Carpe diem   --- 026

200階に到達するのはそう難しい事ではなかった。
コウもヒソカもあっさりとクリアし、揃って200階のフロアを踏む。
エレベーターを降りるなり向けられた殺気は二人にとっては針ほども感じない。
ヒソカの一睨みで気配は蜘蛛の子を散らすように消えた。

「…残念」
「八つ当たりはやめておきなさいよ」

不機嫌を隠そうともしないヒソカに、コウが呆れた様子で言った。
彼の機嫌が悪い理由はただ一つ。
先ほどの190階の試合で相手を殺してしまったからだ。
もちろん、その行動自体を悔いているわけではない。
コウと約束が流れてしまった事がその理由だ。

「190階にいるんだから、もう少し強いと思ったんだよ」

その様子は、コウもモニターを通して見ていたから知っている。
ヒソカは加減を間違えたのだ。
相手にもう少し実力があれば、少なくとも死ぬ事はなかっただろう。

「まぁ、気が向いたら…ね」

コウは苦笑を浮かべながら、受付へと向かった。
彼女は、ヒソカと戦わずに済んだ事を安堵している。
エレベーターの一件以来、自分自身の立ち位置を悩んでいるからだ。






受付を済ませると、思い出したように、あ、と声を上げるコウ。
歩き出していたヒソカが足を止めて彼女を振り向いた。

「私、今から出てくるわね」
「どこに行くんだい?」
「本屋よ。興味ないでしょ?」

その問いかけに肯定の返事をしたヒソカに、コウは小さく笑う。
興味があると言われたら驚いていただろう。

「僕は試合を見に行ってくるよ」
「ええ、それじゃあ」

ひらりと手を振った彼女がヒソカに背を向けてエレベーターへと向かう。
到着したエレベーターに乗り込むのをその場から見送る。
その視線に気付いた彼女が、ヒソカに向かって微笑んだ。
そして、扉が閉じる。
エレベーターがノンストップで1階へと向かうのを見届けてから、試合会場へと足を向けた。















目当ての本を購入して本屋を出る。
3年ぶりに発売された新刊に、少しだけ心が躍る。
早く部屋に帰ろうと、足が天空闘技場への道を急いだ。
200階の個室に入るのは初めてだけれど、きっと待遇は悪くないだろう。
そんな事を考えていたコウは、不意にその足を止める。
いや、完全にとめることはなかったけれど、速度はかなり落とした。

「―――…」

道行く人々と同じくらいの速度で歩く。
その表情は先ほどまでとは微塵も変わらない。
しかし、その心中は緊張していた。
自分の背後からピンポイントで向けられる小さすぎる殺気に気付いたから。
一瞬だけ、まるで自分を試すかのように向けられたそれ。
気のせいではない。
コウは平静を装って歩きながらも、全神経で周囲を警戒していた。
その時―――

「…!」
「っと、ごめんね」

正面から歩いてきた男にぶつかり、自分も「ごめんなさい」と返す。
その行動にデジャヴを感じた。
咄嗟にすれ違いそうだったその男の腕を掴む。

「…あなたね」

確認ではなく、確定だ。
先ほどの殺気の主を引きとめながら、コウはその男を見上げる。
きょとんと訳がわからない表情を浮かべていた彼は、彼女の言葉を聞いてにこりと微笑んだ。

「こんにちは。コウ=ゾルディックさん?」

フルネームでコウを呼んだ男に、彼女は二・三度瞬きをする。
男に見覚えはないけれど、この声には覚えがある。
どこだったか―――記憶の引き出しを漁った。

「こんな所で話をするのも何だから、どこかに入ろうか」
「え、ちょっと…!」

勝手に決めないで、と声を上げるも、男は笑顔を浮かべてコウの手を引いていく。
がっちり掴まれた手は、それこそ男の手を切り落とさない限りは離れそうにない。
まず、コウを拘束できる時点で、切り落とす事も不可能だ。
今すぐにどうなるわけでもなさそうだと気付くと、彼女は大人しく男に続いて歩き出した。












「まるで喫茶店に行くような会話でホテルに連れてこられるとは思わなかったわ」

高級ホテルの一室で、上等なワインを前にコウはそう皮肉った。
正面に座る男は相変わらず笑顔を浮かべて彼女の反応を楽しんでいる。

「で?どうして私の名前を知っているの?」
「君が調べろって言ったんだろ?」
「…私が…?」
「そう、君が。気になるなら調べてみればって言ったよね」

男の言葉には覚えがあった。
そう遠くない記憶の中に、同じ言葉を言った自分がいる。

「………クロロ=ルシルフル?」

印象が違いすぎていて、気付かなかった。
呆気に取られた様子でその名を紡いだ彼女に、男、クロロが微笑んだ。
彼が人当たりの良い笑顔を浮かべていたのはそれが最後。
その後は、あの時と同じ空気を纏い、話し出した。

「名前から、そう難しくはなかったな」
「…隠していないし有名だからね。この町に居たのは偶然?」
「あぁ。お前が本屋を歩いているのに気付いた」

そう言ったクロロが懐から一冊の本を取り出した。
見覚えのある表紙を見て、コウが彼に視線を向ける。
その本は彼女が購入したのと同じものだ。
一般向けではないこの本の読者に出会ったのはこれが初めてだ。

「ゾルディックにこの本を読める人間がいた事に驚いたな」
「…まぁ、否定は出来ないけれど」

あの家の中で本を読むのはコウくらいだ。
キルアは漫画を読んでいるようだけれど、これほど難しい本は読まない。
クロロの言わんとしている事を理解し、苦笑する彼女。

「お前とは話が合いそうだな」
「そうね。これを読んでいる人に会ったのは初めてよ」
「あぁ。俺の仲間には難しすぎると不評だった」
「仲間はあなたとは違うタイプなのね。どう言う集まりなの?」

別に、答えを求めた問いかけではなかった。

「幻影旅団だ」

コウの言葉に彼は朝食のメニューを答えるようにあっさりと口を開く。
あまりにも普通に告げられた所為で、正しく理解されるのに時間を要してしまう。

「…なるほど…父さんの言っていた幻影旅団、ね」

これで全ての謎が解けた。

「あなたがリーダー?」
「あぁ」
「どうして私にそれを教えるの?」
「こちらだけ知っているのは不公平だからな」
「別に公平さを求めているつもりはないけど…」

彼女の答えに、彼は小さく笑った。
先ほどのような万人受けする笑顔ではないけれど、自然で彼らしい笑顔。

「趣味の合う友人になりそうだからな。まぁ、冗談じゃないと思うなら出て行ってくれて構わないが」
「…そうね。読書愛好家の友人が一人ぐらい居てもいいかもしれないわね」

コウはそう言って小さく笑う。
彼女もまた、警戒を解いた自然体で接していた。

10.04.18