も一時呆気に取られる。
今までには経験した事のない反応に、彼の脳はその対処に困った。
「やだなー…ちゃんと着いてるよ。連絡が遅れただけじゃない。
…………………あぁ!忘れてた!うっわ、やば!楽しんでる場合じゃない!」
ケラケラと笑っていたかと思えば、突然大声を上げて慌てる。
見ている分には飽きない少女は、すみませんと叫んで乱暴に通話を切った。
恐らく、相手はまだ電話が終わるとは思って居なかっただろう。
「あー…やばいやばい。センセの銃弾食らうっ」
「…ちょっと。どこに行くつもり?」
「急用が出来たのでこれにて失礼するわ!」
ごめん、と片手で謝る様な仕草を見せるが、どうにも謝られているようには見えない。
雲雀は軽く眉を顰めた後、トンファーを構えた。
鋭い眼光が、戦闘開始後脇へと置いていたコンビニの袋を持ち上げる少女へと向けられる。
「逃がすと思ってるの?」
「あぁ、大丈夫」
彼女はくるくると鞭を束ねるとにっこりと笑った。
それを腰のウエストポーチに収めると、別の何かをそこから取り出す。
「逃げ足には自信があるから」
ニッと持ち上げられた口角を見た直後、視界は眩い光に機能を奪われる。
油断した、とは思いつつも、今更ながらに目を腕で覆う彼。
まさかこんな少女が閃光手榴弾を使うとは思わなかった、と言うのは言い訳になるだろうか。
「近いうちにまた会えるよ。雲雀恭弥さん」
そんな声を残して、彼女は去った。
目が慣れた頃にはすでに跡形も無く消え去っていて、トンファーの微妙な凹みだけが彼女の存在を教えている。
いつの間にか落ちてしまっていた学ランを拾い上げて彼は歩き出した。
「…変な女」
小さく呟いた自身の口元は持ち上がっていただろう。
自分の中に、再会を楽しみにしている心があるなど…認めないけれど。
06.08.17