Carpe diem   --- 004

「イルミ、貸し1ね」

待ち合わせていた飛行船の一室でイルミを迎えたコウは、開口一番にこりと微笑んだ。
表情を変えずに部屋に入ってきた彼は、何が、と問う。

「あなたの先の仕事、生存者が居たわよ」
「そうなんだ。片付けてくれた?」
「ええ」
「そ。じゃあ、これで貸し借りなしだね」

そう言ってイルミが手に持っていたものをコウに差し出した。
古臭い紙袋を差し出され、彼女が怪訝そうな表情を浮かべる。
重くはないが、軽くもない。

「これ、何なの?」
「お土産。開けてみればわかるよ」

そう言った彼に促され、紙袋の中身を取り出す。
更に茶色の紙に包まれていて、その中身はわからなかった。
一つずつ包装を解いていき、漸く彼の土産が明らかとなる。

「…これ、もしかして…」
「前に読みたいって話してた古文書。あの屋敷で見つけたんだよ」

無闇に触れればそれだけで崩れてしまいそうな表装の本。
ところどころの破れ、擦り切れは、この本が出来てからの年数を物語っている。
暫くそれを見つめていたコウが、そっと本をはがした紙の上に置く。
そして―――

「イルミ大好き!!」

世界広しと言えど、真正面からイルミに抱きつく事が許されている人物はコウくらいだろう。
飛びつくようにしてその首に絡みついた彼女を避けるでもなく、されるがままにしているイルミ。
こう言うときの彼女は、満足するまで好きにさせるのが一番だと知っているのだ。

「ザバン市に着くまでに読んじゃうから、邪魔しないでね!」
「着くまでにって…3000ページくらいあるけど」
「人間、その気になれば何でも出来るものよ」

既に彼女の中では決定事項なのだろう。
よし、と意気込んだ彼女は、その本を大事そうに抱えてベッドに移動した。
ふかふかとした布団を跳ね除けてベッドにうつぶせになり、いよいよ本を読む姿勢になる。
ソファーでと言う選択肢もあったけれど、集中して読む時にはいつもこの姿勢だ。
こうなった彼女にはどんな声も届かない。
あえて言うならば、恐らく殺気を向ければ飛び起きるだろうけれど…それ以外はまったくだ。
イルミは軽く肩を竦めてから、飛行船を動かすべく部屋を後にした。













「コウ、着いたよ」

部屋をノックしても無意味なので、そのままガチャリとドアを開ける。
出て行ったときの姿勢のまま、こちらに視線を向けることすらない彼女に溜め息を吐き出した。
ほんの僅かに殺気を向ければ、彼女の姿だけがベッド上から消える。

「…イルミ。無闇に殺気を向けないで。ついでに部屋に勝手に入らないで」
「ノックはしたよ。それに、ザバン市に着いた」

いけしゃあしゃあと偽りを述べる。
迷いのない態度は相手に信じ込ませるには十分すぎた。

「そうなの?気付かなくてごめん。そっか…もう着いたのね」

じゃあ仕方ない、とばかりに部屋の端から移動してくる彼女。
ベッド上に置き去りにした本を丁寧に紙で包み、紙袋に入れておく。
そこで、それをどうするか…と悩んだが、ハンター試験には邪魔になるだけだろう。

「置いていっていい?」
「別にいいよ」
「ありがと」

本をテーブルの上に置いて、代わりに椅子に置いてあったウエストポーチを手に取る。
カチッと腰の辺りでそれを固定して、背もたれにかけていたファー付きの革ベストに袖を通し、準備完了だ。

「そう言えば、全然説明を読んでないんだけど…受付っていつから始まってるの?」
「一昨日」
「じゃあ、2、300人は来てるかしら」

軽い口調で歩き出しながらそう予想する彼女。
もしかすると、それ以上かもしれないし、以下なのかもしれない。
そもそもハンター試験自体がどの程度のレベルなのかがわからないのだから、正確な予想などできはしないのだ。

「コウは合格するの?」
「え?まぁ、受けるんだし当然じゃない?」
「男探しが目的なのかと思ってたから」
「男探しって言わないでちょうだい。まるで漁ってるみたいで嫌だわ、それ」

不満を表情に出す彼女に、ごめん、と心にもない謝罪を口にする。
貶す意味でそう言ったのではないとわかっているから、別に気にしては居ないけれど。

「そうね…まぁ、その時になってから考えるわ。ライセンスも、持ってて損はないでしょうし」
「…試験っていくつかあるから面倒だと思うけど」
「イルミでも難しいような試験なの?」

面倒、と言った彼に、コウは驚いたようにそう問いかける。
内容やレベルは知らないけれど、イルミが面倒だと思うような試験なのだろうか。
しかし、コウの想像とは違い、彼は首を横に振った。

「父さんが言ってたよ。レベル的には問題ないけど、面倒だって。
俺だって仕事で必要にならなければ取るつもりはなかったし」
「へぇ…そうなんだ。それはそれで面白いわね。いい暇つぶしにはなりそう」
「…コウは途中で飽きそうな気がするけどね」
「飽きないわよ、たぶん。何なら、賭けてみる?」
「別にいいけど…ライセンスがないと困るから、俺が落ちるのはありえないよ」

と言う事は、コウが受かるか受からないか、と言うことになる。
少し間をおいて、彼女は肩を竦めた。

「無意味な賭けはやめておくわ。飽きた時にやめられないし」
「うん、それが一番だと思うよ」
「じゃあ、さっさと行きましょ」

話が一段落したところで、コウが飛行船の出口へと向かって歩き出す。
それに続いて2、3歩進んだところで、あ、と声を上げるイルミ。
そんな彼に釣られ、コウが振り向いた。

「忘れてたよ」

そう言って針を取り出した彼を見て、彼女が眉を顰める。
まさか―――そう思っている間に、彼は次から次へと針を自分の顔に刺し始めた。
一針ごとに骨格が音を立てて変形していく。
見慣れているけれど、好きにはなれない光景。
スッと視線を逸らした彼女は、無言で音が止むのを待った。

「お待たせ」

そんな声が聞こえ、振り向くコウ。

「……………悪いけれど、他人の振りをさせてもらうわ」

こんな奇抜な顔の男と、微塵でも付き合いがあるとは思われたくない。
表情を歪めながらそう言った彼女に、カタカタ、と気味の悪い音が聞こえてくる。

「他人の振りをされると紹介できないけど」
「……………」

究極の選択を迫られている気がした。

09.09.02