Malachite 孔雀石
ティルの心中は穏やかではなかった。
何者かに殴られてからの記憶はなく、目を覚ましたら見知らぬ船の一室にいた。
それでも、傍にいたイグニアたちのお蔭で、自分が無事であることは理解できている。
「お二人を呼んできます」と船の一員であろう人物が部屋を出ていくのを見送り、二人?と疑問を抱く。
そんなティルに気付いたのか、ヴィントが彼の名を呼んだ。
「何か、身体に不調は?眩暈や吐き気は?」
「殴られたところは痛いけど、特にない」
「なら、この後コウが来るだろうから―――覚悟しておけ」
「覚悟?油断してるから襲われるんだって怒られるのか?」
コウってそう言うこと怒るっけ?と隣のイグニアに問いかけるも、返ってくるのは苦笑だ。
どうやら、そう言うことではないらしいと察して、口を噤む。
「きっと、ティルが知りたいと思っていたことを、知ることになると思うわ」
「俺が、知りたいと思ってたこと…」
心当たりは、ある。
この島に来たら、少なくとも何かを知ることになるだろうと、そんな予感もあったから。
足音が近づいてくる。
イグニアやヴィントの横顔に僅かな緊張が見られ、その足音がコウだけではないと察した。
ティルがドアに視線を向けると同時に、勢い良く開かれたそこからコウが飛び込んできた。
「ティル…!良かった」
ベッドの所まで走ってきたコウが、ティルの頬に手を添えて安堵の息を零す。
痛むところは?眩暈は?そんな風に体調を問う彼女の声が、右から左へと流れて行った。
聞き流そうと思っていたわけではない、理解する余裕がなかったのだ。
コウに続いて入ってきた、長身の男の存在によって。
コウはティルの視線の先に誰がいるのかを察して、ティルを解放した。
「…彼の名はカタクリ。君の、父親だよ」
「父、親…」
それは、理解できた。
こんなにも自分が似ているのだ、それが嘘偽りだとは思えなかった。
しかし、疑問は残る。
「…え、ちょ…姉さん、待ってくれ。姉さん、全然似てねぇじゃん」
「…姉さん?」
そう、コウと、カタクリと紹介された男は、全く似ていないのだ。
彼がティルの父親であるのならば、コウの父親でもあるはずで、だからこその混乱が彼を惑わす。
しかし、ティルの言葉により小さく呟いたカタクリの声に、思わず肩を揺らして口を閉ざす。
カタクリはティルの反応など気にせずに、コウへと視線を投げた。
それに気付いたコウは苦笑いを浮かべる。
「…ティル。私は昔、君にい言ったね。“私は君の母であり姉であり、船長であり、そして仲間だ”と」
「聞いた。姉さん、コウが、俺を育ててくれたって、聞いてたから」
「間違いではない―――が、少しだけ違う」
コウはティルの手を取り、続く言葉を紡いだ。
「君は、私の息子だよ。間違いなく、私が産んだ息子だ。これを知っていたのは、ヴィントだけだ。ヴィントにはとても助けられたよ」
「…俺は、コウがこの島を出る時に、一緒に連れ出してもらったんだ。10歳くらいだった」
ヴィントはそう告げると、イグニアとアクリアを促して退室した。
彼らに続き、船員たちもカタクリに目配せをしてから部屋を後にする。
残された三人に、暫くの沈黙が下りた。
「真実を隠していたつもりはないんだ。ただ―――言えなかった、のかもしれない」
ベッドの傍らでそう肩を落とすコウの言葉は、偽りではないのだろうと感じた。
昔、子どもの頃に一度だけ聞いたことがあるのだ。
父さんと母さんはどうしているんだ、と。
そのときのコウの表情が、あまりにも切なくて。
子どもながらに、そんな表情をさせてしまったことを後悔して、それ以降は両親のことは考えないようにしていた。
もうすでに亡くしてしまっているのかもしれない、そう思うことで、好奇心を押さえていた。
「結婚を拒んで島を出たことは話したね。その前に、彼と出会っていたんだ。私は―――」
コウはちらりとカタクリを見た。
そして、少しだけ躊躇うようにして、やがて決心したように口を開く。
「私は、彼を忘れることができなくて、君を妊娠したときに、島を出た…そして、君を産んだ」
少しだけ恥ずかしそうにそう告げるコウ。
その隣では、カタクリが腕を組んで表情を顰めていた。
そんな彼の様子を見て、ティルは少しだけ俯く。
―――もしかすると、自分は望まれていなかったのかもしれない。
カタクリの様子から、そんな風に考えてしまった。
コウはティルの反応に首を傾げ、そしてハッとしたようにカタクリを見た。
「違う!」
「!!」
慌てて声を上げると、ティルはビクリと驚いた様子で顔を上げた。
「違うんだ、ティル。私は君に生まれてほしかったから産んだ。私も、もしかしたら勝手な行動だったかもしれないと思っていた。けれど、彼は…」
そのとき、カタクリの手がティルの頭の上に載せられた。
大きな手に身を固くするティルだが、その手が躊躇いながらも頭を撫でていることに気付くと、少しだけ力を抜くことができた。
「コウ。二人で少し話したい」
カタクリにそう求められ、コウはティルを見た。
彼は悩むように沈黙し、やがて頷く。
それを見て、彼女は外で待っている、と言い残して船室を後にした。
「父さん…なんだな」
「ああ」
「…海賊?」
まさか、この身なりで普通の町人ではないだろうと思っての言葉は、あっさりと肯定された。
「そうだな。ビッグ・マム海賊団で幹部をしている」
「(まさかの四皇!!名前しか知らねぇけど名前は知ってる!!)」
基本的に、コウは超大物を狙わない。
首狩り自体が少数精鋭であり、かつ自分の力量も正しく理解している。
多勢に無勢が不利であることをよく理解しており、無謀なことは一切しない。
だからこそ、四皇の存在などは赤髪、白ひげを除いては名前を知っている程度である。
ちなみにその2つの海賊団については、友好関係にあるのだから不思議だ。
「…じゃあ、俺ってあちこちに兄さんやら姉さんがいるのか?」
「……いや、コウが産んだという話は聞いていないが?」
「じゃなくてさ、海賊ってあちこちに愛人やら何やら抱えてるんじゃねぇの?」
「…あぁ…否定はしないな。俺のママ―――お前の祖母には夫が40人以上いる」
「40…っ」
馬鹿じゃねぇの!?と言いたいが、言えない。
絶句するティルに、まぁそうだろうな、と納得するカタクリ。
そう言う環境で育ってはいるが、これが一般論からは外れているという常識は持ち合わせている。
「じゃあ、あんた…じゃない、父、さんも?」
「俺の妻はコウだけだ。息子も、お前だけだな」
「そ、か」
たぶん、この人は…嘘は言っていないのだろう。
海賊なんて言う輩は、傲慢で自分勝手で愚かで残酷で―――コウと共に、何度もそう言う輩を相手にしてきた。
もちろん、コウが交流を持っている一部の海賊を除いては、だが。
少なくとも、ビッグ・マム海賊団については良い噂は聞かない。
それだけに多少なりとも警戒したのだが、カタクリを見つめ、ティルはそう納得できた。
「はぁー…姉さん、ってことに違和感がなかったわけじゃないんだ。漸く、理解できた」
コウとの類似点が見つからないとは言わないけれど、自分はあまりにこの人に似ている。
今となっては、姉弟だと言われるより、親子だと言われた方が頷ける。
「つーか、コウ…じゃなくて、母さんっていくつ…?あの人、年齢不詳なんだけど」
「………今年で32じゃないか。俺とは14歳離れているはずだ」
「…ちょっと待て。俺が今15で、母さんが32って…あんた…」
「………」
沈黙と共に逸らされた視線が全てを物語っている。
多少なりとも、感じることはあるらしい。
「ところで、さっきのは、俺の存在に怒ってたわけじゃないのか?」
「…コウが可愛―――いや、何でもない」
「(可愛いって言った!…この人、コウ…母さんのことめちゃくちゃ好きなんじゃね?)」
18.07.15