Restart
「女房ので悪いなぁ。大は小を兼ねるって言うしよ、何とかなるだろ!」
悪意のない声と共に手渡された女性もののそれは、店主の言うように彼の妻のものなのだろう。
宿の受付の奥で忙しそうに動いていた恰幅の良い女性の姿を思い出す。
亭主がこんなことを言っていたと聞けば、ふくよかな拳が唸るのは間違いない。
「…とりあえず、着替えてこい」
「…はい」
低い声と共に、洗面所へと放り込まれる。
バタン、と扉が閉ざされるのと同時に、荒い足音が遠ざかり、そして何かが倒れる音が聞こえた。
それと共に言い争うような声も聞こえてきて、深々と溜め息を吐く。
「エース、ごめん」
コウが悪いわけではない。
だが、間が悪かったことは確かであり、その運のなさが誰の責任なのかはわからなかった。
手渡された洋服は7分丈のワンピースだった。
全体的に、コウが二人は入れそうなほどに余裕があったけれど、腰のベルトである程度は調整が効く。
不格好にならない程度にベルトで調整すると、そろりとドアに近付いた。
言い争う声はまだ続いているけれど、先ほどよりも少しばかり勢いが落ち着いてきている。
これならば出て行っても良いだろうか、それとも、まだタイミングを見計らった方が良いだろうか。
少しだけ悩んでいたけれど、埒が明かないと覚悟を決め、ドアノブに手をかけた。
洗面所を後にしたコウがまず目にしたのは、こちらに背中を向けて正座するエースだった。
必然的にこちらを向いていたマルコがコウに気付く。
「おう、出てきたか」
「…はい。あの…服、借りてもらってありがとうございました」
腕を組む彼の纏う空気は、先ほどよりも少し和らいでいる。
それにしても、少しだけピリッとした空気に、これは覇気だ、と気付いた。
背筋がざわめくのを感じながら、コウは小さな歩幅で二人に近付いていく。
「女にあんな格好させてる方が馬鹿だろ」
溜め息交じりの言葉に、エースの背中が揺れた。
「エースも、借りてこようかって聞いてくれたんです。
要らないって言ったのは私なので、あまり怒らないであげて」
そう言いながら、エースの隣にちょこんと腰を下ろすコウ。
もちろん、彼女も彼と同じく正座である。
「おい、コウ。何でお前までここに座るんだよ!」
「え?だって、エースが怒られてるから」
口には出さないけれど、懐かしいなぁ、と思う。
前にも、末っ子扱いのエースは、よくこうしてマルコに怒られていた。
巻き込まれていないときは「また怒られてるー」と他のクルーと一緒に笑ったものだ。
それでも、コウにもその責任の一端があるときは、一緒になって怒られた。
その度に、エースは「何でお前まで怒られるんだ」「コウに責任はない」といって庇ってくれた。
「で?」
「あ、私はコウです」
「あー…エースの幼馴染か」
どこか納得した様子のマルコに、コウはちらりとエースを見た。
話してたの?
おう。
目と目で、そんな会話をする。
「…とりあえず」
長い溜め息と共に、マルコの手が伸びてくる。
初対面の強面の男の手だ。
本来であれば、ここで多少なりとも警戒心を見せるべきなのだろう。
しかし、コウにはどうしたって本心から彼を警戒することはできなかった。
代わりにエースがぎくりと肩をこわばらせたけれど、彼が動き出すよりも早く、マルコの手がコウへと辿り着く。
「女が床に座るな」
そんな言葉と共に、両腋に挿し込まれた手によって、ふわりと抱き上げられる。
きょとんとした表情のまま、ベッドに運ばれてしまった。
ベッドに、といっても色気のある状況ではなく、そのままストンとベッド端に座らされたわけであるが。
「(何だか、とても子ども扱いされてしまった…)」
一回り以上年の離れた彼からすれば、成人していないコウは十分に子どもなのかもしれないけれど。
「マルコ、コウを船に乗せる」
エースがそう切り出すと、コウを見下ろしていたマルコの視線が彼を振り向く。
「………本気で言ってんのかよい」
「ああ、親父には話してある。そう言う“約束”だ」
二人の会話を聞いていたコウが「…約束?」と首を傾げる。
その約束について、マルコには心当たりがあるのだろう。
ガシガシと髪を掻き、そして溜め息を吐きだした。
そして―――
「―――、っ」
ザワリ、だか、ゾクリ、だかわからないが、全身の皮膚が粟立った。
伸びてきた腕に即座に反応したコウは、ベッドを蹴って彼から距離を取る。
そのまま一息にベッド脇に置いていた荷物の所まで飛び、瑠璃と短銃をつかみ取って勢いを消すためにごろりと床を転がった。
そして、コウを追うように床を蹴っていたマルコと正面から相対する。
威嚇のように足元に一発を撃ち込み、尚も速度を落とさない彼にギリッと奥歯を噛む。
手加減などできない、すれば、こちらがやられる。
本気でそう感じたコウは、刀を抜く。
「(でも、この瑠璃は―――っ)」
ただの刀であれば、能力的にマルコには物理攻撃は効かない。
しかし、この刀は違う。
一瞬の迷いが明暗を分けた。
伸びてきた手に喉元を掴まれ、そのまま床へと叩きつけられた。
ガツン、と打ち付けた後頭部のせいで視界が揺れる。
「マルコ!!」
ようやく反応したエースによって、マルコの手が引き剥がされた。
ゲホゴホと咽るコウを背中に庇い、マルコを睨み付ける。
「コウに何しやがる!!」
射殺さんばかりの視線を受け、ぷらりと手を揺らすマルコ。
漸く呼吸を落ち着けたコウがのろりと体を起こした。
そして、目の前の背中を押しのけ、マルコを見上げる。
一方、押し退けられたエースは戸惑いながらも場所を譲り、二人の動向を見守る姿勢を取った。
「誰に鍛えてもらった?」
「…じい、ちゃ、に」
「あぁ、アイツか」
事前に情報を得ていたのだろう。
納得したようにうなずいたマルコがコウへと手を伸ばす。
覇気も纏わずただ伸びてきた手を警戒することはできなかった。
そのまま、ポンッと頭を撫でられる。
「―――…上等だよい。エースでも一瞬出遅れた覇気に、よく反応した」
そして、頭を撫でていた手を引き、コウの前に差し出す。
「白ひげ海賊団1番隊隊長、マルコだ。よろしくな」
その後、マルコは本隊に合流すると言ってエースと共に島を後にした。
順調に進めば、明日には本隊が到着するという。
「あー…怖かった。あんなマルコの本気の覇気、浴びたことないよ」
前にも何度となく手合わせはしていたけれど、あんな風に親の仇を前にしたようなマルコの覇気を浴びたのはこれが初めてだ。
よく動けたものだ、と自分でも驚いている。
やはり、赤犬の元で過ごした成果が出ているのだろう―――釈然としない気持ちは否めないが。
「それにしても…第一印象は諦めたつもりだったけど…」
まさか、あんな風に頭を撫でてもらえるとは思っていなかった。
マルコに頭を撫でられたのはこれが初めてではない。
今までの“コウ”は、自惚れでなければ、白ひげの中では妹のような存在として可愛がってもらっていたと思う。
皆に遊んでもらって、色々な物を貰って、稽古をつけてもらって、時には怒られて。
毎日が楽しくて仕方がなかった過去を思い出した。
その中でも、マルコは特に色々と厳しかったと思う。
あれは女性としては異例の戦闘要員であるコウを気遣ってのことだったのだろうと、今になっては納得だ。
各隊長たちからの稽古を受けられるように話をつけてくれたのも彼だったから。
一番厳しかった―――けれど、一番優しかったのも、彼だったかもしれない。
「親父に会う。会って………ここからだ」
今度こそこの手で、掴み取りたいものがある。
真上に翳した手を見上げ、ギュッと握りしめた。
19.02.19