Carpe diem --- 22
ぐらぐらと地震のような揺れが足元から伝わってくる。
地下室に向かいながら、コウはふと震源地を見た。
と言っても実際に壁を通してそれが見えるわけではない。
その方角を見たと言うだけの事で、彼女はすぐに視線を石の階段へと戻した。
「…随分と所為が出るわね、ミルキ」
全身を汗だくにしながら鞭を振るう背中を見て、コウがそう声を上げた。
本気で気配を消していたわけでもないのに、ミルキは驚いた表情を見せている。
「姉貴」
「気がつかなかったの?修行をサボっているのね」
「ち、違うよ!えっと…仕事が忙しかったんだ!」
「そう、机に向かってパソコンを打ち込む仕事が忙しかったのね?」
笑顔を絶やさずそう言ったコウに、ミルキはぐっと言葉を詰まらせた。
この笑顔が自分にとって良くない物だと言う認識があるからこそ、何も言えなくなってしまう。
修行をサボっていたと言う自覚はあるのだから、仕方がない所だ。
「そ、それより…さっきから、何なんだよ、この揺れ。姉貴は何か知ってんのか?」
「あぁ…私が連れてきた人がね。父さんと手合わせをしてるのよ。念はなしって事になってるんだけど」
随分と派手よねぇ、と呟く彼女はまるで他人事だ。
「姉貴が…連れてきた?」
「ええ、そうよ。ちょっと、ミルキ。私がキルアの顔が好きって知ってて顔に傷をつけてるの?」
「そんなのどうだっていいだろ!連れてきたってなんだよ!?」
「その言葉のとおりよ。まぁ…要するに、結婚相手候補…ね」
「結婚相手!?」
思わず声を上げたのはミルキだけではなかった。
今まで沈黙していたキルアとミルキの声が重なり、地下室に響き渡る。
そんな二人に、コウはきょとんと瞬きをした。
「そんなに驚くとは思わなかったわ。意外?」
「意外って言うか…姉貴、ずっと断ってただろ!?」
「何で今になってそんなの連れて来るんだよ!!第一、試験中にはそんな事全然…!」
仲が悪いかと思われた二人だが、意外と気が合っているようだ。
そんな事を考えながら、苦笑を浮かべる。
キルアの言いたい事はよくわかる。
コウとて、まさか本当に受験生の中で相手を見つける事になるとは思っていなかったのだ。
確かに試験の目的はそれだったのだが、どうせ気に入らないだろうと高をくくっていた部分もある。
「…相手を見てくる!!」
そう言うと、ミルキは鞭を投げ出して部屋を出て行った。
珍しく行動的な彼に、心中で首を傾げるコウ。
彼女は部屋の隅に据え付けられている水道の水を汲み、清潔なタオルを浸した。
それを手にキルアの元へと近付き、そっとその頬を拭う。
「…相手って誰?俺も知ってる?」
「ええ、知っているわ。あんまり喜んでくれないと思うから…今はヒミツ」
「…親父が納得できるほど強くて、姉貴が納得できる見た目の奴なんていた?」
記憶を探っているらしいキルアは、あれでもないこれでもないとぶつぶつ呟いている。
強いと言うだけならばヒソカも挙がるが、コウが納得できる容姿と言う時点で彼はキルアの中で候補から消えた。
奇抜な格好のヒソカしか知らないのだから無理はない。
冷静に考えれば該当者が彼かイルミしかいない事くらいはすぐにわかるのだが。
暫く悩んだキルアは、わかんねぇ!とコウに助けを求めた。
「あの3人の中にはいないよな?」
「あの3人って?」
「ゴン達。他の二人は知ってたっけ?クラピカとレオリオっつーんだけど」
「あぁ、知ってるわよ。名乗ってもらったから。あの3人の中にはいないわ。全員年下でしょう?」
呆気なくそう答えたコウに、キルアが目を見開く。
そんな彼を見て、彼女は首を傾げた。
「何で年下ってわかんの?レオリオとか、老けてるだろ」
「見れば何となくわかるわ。あんな落ち着きのない20代はそういないわよ」
そう答えてあげれば、キルアはへぇ、と感心したように呟いた。
「クラピカって姉貴の好み?あ、年齢はなしで」
「綺麗な顔立ちだとは思うけれど、それだけね」
「そっか。…ますますわかんねぇ」
「ま、いずれわかるわよ」
ゴン達はここに来ると言っていた。
もしシルバの許可が下りれば、キルアはゴンと行動を共にする事になるだろう。
そうなれば、ヒソカがゴンを好んでいる以上、必ず再会する時がやってくる。
かき回すのが好きなヒソカが黙っているとは思えないから、その時には確実に事実を知る事になる。
尤も、万が一本当に彼と結婚するような事になれば…嫌でも知る事になるだろう。
程なくして、ミルキが足音大きく地下へと戻ってきた。
「何なんだよ、あいつ!!」
「あら、お帰りなさい、ミルキ」
「親父と互角じゃねぇけど負けてねぇなんて、何者なんだよ!!」
ミルキの頬を流れる汗は運動によるものではなく、冷や汗のようだ。
修行をサボっているとは言え、ミルキもゾルディックの一員だ。
そんな彼をここまで怯えさせたと言うことは。
「…本気になってきてるって事ね」
コウはやれやれと溜め息を吐き出した。
その時、再び僅かな揺れを感じたかと思うと、ビシィ、と地下室の壁に亀裂が走る。
「……………………………」
3人が沈黙して壁の亀裂を見つめた。
そろそろ止めに入らないと、屋敷そのものが壊されてしまうかもしれない。
彼女は持っていたタオルでもう一度キルアの頬を拭ってから、タオルを水道のところに投げる。
そして、ミルキとすれ違うようにして階段へと向かった。
「程々にしなさいよ」
すれ違い様、ミルキにそう言い残し、その場を後にした。
ミルキの怒りもわからないではない。
自分は腹を刺されているし、母は顔面を刺された。
彼女は成長を喜んでいたけれど、普段から素質云々で劣っていると言われていたミルキには許せなかっただろう。
そこから先はコウが口出しすべき所ではないと思っている。
鞭を振るう音が聞こえ、小さく息を吐き出した。
「あの子も劣っているわけではないのにね…」
ミルキが劣っていたというよりは、キルアに素質がありすぎたというべきだ。
長男として生まれたイルミすら敵わない素質。
一番望んでいない者にそれが与えられた事実は、皮肉以外の何者でもない。
そんな事を考えながら一段ずつ階段を上がっていると、ズン、と低い音が聞こえた。
天井からパラパラと石くずが落ちてくるのを感じ、足を速める。
長い足を駆使して飛ぶように階段を上がりきり、彼らのいる訓練場へと走り出した。
10.02.06