Malachite 孔雀石

ガタン、とカウンター席の隣の椅子が鳴った。
カクテルを呷りながら横目にその姿を捉える。

「随分と厳つい身なりだね―――海賊かい?」

まさか、声をかけられるとは思っていなかったのかもしれない。
隣に腰掛けた男は、少しだけ間を開けてその質問に頷いた。

「ああ。不都合あるか?」
「ふぅん…別に、構わないよ。海賊に偏見はないし。金を払わず酒だけ飲もうというのなら話は別だが」
「…そのつもりはない」

そう言うと、男は小さくはない袋をカウンターに置いた。
ジャラリ、と聞こえたその音は、恐らくは硬貨に間違いはないのだろう。

「すまないね。君を疑ったわけではないんだよ。ただ、前にも何度かそう言う輩を追い返しているものだからね」

職業柄のようなものだ、と笑った。

「この店の用心棒でもしてるのか?」
「コウ様にはもう何度も店を救ってもらっているんですよ。とても腕が立つんです」
「…そんな大したものではないよ。たまたま、飲みに来ているときに遭遇することが多いだけだ」

マスター、揶揄わないでくれ。
そう言えば、マスターは笑顔を残して男の注文を聞く。
程なくして男の注文の品が差し出され、気を利かせたらしいマスターは少し離れた位置に移動する。

「…よく飲むのか?」
「…私かい?そうだね…月に二度ほど、だろうか」

月に二度、というのが多いか少ないかは、この男の飲む頻度にもよるのだろう。
男はそうか、と相槌を打っただけで、それ以上は何も言わなかった。

「君ほどの体格だと、ここの酒程度の量では満足できないのでは?海賊は宴のような席が好きなのかと」
「…いい酒を出す店だと聞いたからな。一人でのんびり飲むのも悪くはない」
「ああ、その点は納得だね。マスターの酒は美味い。…あぁ、済まない。一人で静かに飲みたいのなら―――」
「構わん」

何を言おうとしているのか、わかったのだろう。
男に言葉を遮られ、席を譲ろうとして僅かに上げた腰を椅子に下す。

「感謝するよ。こうして海賊と酒を交わすなんて、最後だろうし…いい経験だ」
「そうなのか?」
「ああ。実は――が決まってね」
「―――?」

男の声も、自分の声も遠い。
聞こえない音がどんどん多くなって、あぁ、と気付く。
やがて、深い海の底から自分ではない何かの力によって引き上げられる感覚。
そして―――












「―――随分と、懐かしい夢を見た」

船室の丸い窓から差し込む、朝日。
眩しそうに目を細めたコウは、上半身を起こして溜め息を吐きだす。

本当に、懐かしい夢だった。
島を飛び出す前の、つかの間の。
もうきっと、相手は何も覚えていないだろう。
そんなひと時を今でも覚えているのは、コウにとってあの時間は、運命の分かれ道と言っても過言ではないからだ。
あの日がなければ、コウは今、この場にはいないだろう。





部屋を出ると、同じく部屋を出て廊下を歩いていたティルの背中が見えた。
短い短髪の中、少し長く伸びた襟足、すらりと長い四肢と、高い背丈。
その髪質・髪色や体格、顔の造作すらも、彼は似ている。
思わず目を細めて立ち尽くすコウ。
その視線に気付いたのか、ティルが振り向いた。

「あ、コウ!おはよう」
「…あぁ、おはよう、ティル」

屈託なく笑うその表情は、似ていないかもしれない。
だが、わからないな―――“彼”の笑顔を見たことはなかったから。

「…コウ?」
「…何でもないよ。今日の朝食は何だろうね」
「今日は胡桃パンを焼くって言ってたぜ」
「そうか。イグニアの焼くパンは絶品だから、楽しみだね」

今日は天気が良いから、朝食は2階のテラスだろう。
二人して並んで歩きながら、他愛もない話を弾ませる。
不意に、甲板に出た二人の前方を、赤い鳥が横切って行った。

「あの鳥、何だろうな」
「おはよう、二人とも」

既にテラスにいたアクリアが笑顔で二人を迎えた。

「アクリア―――もう、あの海域に入ったのかい?」
「…ええ、今朝方」
「そうか…道理で、懐かしい」

そう小さく笑うと、コウは定位置である椅子に腰かける。
二人の会話の意味が理解できなかったらしいティルが、同じく定位置である コウの隣に座った。

「なぁ―――」
「ティル」

懐かしいって、どういうことだ?
そう問いかけようとしたティルの言葉を遮る コウの声。

「君の知らない、私の故郷の島に行ってみたいかい?」
「!!」

ずっと、口にしてはいけないのだと思っていた。
それがまさか、コウの方からその機会を与えられるとは。
思わず言葉を失うティルに、 コウは苦笑を浮かべる。

「訳ありでね―――島を飛び出した身としては、すぐに帰るわけにはいかず…君は故郷を知らずに育ってしまった。申し訳ないとは思っていたんだ」
「お、れは…知りたいと思ったことがないとは言わない。でも、だからと言ってコウを責めるつもりなんて、ない」
「…そう言ってもらえるなら、嬉しいね」
「………行ってみたい、って言ってもいいのか?」

何度か躊躇った後、ティルはそう口にした。

「―――もちろんだとも。君にはその権利がある」

コウの返答に、ティルは青年らしい笑顔を浮かべた。

「…次の航路は決まったみたいね」
「ああ、頼むよ、アクリア」
「ええ、任せて」

18.07.15