Malachite 孔雀石
ティルが保護されていたのは、カタクリの船の中だった。
再会したときにはすでに船医によって、気を失っているだけだとの診断を受けていた。
元々、3年前に封鎖された西の港は、港付近の建物の老朽化が原因であり、それを機に東と南の港に船を集中させることにしたらしい。
そして、その西の港は、人気がなく都合がよいと言うことで、カタクリの船が利用する港として定着していたようだ。
「ティル…良かった」
通された船室の一つで、静かに眠るティルの姿を見て、コウはホッと胸を撫で下ろした。
カタクリの部下により保護されたという時点で、命に別状はないだろうことはわかっていた。
しかし、実際に無事な姿を確認するまでは、やはりどこかに不安を抱いていたことも否定はできない。
「―――確かに」
似ているな、という言葉はなかった。
コウはティルの頬をするりと撫で、背後に立つカタクリを振り向く。
そして、その場で立ち上がってから、深々と頭を下げた。
「ティルを助けてくれてありがとう」
「…部下が勝手にしたことだ」
「連絡を受けて、放り出すこともできたはずだ。それをしなかったことに感謝している」
顔を上げたコウの穏やかな笑顔に、カタクリは無言で目を細めた。
「…どこか、話をできる場所は借りられるだろうか」
「―――あぁ」
「ならば、話をしよう。皆はティルと共にいてほしい」
コウがそう言うと、カタクリの部下が三人分の椅子を用意してくれた。
それに対して礼を述べ、既に船室を出ようとしているカタクリに続く。
そこで、コウ、と呼び止められた。
「大丈夫か?」
「…あぁ、大丈夫だよ。私にとって害はないし、覚悟もできた」
ティルを頼んだよ、そう言い残し、コウはヴィントに背を向けた。
彼女の背を見つめ、そしてその向こうにいるカタクリに視線を向ける。
どこか鋭く睨まれているような気がするのは、恐らく自分の想い過ごしではないだろう。
「ねぇ、ヴィント。ティルは大丈夫?」
心配そうなイグニアの声に、ヴィントはティルの傍らに膝を付いて簡単に状態を観察する。
ヴィントは船医ではないが、船の上ではそれに近い立場にあり、医者と名乗れずとも知識もある。
一頻りの観察を終えると、彼は小さく頷いた。
「ここの船医の見立てとそう変わりはない。問題はないだろう」
彼の言葉に、二人がほっと安堵の息を零した。
この船は、どこもかしこも天井が高い。
随分と大きな船だな、と天井を見上げながら抱いた感想は、思い出した彼のプロフィールによって納得できた。
シャーロット・カタクリ。
現在の四皇であるシャーロット・リンリンの次男であり、彼女の率いるビッグ・マム海賊団の幹部。
本来の身長は見上げるような巨漢であるという噂を耳にした。
コウが昔、たった一度だけ出会ったあの時も、既に目線を合わせるのが難しい身長だった。
通された部屋は、先ほどの船室とは異なり、倍以上の広さであった。
置かれている家具の類も立派で、目を引くベッドの大きさに、この部屋が彼のものであると理解する。
今のカタクリの身長は2m程度であるため、大きなソファには少しばかり不釣り合いに見えた。
促されるままに彼の向かいに腰を下ろし、溜めた吐息を一つ。
「もう察しているだろうが―――ティルは息子だ。驚くべきことだが、あの一夜の」
「…あぁ、そうだろうな」
疑いようもない、と小さく笑った気がした。
彼の口元はたっぷりとしたファーに隠されていて、鼻先より下の表情を確認することはできない。
元々口数も多くはないし、表情豊かではない彼の目元だけでは、その心のうちは伝わりにくい。
「勝手なことをしてくれた―――と責められることも覚悟していたわけだが…どうやら、私の一方的な責だけではなさそうだね?」
「………」
「港で万国の旗印を見た。島民には、私は万国に嫁いだと認識されているらしい。私は、誰かを伴侶とした覚えはないのだが」
実際、コウは結婚が決まってからそれを拒んで島を飛び出している。
それなのに、嫁入りしていると聞かされた時の驚きと言ったら。
「さらに言うならば、私の結婚相手は隣の島の王子だった。少なくとも、その婚姻が万国と繋がりを得るものであるはずがない」
「…お前は、その男に嫁ぐつもりだったのか?」
「………君と出会ったあの日は、少なくともそう思っていたよ。それが国益になると知っていたからね」
コウが僅かに瞼を伏せてそう言えば、カタクリの細められた眼が一瞬だけ殺気を帯びる。
ピリピリとした肌を刺すような空気を物ともせず、彼女は背筋を伸ばした。
「回りくどい話はやめにしよう。君と私の関係は?」
「―――夫婦だ。16年前に結婚した」
「…それは正式な?」
疑っているわけではないけれど、その点ははっきりとすべきだ。
コウの問いかけに、腰を上げたカタクリが壁際に置かれた本棚から一つのファイルを取り出してきた。
差し出されたページには、とある書類のコピーが挟まれている。
「………あぁ、間違いなく、私の署名だね」
正式な書類に対してのみ書き記すその署名を、これほど忠実に再現することは難しいだろう。
コウの国で取り扱われている婚姻届けの写しを前に、深々と溜め息を吐きだした。
この書類に、覚えがないわけではない。
「隣国の王子との結婚が決まり、先に書類を作るからと署名した覚えがある。しかし、これは島を出る時に燃やしてきたはずだが―――」
どうして、残っているのか。
そう考えたところで、はた、と気付く。
「…父上か…彼の能力ならば、燃えカスからの復元も容易だ」
万全を期すならば、燃やすだけではなく持ち出すべきだった。
そう呟いて額に手を当て、天井を仰いだ。
「それで…君はなぜ、私と結婚したんだ?」
「言ったはずだ。“お前の時間を俺に寄越せ”とな」
「…あぁ、聞いたことのあるセリフだね。あの一夜限りの話だと思ってたけれど」
「ママを説得してこっちの準備を整えて漸く迎えに行けば、お前は島を出た後だった。国益になると判断した王は、書類だけで構わないならと承諾したぞ」
「あの人は、まったく…。それにしたって、16年も不在の妻と、婚姻関係を続ける理由はないだろう?」
「…なら、逆に聞こう。お前は、何故ティルを産んだ?」
質問に質問を返されて、あぁ、と納得する。
彼と接したのはたった一晩だけだ。
けれど、その一晩はコウの人生を変えた。
この人も、そうだったのかもしれない―――自惚れのような考えだが、その目はそれが事実だと告げている気がした。
「…島を出たのは、結婚が三か月後に迫った日―――妊娠に気付いたからだ。嫌だと思ったよ、この身体を差し出すことも、生まれる命を奪われることも」
それまでは、それが当然の運命なのだと思っていた。
けれど、自らの身体に宿った命を知り、失いたくないと思った。
―――自由にすればいいだろう。
あの日、カタクリから聞いた言葉が、脳裏を過ったのだ。
だから、この命を守るために、飛び出すのは今しかないと思った。
もちろん、連れ戻されることも覚悟していたけれど、何の音沙汰もなかった。
その時点で、気付くべきだったのだろう。
父は身内の情は厚いが、国益のためには残酷にもなれる人なのだから。
「…別に、連れ戻そうとは考えていなかった。お前は、楽しそうに笑っていたからな。紙切れ一枚の関係だとしても、俺のものならそれで良かった」
首狩りの噂は何度も耳にしていたし、新聞などで顔を見ることもあった。
その中で、楽しげに笑う表情を見て、自由に笑っているならばそれで良いと思っていたのだ。
カタクリは、言葉数少なくそう教えてくれた。
「…ティルは、日を追うごとに君に似ていく。正直、君を思い出さない日はなかったよ」
コウはそう言って小さく笑う。
「カタクリ…勝手なことをしたと、私を怒ってくれていい。ただ、ティルだけは―――」
どうか、あの子だけは、愛してあげてほしい。
「―――コウ」
言葉の途中で、立ち上がったカタクリが三歩でコウとの距離を詰め、彼女の腕を引く。
あっさりと引き寄せられた身体は、何の抵抗もなくその腕の中に納まった。
その抱擁が答えなのだと理解したコウは、ありがとう、と呟きながら、その逞しい背中に腕をまわした。
18.07.15