Carpe diem --- 21
鬱陶しいほどに釣書を用意され、早く結婚しろと急かされて育つ事、およそ10年。
こうもしつこく言われると、厄介払いがしたいのだろうかと考えた事もある。
だが、それが事実ではない事くらいは理解できる年齢だ。
自惚れでもなんでもなく、コウはゾルディック家の中でとても可愛がられている。
結婚を急かされるのは跡を継ぐ必要がないから、出来るだけ早く良い相手と一緒になるため。
そして、一日でも早く孫・ひ孫の顔が見たいから、だ。
それに気付いた時は、それならもっと顔のいい男を選んでくれと脱力したものだ。
今となっては感性が少しずれているのもゾルディックなのだと受け入れてしまっている。
「―――うん、わかった。じゃあ」
長くない電話を終えて、コウはふぅ、と息をつく。
「どうだった?騒いでた?」
「そうなる可能性を考慮してゴトーに電話したから大丈夫」
いい執事だわ、と彼を褒めるコウ。
コウが客を連れて行くと聞けば、両親…特に母親は黙っていないだろう。
すぐさま準備に乗り出す光景がありありと想像できてしまった。
だから、コウは執事室に電話をかけ、ゴトーに客室の用意を頼んだのだ。
ついでに両親の仕事の予定を聞いて、客人の事は彼らには伏せておくよう言っておいた。
彼は何も追及することなく「畏まりました。お気をつけて」と答えてくれる。
まったく、よく出来た執事だと思う。
「ヒソカは?」
「飛行船の中を見て回るって。何も面白い事なんてないと思うんだけど」
「…エンジンを壊したりしないよね?」
「…流石に、エンジンに興味を示すほど無知じゃないわよ、彼」
イルミの中でヒソカがどんな人物になっているのかが少し気になった瞬間だった。
飛行船を降りると、そこには列を成して自分たちを出迎える執事たち。
必要ないというのだが、彼らは敷地内のどこにいても必ずこうして主人の家族を迎える。
言うだけ無駄だと知っているから、イルミやコウも気にはしない。
さっさと通り抜けて自室へと向かうイルミを見送り、コウがゴトーの前で足を止めた。
「彼はヒソカ。私の客人だから、覚えておいて」
後ろで大人しくしているヒソカをそう紹介すると、執事たちの視線が彼に集まる。
「―――畏まりました。今不在の者には私が責任を持って伝えておきます」
「ありがとう。あとは…」
森と形容するに相応しい庭を振り向き、長く指笛を鳴らす。
程なくして、ガサガサッと草木を分けて姿を見せる番犬、ミケ。
あまりの大きさにヒソカが瞬きをした。
珍しいなと思いつつ、ミケに近付いていくコウ。
「ミケ。あの人を覚えておいてね。殺しちゃ駄目よ。怪我をするから」
まるで人相手のようにそう話しかけるけれど、果たしてどこまで理解しているのか。
とりあえず、ヒソカを覚えなければならないことだけはわかっているようだ。
じっと自分を見つめる無表情な目に、ヒソカは目を細めた。
よくもまぁ、動物をここまで鍛えたものだ。
流石はゾルディック…と言うべきなのだろうか。
恐らくあの犬に手を出せば、自分も無傷ではないだろう。
「うん、いい子ね。行っていいよ」
覚えた、と答えるようにコウの顔に頬ずりしてから、ミケは木々の向こうに消えていった。
それを見送り、コウはヒソカを振り向いた。
「じゃあ、中に入りましょうか。覚悟はいい?」
「もちろん」
「では、私がご用意した客室にご案内いたします。コウ様はご自分のお部屋へどうぞ」
「そうね…じゃあ、後で迎えに行くわ。ヒソカ、待っていて?」
確認するように振り向く彼女に頷くと、微笑を残して自室への道を歩き出す。
ゴトーは腰を折ってそれを見送り、さて、とヒソカを振り向いた。
「ご案内いたします」
前を歩き出す彼に続いて、足を踏み出した。
「コウは随分と大事にされてるね」
「大事なお嬢様ですから、当然の事です」
「なるほど。ピンポイントで向けられる殺気はその所為だね」
ちくちく、などという可愛らしいものではない。
ザクザクと貫かんばかりの殺気は、ヒソカにとってはいっそ心地良くさえ思えてくる。
目を細めたヒソカに、ゴトーが足を止めた。
「我々が望む事はただ一つ―――あなたがコウ様に危害を加えないと、誓ってくれればそれで良い」
「おかしな話だね。僕の事を知りもしないのに、警戒するのかい?」
「仕事柄、染み付いた血の臭いと殺気には敏感なもので」
笑みを絶やさずにそう答えるゴトー。
実力から見てヒソカが優位である事は明らかだ。
しかし、コウに危害が及ぶなら、彼は刺し違えてでもヒソカを殺そうとするだろう。
笑顔の裏に見える背筋が凍るような殺気に、ヒソカは口角を持ち上げた。
「安心して良い。彼女を殺すつもりはないからさ」
ヒソカの言葉に、ゴトーは眼鏡越しにじっと彼を見つめる。
やがて、彼はにこりと客用の笑みを戻した。
「ご無礼お許しください。何かと悪質な訪問客の絶えない家ですので」
こちらです、と部屋のドアを開けたゴトーは、ヒソカに一礼して廊下を戻っていった。
壁に凭れたヒソカは、ククッと喉を鳴らす。
「無礼だなんて、思ってもない事を言うねぇ」
「コウ姉様…?」
控えめなノックの音が聞こえて、コウは髪を拭いていた手を止める。
振り向いたドアからひょこりと顔を覗かせるカルトが見えて、小さく微笑んだ。
「ただいま、カルト」
おいで、と手招きをすれば、カルトがきちんとドアを閉めて近付いてくる。
「お帰りなさい、姉様。試験はどうでしたか?」
「ちゃんと合格してきたよ。簡単だったから、カルトも時期が来たら受けるといいわ」
そう言いながらカルトの頭を撫でる。
イルミやコウと同じ艶やかな黒髪がさらりと手の平を滑った。
「ところで、どうしたの?部屋に来るなんて」
「…兄様の飛行船から知らない人が降りてきたから、気になって」
「私のところに来たのね。イルミには聞きに行かなかったの?」
「兄様は父様の所に行っているから」
カルトの言葉を聞いて、イルミが先に報告に行ってしまったのだと知る。
まぁ、自分の分も伝えておいてくれるだろう。
どの道、話があるから顔を出す事になるけれど。
「彼は私の客人よ」
「…僕、あの人あんまり好きじゃありません」
少し躊躇ってからそう言ったカルトに苦笑する。
無理はないと思った。
この家に住む人間ならば、誰でもヒソカの危険性を感じられるだろうから。
「彼を刺激しないようにね。カルトが危ないから」
「…はい」
「後から…ちゃんと紹介するわ。そんな顔をしないで?」
納得していない様子のカルトの頭を優しく撫でてから、服を着替えるためにクローゼットの方へと歩いていく。
カルトはそんな姉の背中を見つめ、む、と唇を尖らせた。
「姉様が誰かを連れてくるなんて、初めて」
しかも、後から紹介するのだという。
それが何を示すのかを理解できないほど子供ではない。
怒りながら見合いを断り続けている間は安心できていたのに。
そう遠くない未来に彼女が連れ出されてしまう事を想像して、気分が悪かった。
姉が取られるのが嫌だなんて、子供みたいだとわかっていたけれど…理解と納得は別問題だ。
10.02.01