Carpe diem --- 028
久し振りに可愛い弟と再会したコウはご機嫌だ。
「ご機嫌だね」
「ええ、もちろん。あなた目当てにここに来たゴンに付いてきただけでしょうけれど…それでも十分だわ」
少なくとも、キルアは自由を得たのだ。
父が何を考えているのかはわからないけれど。
「今回ばかりはあなたに感謝ね」
そう言って、彼女は嬉しそうに微笑む。
彼女はやはり、ゾルディックとは思えないほどに表情豊かだ。
ヒソカとしては彼女がゾルディックであろうとなかろうと関係ないけれど。
「のんびりしていていいの?念を覚えないなら、通さないよ?」
もう日付が変わるまで何時間もない。
キルアにチャンスがないことくらいは、頭の良いコウのことだから説明しなくても気付いているはずだ。
だからこそ、一度は部屋に戻った彼女がまた、ヒソカのいる廊下に戻ってきたのだろう。
「ゴンはフリークス―――ジンの息子でしょう?こんなところで躓かないわ」
「じゃあ、キルアは?」
彼女は彼の問いかけに不敵な笑顔を浮かべた。
「私、家族は疑わないの」
「…妬けるね」
目を細めてそう言ったヒソカに、コウは「今更よ」と笑う。
一階で止まっていたエレベーターが動き出す。
50階、100階、150階…ランプが動き、徐々に近付いてくるそれ。
感じ取った気配に、コウは小さく微笑んだ。
そして、すぐそこでトランプを投げて時間を潰していたヒソカを見る。
彼もまた、気付いているようだ。
ほら、ね?
小さく向けた視線に、ヒソカが肩を竦めた。
ヒソカの陰湿な念を潜り抜け、二人は200階に立った。
会話が終わり、彼がその腰を上げたところで、キルアがあることを思い出す。
「姉貴!!」
ヒソカとの会話を傍観し、彼と共に立ち去ろうとしたコウを呼びとめる声は大きい。
呼ばれたコウはキルアを振り向き、きょとんと首を傾げた。
ヒソカに目配せしてからこちらに戻ってくる彼女に、キルアが駆け寄っていく。
「何?」
「何でヒソカと一緒にいるんだよ!?」
「あぁ、それね」
キルアが何に興奮しているのか、全く分からなかったらしい。
コウは納得した様子で頷き、うーん、と言葉を選んだ。
「…色々あったのよ」
「色々って何!?大体、姉貴には―――!!」
キルアが口ごもる。
先ほどはゴンに向かってついうっかり口走ってしまったけれど、この続きは、言いたくない。
「私には、何?」
「………色々って、何?」
質問に質問で返す。
二人の様子を見ていたゴンは、何だか似た者同士だなぁ、と呑気な感想を抱いた。
姉弟なのだから無理はないし、キルアはコウにとてもよく懐いている。
キルアに家出を躊躇わせた唯一の理由は彼女の存在だったくらいだ。
「んー…大人の事情かしら」
「………あのさ」
「うん」
「恋人、とかじゃ…ないよな!?」
頼む、違うと言ってほしい。
切実な思いが込められた言葉。
コウが答えるまでの時間が、何十倍にも長く感じた。
「恋人?…違うわよ」
切望した答えに、キルアは心中で拳を握った。
あれを兄とは呼びたくない。
ミルキの場合はどう抵抗しても血の繋がりがあるから仕方ないけれど、あれは嫌だ。
断固拒否したい現実は、今のところ回避された。
「だよなー!姉貴は男前じゃないと嫌だって言ってたもんな!」
「ええ、そうね。最低限、イルミ程度は…ね」
「…兄貴が基準ってところも微妙と言えば微妙だけど…」
「でもまぁ、ヒソカも元は悪くないわよ」
安心したところに、爆弾投下だ。
ピシッと固まるキルア。
「あれが…」
「男前?」
ゴンまでもが首を傾げる。
元は、と言うことは、素顔を指しているのだろう。
二人は脳内でヒソカの素顔を想像した。
しかし、いつまで経ってもどれほど頑張っても、顔のペイントが消えてくれない。
印象が強すぎるのだろう。
「あー無理!想像できない!」
「っつーか、姉貴は見たのか!?」
どういう状況で!?つーか、ヒソカがペイントを取るとかあり得るのか!?
寧ろあれが素顔だと言われた方が納得できる気がするキルア。
その考えもわからなくはない、とコウは苦笑する。
「街中で偶然、ね」
実のところ、一緒に行動するようになってから風呂上がりの姿を見たこともある。
これを話せばまた騒がしくなることはわかり切っているので、当たり障りのない部分だけを話した。
「よくヒソカだってわかったな…」
「気配…と言うよりは、オーラね」
つい先ほど念習得への第一歩を踏み出した彼らにはまだ難しいだろう。
「オーラも、指紋のように一人一人異なるわ。鍛えれば、それだけで個人を特定できる」
そう言って、コウはオーラを纏う手で二人の頭を撫でた。
ふわりと手の平が触れ、彼らが何かに気付いたように視線を上げる。
二つの双眸に見上げられ、頷きながら笑みを浮かべるコウ。
「これが私の普段のオーラよ。もちろん、声のようにオーラもまた、一つではないわ」
「へぇ…これがコウのオーラなんだ…」
感心するゴンの隣で、キルアが懐かしそうに目を細めた。
「…俺、これ知ってる」
いつでも感じていた、コウの気配だ。
優しくて、あたたかくて…他の家族とは違う、不思議な感覚だった。
ずっと昔、父に怒られて、逃げ出したいくらいの殺気を浴びたことがある。
気を失いそうになったその時に、駆けつけたコウに抱きしめられ、辛うじて意識を保った。
その時、キルアを守ってくれた気配だ。
いや、その時だけじゃない―――ずっと、いつでもキルアを受け入れ、優しく包み込んでくれたもの。
懐かしさに涙腺が緩みかけ、思わず唇を噛み締める。
「姉貴」
「ん?」
「………ありがと」
視線を合わせず、とても小さな声で告げられた感謝の言葉。
キルアの心中を察したわけではないだろうけれど、コウはふふ、と微笑む。
「どうしたの、急に?」
「何でもない!なんか、言いたくなっただけ!」
パッと顔を上げたキルアに、先ほどまでの様子はない。
手続きに行くぞ!とゴンの手を引いて窓口に歩き出したキルアは、数歩進んだところでコウを振り向いた。
「また会いに行くから!」
年相応の笑顔を浮かべるキルアに、いつでもおいで、と手を振った。
そんなキルアを見られたことが、どうしようもなく嬉しかった。
10.11.06