Carpe diem   --- 003

待ち合わせた時間まであと2時間。
さて、どうして時間を潰そうか、と考えていたコウは、ふと何かに気付く。
ターゲットとの接触、あるいは接近した時特有の緊張を感じたのだ。
それは、彼女でなければ感じないような、一瞬かつ薄すぎる気配。
しかし、コウの暇潰しと言う名の好奇心を擽るには十分だった。
その気配はコウに向けられたものでも、また彼女が誰かに向けたものでもない。
狩人と獲物は、どちらも第三者だ。

―――関係ない争いに首を突っ込むな。要らぬ好奇心は身を滅ぼす。

父の教えに背いた理由―――それは、偏に『暇だったから』だ。
この辺りを見てもわかるように、コウはイルミとは違った感覚を持って生まれ、違う形で育てられた。
時々、もしかすると暗殺者に育てるつもりがなかったのでは、と思うこともある。
だからこそ、さっさとどこかに嫁がせようとしていた―――そう考えることが、一番自然なのかもしれない。
気配を隠さずに歩き出したコウの口元には、暇潰しに対する期待で笑みが浮かんでいた。








気配を追い始めてすぐ、2人の力関係を理解した。
足音を荒らげて逃げる者、自然に人気のない方へと追い詰めていく者。
その力関係は火を見るより明らかだった。

「ん?」

大して急ぐこともなく前の気配を探りつつ歩いていたコウ。
ふと、前方から飛んでくる何かに気付く。
危険がないよう手をオーラで保護し、それを受け止めた。
彼女の手の平に吸い込まれるように飛び込んできたそれは、赤い表紙をした一冊の本。

―――なんでこんな所に本?

そんな疑問符を抱いた彼女は、また何かに気付く。
コウから遠ざかるように進んでいたはずの気配が、こちらに戻ってきているではないか。
彼らはコウからも見える位置に来ており、尚も彼女との距離を縮めていた。
必死の形相で前を走っていた男が、コウを見てニヤリと笑う。
彼が見ていたのは、彼女自身ではなく、その手にあった本だ。

「後は頼んだぜ!!」

まるで、仲間にそれを託すかのように。
男はそう叫んでコウの脇をすり抜けた。

「ちょっと待ちなさいよ」

振り向いた彼女は、走り去ろうとする男の背中に向かって空を切る。
手刀が起こした風が男の足を切り裂いた。
ギャア!とはた迷惑な悲鳴を上げて路地に転がる男。
足を止めることに成功したコウは、ふともう片方の手を持ち上げた。
そして、彼女の首元へと繰り出されていた手刀を手首で受け止める。
骨まで響く衝撃に、コウは眉を寄せる。
オーラで保護していなければ、手首の骨が砕けていただろう。
逃げることなど出来そうにない素人の男から意識を外し、この重い攻撃を繰り出してきた本人を振り向く。
見た目は随分と顔立ちの良い優男。
だが、その目を見ればわかる―――この男は、自分たちと同じ世界の人間だ。

「…随分と、手荒い挨拶ね?」
「…仲間割れか?」

ちらりと男に視線を向けて呟かれる声。
相変わらず手刀には力がこめられていて、迂闊に手の力を抜けそうにない。
そんな状態でも顔色一つ変えず、コウは肩を竦めて見せた。

「赤の他人。あなた、どう言うつもり?」

男を追っていたはずの人間に攻撃されるような事はしていない。
確かに、後は任せるとまるで仲間のように声を掛けられたけれど。
危機回避のための嘘だとわからないほど頭が悪いようには見えなかった。
訝しげな視線を受け、彼はコウの手の中にある本をするりと抜き取って距離を取る。

「目当てはこの本だ。あいつはどうでもいい」
「あぁ、そう言う事」

道理で本を持っているコウが攻撃されたわけだ。
とんだ迷惑だな、と思いながら、呻き声を上げる男を振り向く。
こっちの世界の人間に追われるような本を見つけてしまって、コウに出会ってしまって。
つくづく不運な男だな、と思いながら、ヒュン、と空を切る。
男のところに生まれた風が、無情にその身体を引き裂いた。
叫び声を上げる暇すらなく事切れた骸を一瞥し、彼に向き直るコウ。

「素人じゃない事はわかっていたが…中々の使い手だな」

男は、感心したようにコウを見ている。
お目当ての物を手中に収めたからなのか、その身に纏う空気は穏やかなものになっていた。

「一撃目は手首を落とすつもりで攻撃したんだが…その細腕で防がれるとは思わなかった」

―――どうやら、手首の骨が砕けると言うレベルではなかったらしい。

コウは少し赤くなっている手首を撫で、溜め息を零す。
運がないのは自分も変わらない様だ。
これ以上は関わりたくない。
そう思った彼女は、すぐにでも立ち去ろうと身体を反転させる。
そして、いざ一歩目を踏み出そうとした所で、逆の手首を取られた。

「…もう用はないでしょう。放してくれるかしら」
「ここから北に3kmほど行った山の麓の屋敷―――覚えはないか?」
「………」

唐突な問いかけに、コウの脳内は自然と記憶の引き出しを探る。

―――イルミ、次の仕事はこれ?
―――そう。場所、どこだっけ?
―――もう…事前に読んでおきなさいよ。えっと…飛行船を停泊させる予定の町から北にある山の麓ね。


飛行船の中でイルミと交わした会話が思い起こされる。
北に3km―――丁度、地図で見ていた辺りだ。

「覚えがあるらしいな」
「…それが、何?」
「丁度これを盗みに行こうと思った矢先に屋敷が崩壊した。
偶然これを持ち出している男を見つけたから良かったが…お前が原因か?」
「―――…」

と言う事は、先ほどコウが片付けた男は、イルミの仕事の生存者と言う事か。
どうやら、意図せず彼の尻拭いをする形になったようだ。
これは貸しにしておこう、と心の中でイルミへの対応を決める。

「言っておくけれど、その原因は私じゃないわ」

毅然とした態度でそれを告げた彼女。
しかし、彼はその言葉自体を否定した。

「さっきのは念だな。あれと、屋敷に残っていたオーラが同じだ」

放す気はない、とばかりに、手の力が強められた。
試しの門を開けられる自分の力で逃げられないとは、どんな馬鹿力だ。
心中でそう悪態を付きつつも、気持ち的には殆ど脱出を諦めている。

「私じゃない。アレは片割れの仕事よ。邪魔をしたならば申し訳ないと思うけれど」
「片割れ?」
「私はコウ。気になるなら、調べてみれば?」

コウがそう言うと、男は悩むような表情を見せた。
それから、あっさりと彼女の手を解放する。

「それもそうだな。その面白い能力の説明は次回に持ち越すことにしよう」
「誰も説明するとは言ってないけどね」

どこまでも強気な男に、思わず笑いが零れた。

「あなた―――」
「クロロだ」
「え?」
「クロロ=ルシルフル」
「あぁ、名前、ね」

何を言い直すかと思えば、と呟く。
そして、彼の要望通りに、クロロ、とその名を呼んだ。

「縁があればまた会いましょう」

じゃあね、と手を振って、後腐れなく歩き出すコウ。


同業者か、そうでなくとも闇を知る人。
一般人よりは近いものを感じたのかもしれない。
先ほどまでの嫌悪感はどこかに消え失せていた。

09.07.15