Restart
後からついてきていたはずのエースと合流できない。
マルコは苛立ちを隠しもせず、憮然とした表情でずんずんと街中を大股で歩いていた。
その人相と、醸し出す雰囲気によって、声をかけることなく「何事だろう…?」と遠巻きに見つめる島民。
「どこ行きやがったんだ、アイツは…」
また飯屋か?と3つ目の食堂を覗き込むも、目当ての男は見つからない。
彼が三大欲求の一つを満たすべく本能のままに走るのは今に始まったことではない。
はじめこそ、そのうちに合流できるだろうとのんびり構えていたのだ。
「…随分とご機嫌斜めのようだけれど、誰かをお探し?」
食堂を出たところで、横からかかった艶のある声。
少しハスキーなそれにつられるように視線を向ければ、ショールを羽織る女性が口紅で彩った口角をそっと持ち上げていた。
魅せるための笑顔に、その手の女性であると理解する。
「躾のなってねぇ悪ガキをな」
「…ふふ、その白ひげさんの所の悪ガキなら、そこの宿に入って行ったよ」
そうして白い指先で示した先、路地の少し奥に2階建ての建物が見えた。
三大欲求は三大欲求でも、睡眠欲か!マルコは呆れたように溜め息を吐く。
「…助かったよぃ」
「本隊が到着したら、是非うちを贔屓にしてちょうだいな。良い酒も用意しておくからさ」
そんなことだろうとは思ったけれど、本隊が到着すればどこかの酒場に足を運ぶことは明らかであり、それだけでエースの所在が分かったのだから安いものなのかもしれない。
ぼったくりバーでないことを密かに祈りつつ、宿へと足を向けた。
「…女の子が一緒だったから、真っ最中でなければいいけれどねぇ」
マルコの背中を見送りながら、彼には聞こえないであろうと理解した上で、そう笑う。
ソバカスの男の部屋は、すぐに教えてもらうことができた。
蒼褪めた顔で唇を震わせた店主を思い出し、随分と怯えさせてしまったと少しばかり後悔する。
足音荒く進んだ先、廊下の一番奥の部屋へとたどり着いたマルコは、迷いなく蹴破る勢いでドアを開けた。
「おい!エー、ス………」
開口一番、怒鳴りつけたマルコの声が、その室内の状況を把握し、徐々に勢いを失っていく。
彼の目的のエースは、確かに室内にいた。
しかし、マルコの想像していたように、睡眠欲を満たしていたわけではなかった。
室内にはエースの他に、もう一人の人物がいたのだ。
そして、その二人の肌面積は随分と広い―――いや、エースは元々半裸に近いが。
ギリギリ胸元と腰を隠す程度のタオル一枚でベッドに横たわる女性と、その上に跨る半裸の男と。
二対の眼が、驚いたようにマルコを振り向いていた。
―――三大欲求の最後の一つかよ!
思わず、扉を閉めた。
事は少し前へと遡る。
エースに手を引かれ、路地を入って行った先にあった宿へとたどり着く。
そこで、部屋代を払って鍵を受け取ったエースと共に部屋に向かう。
金を払うと言ったけれど、自分のせいだと言って受け取ってくれなかった。
「ほら、身体を温めて来いよ。その間にタオル借りてくる」
「うん、何から何までごめんね」
「謝るなって。風邪ひくぞ」
そう言ってバスルームへと押し込まれ、ドアが閉められる。
足音が遠ざかり、ドアを開いて閉じる音が聞こえたから、タオルを借りに行ってくれたらしい。
何だか勢いのままにここまで来てしまった。
会話はしているけれど、半ば夢うつつだ。
「エースに、会えた…」
言われたとおりにシャワーを頭から浴びながら、ぽつりと呟く。
人の気配を読むのは得意になったから、エースが部屋に戻ってきていないことは知っている。
万が一、戻ってきていたとしても水音のお蔭でコウの呟きが彼の耳に届くことはないだろう。
泣いたせいで、熱を持つ目元には冷たいシャワーが心地よい。
温めろ、と言われたけれど、もう少しだけ冷たいシャワーで気持ちを落ち着かせようと目を伏せる。
「忘れられてなかった。やっと会えたって―――探してくれてた…?」
もしそうなのだとしたら、とても嬉しい。
これから先のことだとか、未来のことだとか。
考えなければならないことも、やらなければならないことも山積みだ。
けれど、今は―――少しだけ、彼との再会に浸っていたい。
そうしている間に、近付いてくるエースの気配を感じ取った。
シャワーをお湯に切り替えれば、カーテンの中の空間はたちまち湯気に包まれた。
ドアが開いて、閉じて。
近付いてくる足音が、バスルームの前で止まる。
小さなノックに何も答えなければ、少しだけ間をおいてから、ドアが開かれた。
「―――コウ。タオル、置いておく」
「あ、ありがとう、エース!」
今気づいた、という風にそう返事を返すと、彼は足早に出て行ってしまった。
そのことに、少しだけ寂しさを感じたのは気のせいではないだろう。
「…前は一緒にシャワー浴びたこともあるんだけどなぁ」
コウの言う“前”とは、幼い頃の話ではない。
前のエースとの関係は恋人同士であったし、身体の繋がりもあった。
今回は7年も離れていたのだから、エースに別の恋人がいたとしても、不思議でなかったし、その覚悟もしていた。
だからこそ、再会の時に抱きしめてくれたことが嬉しかったのだ。
少なくとも、彼の中にコウの存在があることだけは確かな事実だったから。
だからこそもどかしくも感じる―――彼を求められる関係でないことが、こんなにも。
「―――駄目だ、出よう」
こんなことを考えていたら、逆上せてしまいそうだと、シャワーのコックを閉じる。
カーテンを開いて、そこに置かれていたタオルを手に取った。
「タオル、ありがとう」
ベッドに腰掛けたエースにそう声をかける。
俯いていた彼は、聞こえた声に顔を上げるも、視線はすぐに逃げてしまう。
コウは借りたタオル一枚なのだから、無理はないだろう。
その様子にクスリと笑い、脱いだ服を窓際の椅子に掛ける。
裏路地なのに上手く日差しを取り込めている窓のお蔭で、乾くまでにそう時間はかからないだろう。
「あーっと…服も借りてきた方がいいか」
「たぶん、すぐ乾くから大丈夫。ありがとうね、色々と」
そう言ってコウが微笑めば、エースは少しだけ緊張を解いた様子で口角を持ち上げた。
「あ、そうだ。エースはこの島に用があってきたんだよね?大丈夫?」
「…まずいな、マルコが怒る」
「“マルコ”?」
「ああ、俺の仲間だ。後で紹介する。…どうするかな」
「行っていいよ。私は服が乾くまでこの部屋でのんびりさせてもらうから」
そう言ったけれど、エースはまだ悩んでいる様子だった。
一体、何をそんなに悩んでいるのだろう?と首を傾げるコウ。
「………悪ぃ、なんか…」
「…うん」
「…目を離したらまた会えなくなりそうで」
エースは、いつも自信に満ちていた。
彼の涙を見たのは、悲痛な叫びは聞いたのは、あの時だけだった。
だからこそ、目の前のエースの様子に、コウは戸惑っている。
自分がエースの元を離れたことが、こんなにも彼に影響するとは思わなかったのだ。
しかし、戸惑いと同時に、胸がギュゥッと切なく痛む。
弱々しい彼を抱きしめられる関係ではないことが、苦しい。
この苦しさを知っている―――これは、愛しさだ。
やはり、自分はこの人が好きなのだと、確信する。
コウは無言でエースの前に立ち、膝の上に置かれた手を取った。
驚いて顔を上げた彼の手を引き、立ち上がらせる。
そして、そのまま彼の背後に回り、グイッと背中を押す。
「ほら、行って」
「お、おい、コウ?」
「私、ちゃんとここで待ってるから。仲間を怒らせちゃ駄目でしょ?」
「っつっても、そんな格好のお前を置いて―――」
「私はこの部屋から出ないし、誰か来ても開けない。…それでも駄目?」
そう言ったけれど、彼を安心させるにはまだ足りないらしい。
最後の一押しには何が必要だろう。
「ほら―――っ!」
早くいかないと。
もう一度急かそうとしたその言葉が、中途半端に途切れてしまう。
その理由はコウが、一つの気配を察知したからだ。
「…コウ?」
「(どうしよう…この状況はまずい。彼はそういう所は厳しいから、第一印象が悪くなる…!)」
「おい、コウ?どうした?」
「何でもないよ。ちょっと考え事。大丈夫だから、行っていいよ」
待ってるから、と重ねたけれど、どう見ても誤魔化せてはいないのだろう。
怪訝な表情のエースが、身体ごとこちらを振り向いてしまう。
お願いだから、彼がこの部屋に辿り着いてしまう前に、部屋を出てほしい。
「本当に大丈夫か?」
「うん、大丈夫。っていうか、流石に恥ずかしいからこの距離で振り向かないでほし―――」
エースが振り向くことは想定していない距離だった。
彼の心音をタオル越しに感じ取れそうなその距離に、思わず身体を引く。
しかし、後ろの状況を忘れていた。
後ろにあったベッドのせいで、中途半端に引いた足が動きを遮られ、ガクン、と姿勢が崩れる。
「コウ!」
咄嗟に伸びてきたエースの手が後頭部に伸びてくる。
抱きしめてくれるその体温が心臓の鼓動を速めるけれど、どうしようもなく安心してしまうのも事実で。
しかし、それでも。
「(…第一印象は諦めよう)」
柔らかいベッドに背中を受け止められ、近付きすぎた足音を聞き取り、一部の冷静な思考がそう結論付けた。
18.08.04