Carpe diem --- 002
「そう言えば」
イルミの飛行船に乗って、仕事に向かう途中。
ふと漏らしたイルミの言葉に、コウが顔を上げた。
独り言ではないだろうし、彼が話しかけるような相手は彼女一人だ。
何?と問うように首を傾げた彼女の耳元でピアスが揺れる。
片方だけにつけられたそれは、赤い石を加工したものだ。
彼女の黒髪によく映えているそれは、もう何年も前から彼女の耳元で存在を主張している。
「もう諦めたの?」
「何が?」
「人探し」
バリン、と手に持っていたグラスが砕けた。
手を濡らす水を意識することもなく、彼女はイルミを見つめて目を見開いている。
「人…探し?」
「うん。探してるよね?昔助けられた男」
こともなげにそう告げられ、コウは軽くめまいを覚えた。
そう言えば、イルミには話していたかもしれない。
言い訳でしかないけれど、彼が雑談の中でふと漏らした言葉をずっと覚えているとは思わなかったからだ。
まさか、それから彼を探そうとしている自分に気付いていたとは…。
双子の間には不思議な感覚があると聞いたことがあるけれど、これもその一つなのだろうか。
「―――諦めてないわよ」
知られているものは誤魔化しても仕方ない。
コウはそのあたりに置いてあったタオルを取って、零れたそれを拭った。
「諦めてないけど…そろそろ本気で危ないの」
「…そう言えば、母さんが今年中とか言ってたっけ」
「私自身も覚えてる自信がないのよ。
そんな男を探して、母さんの持ってきた見合い相手と結婚させられるなんて冗談じゃないわ」
20年近くも逃げ続けているのだ、そろそろ潮時なのかもしれない。
年齢的にはまだ十分に可能性があるし、行き遅れていると言うほどでもないが。
とにかく、強硬手段に出る前に何らかの手段をとらなければならないのだ。
「言っておくけれど、私がその人を探しているのは、結婚したいとかそう言う理由じゃないわ」
「そうなの?」
「…お礼を、言いたいだけよ」
あの時、彼に助けてもらったのは、何も身体的な部分だけではない。
―――君が望んだわけじゃないだろ?
感情を消すことの出来なかったコウにとって、彼の言葉は仕事の支えになっていたのだ。
「それより…今回の仕事、私の協力が必要な内容じゃないと思うんだけど」
家族ぐるみで仕事をしているのだから、個別で動くこともあれば協力する事もある。
しかし、大抵は一人で片付けられてしまう事が多く、イルミと共に仕事に出るのは久しぶりだ。
告げられた内容は、彼一人で十分すぎるもの。
コウの疑問も尤もだった。
「ついでに屋敷ごと破壊してほしいらしいからね。面倒だし」
「…あぁ、そう言う事。暗殺一家に屋敷の破壊まで求めないでほしいわね、まったく…」
彼の言葉に漸く納得できたらしい彼女。
はぁ、と溜め息を吐きながら、彼女は腰のベルトにつけていたガラス玉に指を滑らせる。
「屋敷の規模は?」
「50メートルくらいでいいよ」
「じゃあ、はい」
5つほど並んでいるガラス玉のうち、2つ目のものをベルトから外して彼に手渡した。
手の平に乗せられたそれをコロリと転がすイルミ。
「間違ってもここで壊さないでよ。飛行船なんて一瞬だから」
「わかってる」
そう言って、彼はそのガラス玉を胸ポケットに入れる。
それを横目に見ていたコウは、ところで、と彼に話しかけた。
「それが必要だったって事は、私の仕事は終わり?」
「うん。飛行船で待っててくれてもいいよ。すぐに終わらせてくるから。
これをぶつけたら屋敷ごと片付いて楽だと思うけど」
「仕事は確実に、でしょ」
窘めるようにそう言うと、彼はコウにしかわからない程度にやれやれと言った表情を見せた。
彼の表情の変化は、それこそ両親であっても見抜けないほどのものだ。
片割れとも言える彼女だからこそ、わかる。
「それにしても…ずっと飛行船って言うのも暇ね」
「じゃあ、どこかに行く?好きにしていいよ」
「…そうね。久しぶりだし、町を歩いてみるわ」
終わったら連絡して。
そう言う彼女に、わかったと了承を返す彼。
眼下に広がる町並みが少しだけ近付いてきていた。
じゃあね、とイルミを送り出し、町へとやってきたコウ。
実家が山の中と言っても、町に出てきたことがないわけではない。
二週間に一度あるかないかの頻度なのは、必要なものは手に入るから町まで出る必要がないだけのこと。
かれこれ三週間ぶりの町は、特にこれと言った感動を与えるものではなかった。
「…久しぶりに、服でも見ていこうかしら」
家に帰れば山と言うほど服はある。
けれど、その半数以上が母キキョウの好みにより揃えられたものだ。
つまるところ、ドレスやら着物やらと、コウからするとあまり実用的ではないものが多い。
キキョウやカルトは普段着にしているようだけれど、コウにはあの締め付け感が不愉快だった。
動きやすくて、でも丈夫で―――そんな事を考えながら歩いていく。
その時―――
「っと。ごめんなさい」
トン、と肩がぶつかり、コウは即座に謝罪する。
ショーウィンドウを見ながら歩いていたために、前を見ていなかったのだ。
ふと顔を上げれば、長身の男がにこりと笑っていた。
「気にしなくていいよ。でも、危ないから気をつけた方がいい」
「えぇ、ごめんなさい」
そう言って、コウはまた歩き出す。
少し癖のある笑顔だったけれど、中々の男前だった。
そんな事を考えながら歩いていたコウは、数メートルほど進んでから、あることに気付く。
コウは勢いよく振り向いた。
随分と進んでしまっていたから、もう男の姿は見えない。
町の雑踏に取り残されながら、コウは振り向いたままの姿勢で立ち止まっていた。
ぶつかった?―――そんな馬鹿な。
自分はこれでも暗殺者だ、いくら注意力が散漫だったとしても、人にぶつかるなどありえない。
ごく自然にそれを避ける術を身につけているのだ。
それなのに、ぶつかったと言う事は。
避けたコウの動きに合わせて、向こうがわざわざ同じ方向に移動したということだ。
コウが警戒しないくらいに自然にそんな事が出来る人物。
―――ゾクリ、と背筋が逆立った。
再び歩き出した彼女の口元に笑みが浮かんでいた意味は、彼女自身も理解できていないのかもしれない。
「―――やっと、見つけた」
去っていった男の口元にもまた、笑みが浮かんでいたのだと…その事実に気付く者は居ない。
09.06.24