Malachite 孔雀石

ふわりと感じた懐かしい匂いに、思わず足を止める。

「―――へぇ、これは珍しいね」
「お、目が高いねぇ。これは狩人島からの輸入品だよ」

露店の女性が差し出して見せた織物は、特殊な染色が施されており、その仄かな香りが特徴的だ。
匂いを試してごらん、と言われ、鼻先を近付ける。
やはり、懐かしい匂いがした。

「…ストールはあるかい?」
「あいよ!どの柄が良い?」
「じゃあ、これをいただこう」

受け取る代わりに代金を渡し、手慣れた動作で首に巻き付ける。

「良かったら、他にも―――」
「―――コウ!」

女性の声を遮るように名を呼ばれ、振り向く。
その姿を確認すると、連れが来たようだ、と告げてから、その場に背を向けた。

「やぁ、ティル。目当てのものは見つかったかい?」
「おう、見つかった!って、そうじゃないだろ!待ち合わせ場所がどこかわかってんのか!?」

勝手に離れんなよ!!と怒鳴る青年に見つめながら、コウはまぁまぁ、と笑う。
ティルと呼ばれた青年は、既に コウと同じ程度の身長でありながらも、歳はまだ15だ。
現在180cmの成長期は、どこまで身長を伸ばすのだろう、と密かに成長の観察を楽しんでいる。

「探したのかい?」
「当り前だろ」
「それはすまなかったね。他の皆はどうしたかな?」
「あいつらも探してる。ったく…島に着く度にフラフラ消えんのは勘弁してほしいぜ」
「性分だと思って諦めてほしいところだね。さぁ、戻ろう」

クスリと笑い、待ち合わせ場所への道を歩き出す。
コウの隣に並んだティルは、不意に彼女から香る嗅ぎなれない匂いに反応した。

「変わった匂いだな」
「嫌いかい?」
「いや、コウによく合ってる」
「…そうなら嬉しいね。私の故郷の特産品だ」
「故郷って…」

コウの口から、彼女の故郷についての話を聞いたことはない。
仲間たちもその手の話題を口にしないから、そうした方がいいのだろうと、勝手に思いこんでいた。
あまりにもあっさりと告げられた情報に思わず口ごもるティル。

「―――親父も、いるのか?」

故郷、家族、父親、母親。
そうした話題は、コウにとってはタブーなのかもしれないと思っていた。
だからこそ口を閉ざしていたけれど、聞けるものならば、聞きたい。

「どうだろうね。もう随分と帰っていないから」
「そっか…。っつーか、俺とコウって似てないよな」

姉弟なのに、と肩を竦める彼に、コウは小さく笑う。

「…君は、父親似だよ」
「!へ、へぇ…そうだったのか」

ここにきて、あっさりと明らかにされる己の出自に関わる情報。
どこか懐かしそうに目を細め、自分を見つめる紫紺に、彼女は何を映しているのだろうか。

「…さて…待たせているんだったね」

急ごう。
そう言って歩き出す彼女に、止まっていた時間が動き出すのを感じた。
ふわり、彼女の動きに合わせて香る、まだ知らぬ故郷の匂い。
いつか、自分がその地を踏むことはあるのだろうか。












港にやってきて、いくつかの船を通り過ぎる。
そうして辿り着いた目的の船の所には人影が見えた。
こちらに気付いたのか、その内の一人が大きく腕を振る。

「コウー!!やっと帰ってきた!!」
「待たせてすまなかったね」

稲穂色の短い髪を揺らして駆け寄ってくるイグニアは、これでもティルよりは年上だ。
見た目だけで言えば、身長も手伝ってイグニアの方が幼く見える。
ついでに、言動もいつまでも少年のようであるが、当人は気にしていないようだ。

「船長、手配書を更新してきた」
「ありがとう、ヴィント。手頃な獲物は?」
「次の島に3000万の賞金首が一人」
「あぁ、額的には丁度いいが―――」

手渡された手配書の束から、付箋のついたそれを辿り、おや、と目を見開く。
そこに浮かんだ笑顔の手配書に、コウはクスリと笑った。

「残念だが彼はやめておこう。潰すには惜しい人材だ―――海賊だけれどね」
「…コウならそう言うと思った。青い付箋の海賊なら、問題ないだろうと思う」
「…ああ、そうだね。これは狩ろうか。アクリアは戻っているかい?」

ヴィントに尋ねると、彼は小さく頷いて四角い眼鏡のブリッジを上げた。
細身でジャケットを着こなす彼は、街を歩けば優男好きの女性が色めく容姿の持ち主である。

「アクリア!」

その名を呼んで暫くすると、甲板へと続く扉から女性が姿を見せる。
イグニアとそう変わらない身長の彼女は、空色の髪を揺らして近付いてきた。

「コウ、帰っていたのね」
「待たせたようですまなかったね。出航の準備は?」
「整えてきたわ。…次の島、でいいのよね?」
「おや、話が早いね。イグニア、準備はいいかい?」
「あ、食材?買い出しならちゃーんと終わってるよ!」
「なら、出航だ」

コウがそう言えば、待ってました、とばかりにイグニアとティルが動き出す。
アクリアが指示を出し、風を読むように空を仰いだ。

「―――狩人島の特産だな」

錨が引き上げられ、船が徐々に船着き場を離れて動き出す。
張られた帆が風を受けて膨らむのを見上げていたコウの隣で、ヴィントがそう呟いた。

「たまたまね、見つけたんだ」
「…そろそろ、一度帰ってみてもいいんじゃないのか?」
「島を飛び出して16年。
…確かに、もう時効だと言えばそうだろうが…あれで、中々に諦めの悪い人だからね…父は」

君は覚えていないかもしれないけれど、そう呟く声に促されるように、若い記憶をたどる。
ヴィントが覚えている最初の記憶は、手を引いてくれるコウの背中だ。
それ以前の記憶はなく、彼女によると、裏路地で蹲っていたところを保護した、と言っていた。
親はどうしたのか、と聞いた彼女に、死んだと返したことすら、よく覚えていない。

「…君の記憶を取り戻すカギは、あの島にしかないのかもしれないね」
「記憶を取り戻したいとは思っていない。ただ、あんたがあまりに懐かしそうな顔をするから…」
「心配させたかい?…君は変わらず、優しい男だね」

クスリと笑い、ヴィントから視線を外す。

「ヴィント、風がほしいわ」
「ああ、わかった」

アクリアに呼ばれ、ヴィントがその場を離れていく。
下の段の甲板では、イグニアとティルが何かを話し合い、笑っているのが見えた。
年の近い彼らはよく気が合うようで、楽しく語り合う時もあれば、激しく喧嘩をする時もある。
良きライバルであり、良き友なのだろう。
ティルの髪に太陽が注ぐその様子を見て、 コウは目を細めた。

「―――本当に…生き写しだね、君は」

ティルに父親のことを話したのは、今日が初めてだった。
彼が自分に遠慮して、父親や家族のことを聞かないようにしていることには気付いていた。
聞かれれば答えるつもりはあったけれど、自ら語ることでもないと思っている。

いずれ―――彼は、真実に辿り着くだろうから。

18.07.15