Carpe diem   --- 009

日が傾き、そして沈んでから、間もなく。
休みなく動いていたコウが、ぴたりと動きを止めた。
息切れするヒソカを見下ろし、構えを解く。

「今日はここまでにして、宿に戻りましょうか」
「え!?もっと続ける!」

彼自身も、自分が何かを掴み始めている事を実感していたのだろう。
休息よりも次を、と望むヒソカに、コウはピンと彼の額を弾いた。

「子供は寝て育つの。睡眠時間を削っていては成長できないわよ」

時間がない事は否めない事実だ。
しかし、だからと言って疲れた身体に鞭を打ったところで、効率よく事が進むはずがない。
ヒソカが納得できるまで話をして、宿へと帰ってきた。
彼がシャワーを使っている間に、町に出たコウは二人分の日用品を用意する。
子供用の服を選ぶのはキルアの時以来で、少しばかり心が躍った。
ちなみに、カルトの時は殆ど母が選んでしまうので、彼女の出番がなかったのである。
宿に帰ると、タイミングよく浴室から出てきたヒソカに買ってきた品を説明し、入れ替わるようにシャワーを使った。



距離を置いて設置されたベッドにそれぞれが腰を下ろし、眠るまでの僅かな時間を過ごす。

「コウは何で僕によくしてくれるの?」

ヒソカが、今更だが当然な質問を投げかけてくる。
コウはその問いかけに答える前に、少し間をおいた。
彼女自身、その理由を測りかねていたのかもしれない。

「…どうしてかしら。初めは気紛れだったのよ。でも…」
「でも?」
「あなたの目が、生きる事に貪欲だったから、かな」

人を殺めてはいけないと言う道徳が彼の中に存在するのかどうかはわからない。
けれど、彼はそれよりも生きることを望んだ。
仕事の時以外はゾルディックに似合わない性格の彼女は、そんな彼を生かしたいと思った。
気が付くと、彼に向って手を差し出していたし、強くなるための道を用意していた。

「きっかけはそうだと思うけれど、今は純粋に楽しんでいると思うわ」
「何でコウが楽しいの?」
「磨けば光る逸材だから。そんな子を教えられると言うのは、名誉なことだと思うよ」

そう言って、伸ばした手でヒソカの頭を撫でた。
自分やイルミのような芯のある髪質ではなく、ふわりと柔らかい。
伸びた手にヒソカが怯えるように肩を小さく揺らしたのはわかったけれど、あえて気付かない振りをした。
聞けば、彼は日常的に大人の暴力に触れていたのだと言う。
それならば、伸ばされる手に怯えるのも無理からぬ事だろう。

「本当なら、一ヶ月くらいかけて教えてあげたいんだけど…残念ね」

頭を撫でていた手を止めて、心底残念そうにそう呟く。
撫でられる感覚に俯いていた彼が、顔を上げた。

「僕ももっと教えてほしい」
「うーん…そうしたいのは山々だけど…」
「駄目なの?」
「駄目って言うか、たぶん無理だと思うわ」

この場所に飛ばされたのは、間違いなく念能力が原因だ。
感じたオーラの性質からして、ヒソカの物ではない。
別の人間から奪ったのか譲り受けたのかは知らないけれど。
念能力と言うのは、制約に忠実だ。
三日と言えば、間違いなく三日。
感情や何かで期限が伸びることはない。

「さぁ、もう寝ようか。明日の朝は早く起きないと」

ポン、と彼の肩を叩いてから、部屋の入り口にあるスイッチのところへと歩いていく。
ぱちんと音が鳴って、部屋の中を闇が包み込んだ。

「おやすみ、ヒソカ」
「…おやすみ、なさい」

人のぬくもりに触れることを知らない少年。
返事の声に戸惑いの色が浮かんでいたことに、コウが悲しげに微笑んだ。














草木も眠る、丑三つ時。
眠っていたはずのヒソカが、ぱちりと目を開いた。
元々、彼は眠っていなかったのだ。
そっと身体を起こしたヒソカは、少し離れたベッドのコウを見る。
小さく上下する肩。
大丈夫、眠っている。
それを確認してから、彼は静かに部屋を出て行った。
パタン、とドアが閉じると同時に、コウが目を開く。

「…何を寝た振りをしているのかと思えば…」

このためだったのね、と呟く。
しかし、脱走の理由は何だろうか。
そんなに厳しくしたつもりはないし、彼自身も自分を高める事を慶んでいたと思っていたのだが。
少しだけ悩んでから、コウも身体を起こした。
どうせ気になって寝られないならば、彼を追ってみるのもまた一興だろう。
鍵を手に取り、部屋を後にした。










走るヒソカの小さな背中を追いながら、コウはのんびりと歩く。
気配はちゃんと掴んでいるから、見失う事はない。
次第に、コウは彼がどこに向かっているのかを理解した。
躊躇いなく流星街へと入っていく彼。
こんな夜更けに、何の用があると言うのか。
この時間にこの場所に姿を見せる者がいるとすれば、それは害や悪意を抱えぬ者であるはずがない。
眉を顰めるコウを他所に、ヒソカは軽やかに瓦礫の中を走る。
程なくして、彼女の危惧したとおりの事が起こった。
ヒソカの前に、大人の男が5人、姿を見せたのだ。
コウが彼を鍛えだしたのは昨日、それもまだ数時間の事。
少なくとも一般の大人よりは動きがよくなっただろうけれど、相手を翻弄できるほどではない。
多勢に無勢では、あちらに分があるのは当然だった。
しかし、そんな事がわからないような馬鹿な子ではなかったはず。
良くも悪くも勘も頭も良いヒソカが、何故この場所に来たのか。
彼の真意を測りかねていたコウの視界で、ヒソカが動いた。

―――それは、止める暇もない一瞬の出来事。

09.11.12