Carpe diem   --- 007

状況が理解できない時は、目を閉じてはいけない。
本能的に閉じてしまったならば、他の感覚を鋭く研ぎ澄ませる。
一瞬にして円を行ったコウは、目を開いて視覚的にも安全を確認しようとする。

「…ここは…どこ?」

私は誰、とは続かない。
自分自身の事は、一番よく分かっている。
記憶喪失の線は消えた。
コウは円をそのままに、周囲の状況を確認する。
見渡す限り瓦礫の山。
その向こうに、薄らと霞がかった建物が見えている。
見覚えのない場所に警戒しつつ、荷物からケータイを取りだした。
アンテナは『圏外』。

「はぁ!?無人島でも通じるケータイが何で圏外!?」

このケータイを使い始めて早5年。
アクティブな仕事の相棒にしているにも関わらず傷一つない。
そんなケータイが『圏外』と表示している所など、初めて見た。

「信じられない…異世界だとか言わないわよね…」

ぶつぶつと呟きながら、何かを探す。
ふと、彼女の目に留まったのは瓦礫の中の看板。
そこに使われていたのはハンター文字で、コウはそれが読めることに安堵した。
少なくとも、世界は変わっていないようだ。

「三日…って言っていたわね」

ヒソカの言葉を思い出す。
恐らく、三日経てば元の場所に帰る事が出来るのだろう。
三日間程度は飲まず食わずでも死にはしない。
この場所を一歩も動かずに、三日間を待てばいい。
そう思ったが、やはり少なからず好奇心はあるもので。
悩んだ末、状況くらいは確認しようとその場から歩き出す。
長く持たせる事を優先し、円は半径10メートルをキープする事にした。
コウが歩く度に、足場にした場所がガラガラと崩れ、形を変える。
この瓦礫の底はどこにあるのだろうか。











ピンと、コウの纏う空気が変化する。
針の先のような小さな殺気を感じたのだ。
自分に向けられたものなのか、否かを判断するように、意識を集中させる。
集中させなければならない時点で後者である可能性が高い。
けれど、それを悟らせない実力の持ち主と言う事も考えられた。
数秒そうしていたコウは、やがて迷いのない足取りで歩きだす。
程なくして、瓦礫の丘を2つほど越えた先に、人影を見つけた。
殺気の出所はそこだ。
こちらに気付いた気配はない。
もう少し…近付こう。
そう判断して、コウは更に人影との距離を縮めて行く。
大人三人と向き合うようにして、子供が一人。
どう言う状況なのだろうか。
首を傾げつつ、絶をする。
この距離であれば、突然気配が消えたと驚かれることはない…と言うより、気付いていないだろう。
完全に気配を絶ち、進む。
上手い具合に突き出た大きな壁に身を隠し、聴覚に意識を向けた。
ギリギリだが、声が聞こえる。

「ガキが粋がってんじゃねーよ!!」
「あーあ。大人しく渡してくれりゃ、こんなことにはならなかったのになァ」
「世の中を教えてくれる俺たちに感謝しろよ!!」

聞くに値しない内容だった。
反吐が出る、と溜め息を吐き出す。
大人による集団暴行。
10歳に満たない子供には、何も出来ない。

「どこの世にもいるものね…」

そう呟いた所で、足元のそれを見つけた。
コン、とつま先で蹴り上げたそれはくるくると回転し、やがて重力に従って落ちてくる。
難なくそれを受け止めた彼女は、繁々とそれを見た。
刃毀れもない、切れ味も良い。
彼女が手にしたそれは、ナイフだ。
それを手に、コウは暫し考える。
コウは、自分は正義ではないと思っている。
間違っているからと助けに入るほどお人好しではないのだ。
彼女は自分の範囲に受け入れた人間だけを、全力で守る。
博愛主義ではない自分はどう動くべきなのか。
それを、考えていた。

「ま、仕方ないわね」

あまり気は進まないけれど、これも運命として、受け入れる事にしよう。
ナイフをくるりと回して刃先を指で挟み、そして投げた。
まっすぐに飛んだナイフが向かった先は、倒れ込んだ少年の手のすぐ隣。

―――さぁ、どうする?

コウは無言で少年の動向を見つめる。

「何だ、どこから飛んできやがった!?」
「誰だ!?」

飛んできたナイフに気付かないほど馬鹿ではなかったようだ。
騒ぎ出す男たちは、ナイフが飛んできた方…つまりは、コウの方を振り向いた。
そして、少年は彼らの背中。
動くなら、今しかない。
少年の小さな手が、それを握った。

















男たちのうめき声が聞こえる。
コウは気配を隠すことをやめ、あえて足音を立てながら近付いた。
死んではいないけれど、傷は浅くはない。
苦しむ男たちを一瞥し、そして少年を見下ろす。
キルアよりも幼い少年は、ナイフを掴む手だけではなく、あちらこちらに返り血を浴びている。
コウは少年に選ばせた。
ナイフを使うか、否か。
使って、殺すか、それとも自分が死ぬか。
少年は、ナイフを使い、そして相手を殺すことを選んだ。
男たちが死んでいないのは、単純に刺しただけでは即死ではないから。
見た限り、この場所は平和ではない。
コウが歩いてきた所々で瓦礫が赤く染まっていたし、中には朽ちた骸や骨があった。
この場所で生き抜くには、奪う覚悟が必要なのだと。
裏の世界を生きてきたコウは、そう理解した。
他者を奪うか、己を奪うか。
選んでしまった選択肢に、少年は茫然としていた。

「さっさと息の根を止めないと。反撃されれば、今度は君が死ぬよ」

コウの声に、少年がビクリと肩を揺らす。
そして、震える手がナイフを落としてしまった。

「い、いやだ…」
「殺さないなら、殺される覚悟をしな」

コウには、抱きしめてこの世の優しさを教えることは出来ない。
彼女自身が、そう教えられて育ってきたから。
酷だろうが何だろうが、選んだ道の決着をつけさせなければならないと思った。

「嫌だ…っ!!」
「うぉおおおっ!!」

少年の叫びと、最期の力を振り絞ってナイフを振りあげる男の咆哮が重なった。

09.11.09