Carpe diem --- 008
「私と一緒に来る?」
そう言って差し出した。
全身を返り血で赤く染め、少年はぼんやりとその手を見つめた。
たっぷりと時間をかけて、少年が動き出す。
小さな手が、彼女の手の平へと重ねられた。
「…まぁ、予想していた通りね」
とりあえず、町まで出たコウは、そこでパソコンを使って電脳ページを捲った。
現在地を調べた彼女は、次に先程まで居た場所に関して調べる。
予想通り、彼女が居た場所は、流星街だった。
その事実に納得した彼女の次の行動は、お金を引き出す事だ。
自分の口座番号、暗証番号を入力。
問題なくコウの口座にアクセスでき、まずは一安心ね、と心中で呟く。
そして、残高を確認した彼女は、目を見開いて静止した。
「…5分の1、以下?」
表示されている金額は、コウが記憶している資産の5分の1にも満たない。
確かに、最近は土地を用意したり家を用意したりと色々と出費が嵩んでいた。
けれど、こんなに激減するほど浪費した覚えはない。
何者かによって使われた可能性はゼロだと断言できる。
ゾルディックが使うくらいだから、恐ろしいほど強固なセキュリティが施されているからだ。
少し悩んだ末、コウは今更ながら、パソコンの日付を確認した。
日付は、同じ。
では、年は?
それを確認し、目が点になる。
「………………20、年…前?…あぁ、そう言う事か」
預金残高の謎が解決した。
5歳に満たないコウは、まだそれほど仕事をこなしていない。
出来る仕事も簡単なものに限られていて、あまり収入が大きくないのだ。
チマチマこつこつと貯めた結果が、今目の前に表示されている金額と言う事。
「…まぁ、私も使われたって事だし。自分の口座に変わりはないし」
何をするにもお金は必要なのだから仕方ない。
過去の自分には悪いけれど、いくらか頂いておこう。
お金を引き出して個室を出たコウは、すぐそこに居た少年に僅かに口角を持ち上げる。
もしかすると居なくなっているかもしれないと思ったけれど、彼はそこに居た。
「行こうか」
裏路地と言うのは便利な場所だ。
全身真っ赤に染まった少年と二人で歩いていても、誰にも咎められたりはしない。
それなりに質の良い宿も、金さえ払えば一切関わってこない。
借りた部屋で少年にシャワーを浴びさせ、宿の主に電話で子供用の着替えを用意させた。
ゾルディックの名の刻まれたカードを見せれば、料金が後払いになる事も二つ返事で了承された。
コウは少年を連れ、適当な店に入る。
「君、名前は?」
「名前って?」
「…君個人を識別するもの。他の人に呼んでもらう時に、必要でしょう?」
「…ないよ。誰かに呼んでもらう事なんて、なかったから」
淡々と答えた少年に、コウは眉間を指先で押さえた。
「………あんなヒソカだって、快楽殺人者って言う呼び名以外の名前を持ってるのに…。
まぁ、いいわ。今この場で決めなさい」
無茶を言っているという自覚はあるけれど、何分コウには時間がない。
案の定、少年は「決めろって…」と困った様子を見せている。
「たとえば?」
「私はコウだけど、女性名だからやめた方が無難ね。イルミ、ミルキ、キルア…ゼノやシルバもありね」
他にもあるけれど、あいにく他人の名前に興味はないし、挙げだせばキリがない。
家族の名前を決められても色々と不便だが、名前がないよりはマシだろう。
そんな事を考えていたコウの耳に、うん、と何かを決めたような声が聞こえる。
「決まった?」
「うん。ヒソカでいいよ」
「……………確かに、家族の名前よりは抵抗なく呼べるけど………まぁ、いいわ」
さほど悩まずにその名前を選ぶ所に、彼の将来への不安を覚えた。
同じ名前だから奴と同じように育つとは限らないのだから…大丈夫だ、きっと。
「さて、じゃあヒソカ。君に、選択権を与えるわ」
足を組み直してそう告げると、少年…ヒソカが姿勢を正した。
「今日を含め三日間、私から戦いを学ぶか…このままあの場所に戻るか」
どうする、と問いかける。
気紛れだという事を、誰よりも彼女自身が一番よくわかっていた。
他者を奪って生きると選択した彼の未来は、平和ではない。
そう分かっているから、出来る限り強くしてやろうと思った。
最低限、すぐに諦めてしまわず、最期まで足掻ける程度の力を。
「教えて」
「…いい返事ね」
それを望むだろうとは思っていたけれど、実際彼の口からその言葉が出たことに満足する。
部屋の中で暴れるわけにはいかないからと、あえてあの場所へと戻ってきた。
誰が片付けるわけでもないそれ。
目の端に映り込んだそれを見ても、何の感情も浮かばない。
ちらりとヒソカの方を見たが、彼もまた、何も感じていない様子だった。
もしかすると、思っているよりも精神力が強い子供なのかもしれない。
「さて…時間がないから、実戦形式で行くわ」
コウはそう言うと、腰に巻いていたベルトを外す。
万が一ベルトにつけてあるそれが割れれば、彼は怪我では済まないからだ。
突き出した看板にそれを引っ掛け、軽く腕を回す。
そんな彼女の行動を、ヒソカがじっと見つめている。
ふと、彼女が彼を見て、にこりと微笑んだ。
次の瞬間―――彼女が消える。
「!」
「まずは、これが見えるようになろうか」
驚くヒソカの後ろから、声。
バッと振り向くけれど、見えるのは風景だけ。
しかし、目の端で、何かが動いたのはわかった。
「…へぇ…悪くないわ」
最速ではないとは言え、3割程度の速度は出している。
そんな自分の残像を見ることができると言うならば、優秀と言う他はない。
動体視力に身体がついて行っていないだけだ。
「…キルア以上かもしれないわね」
末恐ろしい子、と呟く。
何度か、彼の視界から逃げるように動く。
次第に彼の目が自分を捉え始めた。
速度に目が慣れてきたのだろう。
「目が慣れた所で、身体の反応速度をあげていきましょうか」
「うん」
「正面から打ち込むわ。避けられるなら、避けなさい」
そう言って、ぐっと拳を握る。
オーラを纏って彼を攻撃するわけにはいかないから、初めから絶の状態だ。
少しだけ間を置いて、ヒソカが反応できるぎりぎりと思える速度で拳を突き出す。
頭を右へ倒して避けた彼の頬を掠めた。
やはり、この程度の速度なら反応できるか。
コウは、自身の口角が持ち上がっている事を自覚した。
キルアを鍛えている時、楽しそうだったイルミの心理が、今ならば理解できる。
望むように応えるだけの集中力と、持って生まれた才能。
穏やかな笑顔の奥に、打てば響くものに対する純粋な昂揚感を抱いた。
「もう少し速くするわよ」
成長に合わせるように、少しずつ、けれど確実にハードルを上げていく。
09.11.10