Carpe diem --- 024
今回の仕事は、さほど難しいものではないようだ。
だが、面倒な仕事であることは確かだった。
その理由は、ターゲットの住まう建物だ。
何者かの念によって作られた建物で、侵入者に対して様々なトラップが用意されている。
どれも念能力を駆使したトラップで、殺傷能力の低いものもそれより強化されていた。
つまり、どれ一つをとっても命を落とす危険のあるトラップだと言う事。
もちろん、それを避けたり解除するのはさほど難しくはない。
しかし、如何せん数が多かった。
「これで何個目なのかしら」
飛んでくるワイヤーの網を風でぶつ切りにしながら、コウは酷く疲れた声でそう呟いた。
何個、などと言う可愛らしい数ではない。
記憶が正しければ、既に三桁をクリアしているはずだ。
「235個目だね」
「…楽しそうに言わないで」
相変わらず笑顔を浮かべるヒソカに、溜め息を吐くコウ。
そして、隣を歩く彼を見上げた。
視線に気付いたヒソカがコウを見てにこりと微笑む。
相変わらず一癖も二癖もありそうな笑顔だけれど、心なしか嬉しそうに見えた。
「―――…」
不意に、ヒソカから注意を外したコウが足を止めた。
そして、ポケットから通信機を取り出す。
どうやら音もなく連絡を受けたそれに気付いたらしい。
イヤホンを耳に添えた彼女は、程なくして通信機をポケットに戻した。
「連絡かい?」
「ええ。面倒だろうから木っ端微塵にしていいって」
そう答えると、コウはくるりと来た道を帰りだした。
心中は疑問でいっぱいだろうけれど、彼女と同じように踵を返すヒソカ。
「コウの能力かい?」
「………」
コウは黙ってヒソカを見上げた。
暫く彼の顔を見つめ、やがて小さく息を吐き出す。
「そうね。あなたの能力の一端を知ってるわけだし…何も話さないって言うのは公平じゃないわね」
「そんな事か。僕は別に気にしないよ」
「私はパートナーには同じ立場でいてほしいの。それにはある程度の情報共有も必要だわ。
もちろん、それでも聞きたくないって言うなら話さない」
コウは仕事中だというのに、真面目な表情でそう言った。
そんな彼女に一瞬目を見開く彼。
彼女の言うパートナーが恋人を指すのではないことくらいはわかっている。
けれど、少なくとも彼女は真剣にヒソカの事を理解しようとしていた。
「もちろん―――聞くよ」
コウは、この時の衝撃を忘れる事はないだろう。
ヒソカが穏やかな表情を見せたのだと、誰に言っても信じてはもらえないだろうけれど。
コウが手にしたガラス玉。
手の平でそれを転がした彼女は、ヒソカにそれを差し出した。
「扱いには気をつけて」
「…念で作ったガラスだね。中身を聞いても?」
「風よ」
コウは短く答える。
それから、ニッと口角を持ち上げた。
「中に入っているのは圧縮された暴風。ガラスが割れた途端に暴れ狂うわ。
ところで、あなたの能力でこれをあの屋敷まで飛ばす事は出来るの?」
「出来るよ」
「じゃあ、今日のところはあなたに頼む事にするわ」
コウはヒソカの能力のゴムの性質の部分を利用しようと言うのだ。
ちなみに、ここは例の建物から100メートルは離れている。
「そう言えば…この能力の名前は?」
「…“吹き荒れる風玉(ハリケーン・ボール)”よ」
彼女の答えに、そう、と頷くと、ヒソカは“バンジー・ガム”を使ってそれを建物へと飛ばした。
寸分の狂いもなく“ハリケーン・ボール”を建物の中心の真上を通る。
そのタイミングで、コウはパチン、と指を鳴らした。
すると、建物は瞬きひとつの間にハリケーンに飲まれたように粉々に砕ける。
文字通り、木っ端微塵になった。
100メートル以上は離れている二人の場所ですら、足元を掬うような風が吹いている。
「………予想以上だね」
「厄介なのはターゲットの生死を確認するのが面倒と言うことね」
風がやむと、コウは再び建物の方へと歩き出す。
全てが念能力により生み出されていた建物の残骸が音もなく消えた。
能力者が命を落としたか、または自分の能力を維持できないダメージを受けたと言う事だ。
その中心あたりに倒れこむ二人の人間。
いや、人間だったもの、と表現すべきなのかもしれない。
五体満足ではないし、遠目に見ても生存確認の必要はなさそうだ。
コウが足を止めた。
無線機を取り出して暗殺完了を報告する。
通信が終わったコウは、自分を見るヒソカの視線に気付いた。
目が合うと、彼は目を細めて笑う。
「君は操作系だ」
「わざわざ確認する事でもないでしょう?」
念の種類を見ればある程度の予測は立てられるものだ。
首を傾げる彼女に、ヒソカはそうだね、と頷いた。
どうやら、そう言う意味ではないようだが、楽しそうに笑う彼からは聞けそうにない。
無理に聞きださなければならないほど興味を引かれたわけでもないので、コウはその話を打ち切った。
「そう言えば、コウはこの後どうするの?」
「家には帰らないわよ。仕事も暫くはないし、適当にするわ」
「なら、天空闘技場に行かないかい?弟と会えるよ」
「……キルア?あの子はもう200階まで上ってるのに、何でそんなところに…」
「ゴンが一緒だからね」
ヒソカの答えを聞くと、コウが「あ」と思い出したような声を零した。
「ゴンか…あの子のことをすっかり忘れていたわ。話をしたいと思っていたのに」
とりあえず、母が暴走する前に家を出なければと考えていたから、忘れてしまっていた。
会えるかどうかはわからないけれど、ヒソカの提案に乗るのは彼女にとっての利点も多そうだ。
「いいわよ、天空闘技場」
「なら、早速行こうか。コウは行った事あるの?」
「子供の頃にね。うちの教育課程に含まれてるから」
一人ではなくイルミと一緒に放り込まれた子供の頃。
あの頃から「良い所にお嫁に行きましょうね」と言われ始めていたので、家を出る事は手放しに嬉しかった。
それもあって、2年ほどかけて200階まで上ったイルミとは違い、コウはその倍の時間をかける。
時間をかけた分、帰ってから釣書の山に襲われる羽目になったのだが、あの頃はそんな事知る由もなかった。
「懐かしいわ。ヒソカは初めて…じゃなさそうね」
「まぁね」
そんな話をしている間にコウの飛行船に到着。
飛行船に入ると、コウとヒソカは別行動を取った。
何だかんだと言ってもヒソカと言う人間をある程度信用しているコウは、彼の行動を制限しない。
好きに動いていてもいつの間にか自分の近くに帰ってきている彼を、犬みたいだと感じる事もしばしば。
尤も、彼が犬だとすれば相当凶暴な狂犬だろうけれど。
ある程度進んだところで、自動操縦に切り替えて目的地を天空闘技場に設定する。
設定した航路をたどり始めた事を確認して、コウはシートから立ち上がって身体を伸ばす。
そして、取り出していた携帯を操作して耳に当てながら自室へと歩いた。
「あぁ、イルミ?ちょっと聞きたいんだけど…キルア、また家出?―――ええ、そうね―――」
パタン、と彼女の自室の扉が閉じた。
飛行船は穏やかに空を進んでいく。
10.03.19