Carpe diem   --- 015

他の受験生はまだいない。
がらんと広すぎるその場所には、コウとヒソカの二人だけ。
出来れば関わりたくないと思っている人物と二人きりと言う状況に、コウは盛大に溜め息を吐き出した。

「無視するなんて酷いじゃないか」

そう言った彼は、手元でトランプを遊ばせている。
右から左へとバラバラバラと移動するそれは、まるで魔法のようだ。
そのうちの一枚を拾い上げたヒソカが、ピンとそれを投げた。
一次試験の最中に猿と人間を殺したあの時と同じ速度。
それはコウへと向かってくる事なく飛び、壁につけられている監視カメラを破壊した。
一枚目に続き、二枚目、三枚目と飛んだそれが順番にカメラを壊していく。
やがて、全てを壊し終えると、ヒソカがクイッと手を引いた。
瞬時にヒソカの元へと戻っていくトランプカード。
そう言えば、彼は一次試験の時にも、トランプを回収していた。
意外と物を大切にするタイプだったのだろうか。

「僕は構わないけど、君が嫌だろうからね」

監視カメラを壊した理由なのだろう。
聞いたわけでもなくそう言ったヒソカに、コウは「そう」とだけ答えた。

「何を考えているんだい?」
「…勝手に近付かないで」

考え事をしている間に距離を詰めたらしいヒソカが、目の前に居る。
相変わらず考えの読めない笑顔を浮かべ―――いや、はたしてそうだろうか?
本当に、彼の表情は読めないのか?
コウは目の前のヒソカを見上げ、沈黙した。
自分を見る彼の目はいつものように微笑んでいる。
けれど、それはいつもの笑みではなく…そう、言うならば、優しさと表現できるものを感じる目だ。

「…何を、考えているの?」
「さぁ、何だろうね」

そう言った彼の手がコウの頬を撫でる。
やめてと振りほどくことはない。
耳のあたりの髪を掻きあげた彼の手が離れて行くと、違和感が消えた。
そう―――ずっと付けていたピアスを外していた間の、あの違和感が。
言葉もなく耳元へと自身の手を伸ばす。
指先が、耳以外の物に触れた。

「返しておくよ。大事なものなんだろう?」

名残惜しいけど、と呟く声が遠い。
何故、彼がこれを持っているのか。
コウは、既にその答えを知っている。
けれど、受け入れていないのは、感情が納得したくないと訴えるからだ。

「…ヒソカ?」
「何だい、コウ」
「あなた、20年、前…」

喉が渇く。
かろうじて紡ぎだされた言葉に、ヒソカが笑みを深めた。

「トランプ、ありがとう」

やはり、そうなのか。
ヒソカの答えは、コウを無理やりに納得させるには十分すぎるものだ。
認めたくない。
認めたくないけれど―――
昂りそうな自分自身を抑えたコウは、とりあえず―――ヒソカの横っ面を引っ叩いた。















「酷いなぁ。感動の再会なのに」
「避けられるのにあえて避けなかったでしょうが。それより―――」

コウの目がギンと鋭さを帯びる。
殺気ではないけれど、それに近い空気がヒソカを射抜いた。

「“自らの命が危険にさらされる時ならば構わない。でも、理由なく殺してはいけない”」

コウにとっては昨日、ヒソカにとっては20年前の言葉。

「私、そう言ったわよね?」
「…もちろん、覚えているよ」
「なら、どうして―――」

その続きを紡ぐ事は出来なかった。
どうして、なんて自分が言える事ではないではないか。
何度でも止める。
そんな事を言っておきながら、彼を置き去りにしたのは他でもない自分自身だ。
止められないと知りながらそう言った自分を、彼はどう思っただろう。
唇を噛んだコウを見て、ヒソカが手を伸ばしてきた。
引き寄せる腕は力強くて、でも壊れ物に触れるように優しい。
つい先ほどは抱きしめた少年が、成長して自分を抱きしめている。
表現してしまうととても不思議な状況だった。

「コウの所為じゃないよ。僕は元々こう言う人間だ。自分の欲求に見合う強さを得て、抑えきれなくなっただけ」
「ヒソカ…」
「コウが気にする必要はない。これからは止めてくれるんだろう?」
「―――“これから”?」

未来を指す言葉に、コウが顔を上げた。
きょとんとした彼女を見て、ヒソカが笑みを深める。

「逃げられると思わないでね、コウ。あの時は仕方なかったけど…次は逃がさない」
「に、逃がさないって…私、あなたに恨まれるような事したの?」

なんとなく笑顔にうすら寒さを覚えて一歩引くも、彼が一歩進み出てしまって結果として距離は同じ。
口元をひきつらせる彼女に対し、ヒソカは相変わらず笑顔全開だ。

「僕が不用意に人を殺さないように、見張っていればいい」
「いや、もういい大人なんだし、そこから先は個人の自由と言うか…私、そんなに関わるつもりはないわよ」

関わったのは、彼がまだ子供で、生きていく術を持たない弱い存在だったからだ。
断じて、容赦なく人を殺し、ハンター試験でも飄々としているような人間ではない。

「僕はね、コウ。目の前で君が消えて、自分の無力さを憎んだ」
「…ごめん」
「そして、決めたんだ。強くなって、君を見つけ出す―――ってね」

耳元に唇を寄せられて、ゾクリと背筋が逆立つ。
紡がれた言葉は、決して優しさを含んだものではなかった。
けれど、それは彼の執着心から来る言葉。
胸の辺りをぎゅっと掴まれた気がしたのは、気のせいではないのかもしれない。

「逃がさないし、手放さない。その為に選んだ能力だから」
「あなた、それだけの為に能力を決めたの?」

馬鹿じゃないの、と言う呟きに、彼はクククッと笑う。

「もちろん、十分に応用できる能力だよ。選んだ理由は、きっかけに過ぎない」
「…あ、そう」

もう、抵抗も無駄のような気がしてきた。
少なくとも、コウはヒソカの異常性を認識していたはずだ。
知らなかったとは言え、子供のヒソカに手を差し伸べてしまったのは彼女自身。
まさしく自分で蒔いた種、ということだろう。
肩の力を抜いて諦めモードへと入った彼女に気付くと、ヒソカは満足げにその身体を抱き締めた。


他人など信じていなかった自分に、初めて手を差し伸べてくれた人。
人のぬくもり、強さ、安心―――色々な事を教えてくれた。
あの時は彼女の存在はあまりにも大きくて、消えてしまってから、気付いたのだ。
手放すべきではなかったのだと。

漸く見つけた彼女は自分よりも小さかった。
今度は自分が彼女を守ることが出来ると…心が狂喜に震えた事を、彼女は知らないだろう。
もちろん、これからも教えるつもりはないけれど。











「あのトランプ、あの時の?」
「そうだよ」
「と言う事は、毎回ああやって回収しているの?」
「もちろん」
「…物持ちが良いんじゃなくて、あのトランプだからってことね」
「コウがくれた大事な宝物だよ。服は、流石に残しておけなかったからね」
「その宝物で人を殺すって所に抵抗を覚えて欲しかったわ」
「折角のものを実用しない手はないじゃないか。自分の武器ならいつも手放さずに済む」
「納得できるようで出来ないわよ、その理論。もっと安全なものをあげれば良かったわ」
「例えば?」
「…スケボー、とか」
「うーん…それだと流石に、この年になって使えないなぁ」
「………うん。あなたにはそれが似合っているわ。スケボーなんて似合わないこと甚だしいわ」
「そうだね」
「所で、そろそろ放してくれないかしら」
「嫌」
「(…いつの間にか念が張り付いてるし、無理にはがしても無駄か…)…次の人が来るまで、ね」

09.11.26