Carpe diem --- 023
いい加減にして、と声を上げれば、二人は先ほどまでの戦闘の名残もなくピタリと動きを止めた。
半壊どころかほぼ全壊に近い訓練場を見て、コウは溜め息を吐き出す。
崩れた瓦礫の撤去や建物の修理の手配―――執事たちの忙しさが目に見えるようだ。
「コウ」
「何?」
「腕のいい男を見つけたな。キキョウが喜ぶぞ。家の連中には手を出すなと伝えておこう」
そう言って口角を持ち上げた父、シルバにコウは心中で苦笑を浮かべる。
ヒソカの強さがあれば、恐らく認められるだろうと思っていた。
それにしても、まさか最上級の褒め言葉を聞くことになろうとは…流石に、予想外だ。
「性格云々は文句言わないのね、父さん」
「重要なのはそこじゃないからな」
大きく皮の厚い手がコウの頭に載せられる。
彼が力加減を間違えられれば、彼女の手はプリンのように一瞬で潰れてしまうだろう。
しかし、父がそんな初歩的なミスをするはずがないので、コウは微塵も警戒せずその手を受け入れる。
こうして頭を撫でられるのも久し振りだな、と思った。
「キキョウが今か今かと報告を待ってるからな。お前が行け」
「ええ」
「ついでに、お前の仕事が来てるから、家を出て行く前に片付けておけよ。手が要るならそいつと行けばいい」
シルバはそう言って、崩れた訓練場の入り口から出て行った。
中で二人の会話を聞いていたヒソカは、いつの間にか大きな瓦礫に腰を下ろしている。
所々怪我をしているようだが、大きなものはなさそうだ。
「父さん相手にそれだけの怪我で済んでいるなら、自分の腕を誇っていいと思うわ」
「中々楽しめたよ。あと一歩でスイッチが入ったんだけどなぁ…残念」
「そうなる前に止めにきたのよ。スイッチが入った瞬間に殺されるわよ、ヒソカ」
腕を見る手合わせと殺し合いは根本的に違う。
コウが相手でも恐らくヒソカを殺せてしまうだろうから、シルバが相手の場合など考えるまでもない。
溜め息混じりにヒソカの元へと近付くと、コウは持ってきていた救急箱の留め具を外した。
「後から母さんに話をしておくわ。その後、仕事に行くけど…ヒソカはどうするの?」
「邪魔にならないならついていくよ」
「そう。内容によるけれど、父さんがああ言っていたから…手があっても問題ないと思うわ」
傷を消毒してからガーゼを載せて、くるくると包帯を巻く。
それがヒソカに似合わないような気がして、思わず苦笑を浮かべた。
彼はどんな怪我でもそのまま放置してしまいそうだから。
「たぶん逃げるのは無理だろうから、言っておくわね。私はまだ結婚するつもりはないの。
元々するつもりもなかったんだけど、そうなると母さんが納得しないから…そこは諦めてるわ」
「うん」
「あなたが傍にいるのも別に構わない。というより、父さんが認めてしまったから…仕方ないし」
だからね、とコウは包帯の端を始末して、箱を閉じた。
バチン、と留め具が音を立てる。
「もし、私との未来を望むなら…その気にさせてみせて。逃げられないんじゃなくて、逃げたくないと思うように」
コウの目は挑戦的な色を浮かべているのではない。
彼女は、ヒソカの与える未知なる物に対して、好奇心にも似たそれを浮かべていた。
ヒソカはコウの言葉に、なるほど、と思った。
彼女はやはりゾルディックの人間だと納得したのだ。
ヒソカが知るゾルディックはイルミとシルバだけ。
二人とも感情がほとんど見えない人間だから、コウが同じ家の人間には思えなかった。
しかし、やはり彼女も同じだ。
割と表情豊かで感情がよく見える彼女だが、多くの感情を知らないのだ。
淡白と言うべきなのか、関心がないと言うべきなのか。
ヒソカに対する感情は諦めと、過去に関係があるから無碍に扱えないと言う一種の同情だ。
かく言うヒソカも、それほど多くの感情を持った経験があるわけではない。
少なくともコウよりは多いと言う程度だが…コウが持つべきそれを知っている。
「…覚悟しておいて」
自分に大きすぎる影響を与えていった彼女だから、今度は自分がそれを返してみせよう。
口角を持ち上げたヒソカに、コウは小さく笑った。
「私、本当に心配していたのよ。コウがお見合いを嫌がってばかりいるから、行き送れるんじゃないかと思って。
でも、よかったわ。シルバが認めるような方ならコウの相手も安心ね。
そう言う方がいたなら教えてくれればよかったのに。そうすれば無理にお見合いを薦めたりしなかったわ?」
相変わらずと言うかなんと言うか。
母の勢いはすごい。
喋りだしたら止まらない彼女は、時折ハンカチを目元…は見えていないけれど、そのあたりに運ぶ。
「ところで、コウ。式はいつにするの?折角だから盛大にお祝いしましょうね」
「あー…そうね。次の仕事が入ってるから、詳しい話はまた今度でいいかしら?」
戸惑いなど微塵も見せることなく笑顔でそう言ってのけるコウ。
相当キキョウの扱いに手馴れているらしい彼女の行動に、キキョウは何の疑問も抱かなかった。
いや、もしかすると抱いた疑問は彼女にとって取るに足らぬものだったのかもしれない。
「そうね。決めることは山ほどあるもの…じっくり時間をかけましょうね、コウ」
天をも貫く機嫌の良さは、まったく揺るがなかったようだ。
感情の起伏が激しいキキョウだが、この時ばかりはそれに感謝した。
「気をつけていきなさいね。嫁入り前の大事な身体に傷を残しちゃ駄目よ?」
「ええ、行って来ます」
頬にキスを受けてから、コウは部屋を出る。
廊下に残していたヒソカと合流すると、彼は楽しげに喉を鳴らした。
「似てないねぇ」
「反面教師ってやつよ」
こうならないようにと育ったのだから、似ていなくて当然だ。
自分自身の感情云々の前に、外堀ががっちりと固まってきているような気がする。
コウは心中で息を吐く。
もし万が一コウが別の誰かを愛したとしても、修正は中々難しいだろう。
母の場合は認められる強さがあれば相手は誰でもいいのかもしれないけれど。
「とりあえず…行くわ。来るんでしょう?」
「行くよ」
ヒソカに声をかけて歩き出すコウだが、彼がついてきていないことに気付いて足を止める。
振り向いた先の彼は窓の外を見つめていた。
ヒソカ?とその名を呼ぶと、彼はにこりと笑う。
「客人だね」
彼は窓の外…遥か向こうに見える、門を指してそう言った。
彼のオーラが揺らぐのを感じて、その客人が誰なのかを知る。
「あぁ…来るって言っていたわね」
「何をしているのか知らないけど…成長が楽しみだよ」
門のところでしていることと言えば試練の門を開くことだろうけれど、ヒソカはそれを知らない。
それにしても、とコウは思った。
屋敷から門まではかなりの距離がある。
この距離に気付くと言うことは、ヒソカの感覚もかなり敏感になっているのだろう。
ゾルディックの中に入ると言うことで、彼もそれなりに警戒していたのかもしれない。
「…放っていくわよ」
声をかけなければ一日でも窓の外を眺めそうな彼に、呆れを含んだ声をかける。
彼は迷いなく窓から視線を外してコウの元へと歩いてきた。
隣に立った彼を見て、そして窓の外に見える門を見て―――コウもまた、静かに歩き出す。
10.02.09