Carpe diem   --- 001

前触れもなく部屋の扉が開かれる。
これに関してはいつものことなので、大して気にはしない。
一瞬でも視線をそちらに向けることもなく、おかえり、と声をかける。
来訪者が誰かなど、尋ねるまでもない。

「父さんの話、何だったの?」
「試験の話」
「頑張れって?」
「キルが参加してるから連れ戻せって」

自分の片割れが紡ぎだした言葉に感情はない。
しかし、彼女は軽く目を見開いた。

「キルアの居場所、わかったの?」
「みたいだね」
「…そう。別に連れ戻さなくてもいいのに…」

不満げに呟く彼女に、彼は特に表情を変えることなく肩を竦めた。

「コウがそう言うってわかってたから、俺だけに話したんじゃない?」
「…まぁ、イルミが反対しないことは確かだからね」

コウ、そしてイルミ。
共に暗殺一家、ゾルディック家の長男長女として生まれた、血を分けた双子である。

「そう言えば、母さんからこれ」

こともなげに差し出されたのは、高さが50センチほどの山。
サイズ的にはA4で、ぱかっと中身が開くようになっている。
コウは差し出されたそれを一瞥し、バンッとキャリーバッグを閉じた。

「所で、さっきから何の準備をしてるの?」
「家出するの!」

振り向いたコウは、その手で空を切る。
ヒュゥッと風が室内を動き、イルミが持ってきた例の小山を真っ二つにした。

「あーあ。折角持ってきたのに」
「わざわざ母さんのところに置いてきたものを持ってくるからでしょ」
「置いてくるほど嫌なんだ?」
「家出するほど嫌なのよ!」

見合い写真の残骸を踏みつけ、コウはそう声を荒らげた。
同じ血を分けた双子なのだが、まったく感情を見せないイルミとは違い、コウは表情豊かだ。
もちろん、仕事は彼と同じようにちゃんとこなしてくる。
けれど、日常生活で表情を消す事は、彼女からすれば面倒以外の何物でもなかった。

「大体、母さんの選んでくる好みが変なのよ!
何が悲しくて筋骨隆々な男や人相が悪すぎる男と結婚しなくちゃいけないの!?
挙句の果てには、10歳の子供や60歳の男まで!後者なんて、男って言うか老人よ!?」

明らかに腕だけで選んでいるだろう、と言いたくなるのも無理はない。

「コウって好みに煩いよね」
「最低限、私の年齢プラスマイナス5歳で、イルミ程度の人にしてって言う好みのどこが煩いの?」
「…ブラコン?」
「一般的感覚!!」

ダンッと強くテーブルを叩けば、見るも無残に大破するそれ。
確かに、コウ自身も一般的な女性に分類することが難しい事は百も承知だ。
それでも、殺人術と同じように容姿も磨き続けてきた。
その甲斐もあり、町を歩けば男が振り返るのも、一人や二人のことではない。
ゾルディックとして生まれたからと言って、女性としての幸せを諦めるつもりなど全くないのだ。

「私は強くても、見た目がいい男じゃないと結婚する気はないの!」
「…強くて、見た目が良かったらいいんだ?」
「…それは見てから判断するわ」

結婚できる要素としてはそれだけではない。
一瞬言葉を詰まらせた彼女の返事に、イルミはふぅん、と返した。

「じゃあ――― 一緒に来る?」
「一緒にって…どこに?」
「ハンター試験。コウの条件にあってる奴が来るから」
「…行く」

そう頷いたコウは、部屋についている電話のところまで歩いた。

「あ、ゴトー?あのね、私の部屋にキャリーを置いておくから、家に運ぶよう手配してくれない?
…うん、そう。それ以外はもう運んであるから必要ないわ。ん、よろしくね」

ガチャン、とそれを置く。
家と言うのは、ここからは飛行船で三日ほどかかる所にあるコウ名義の家の事だろう。
土地購入のところから始めたと言うのだから、その計画の長さが伺えると言うものだ。
ちなみに、この計画の為に随分と父であるシルバに頼み込んで仕事を増やしてもらっていた。
明確な金額は明らかではないが、特に欲のないイルミと比べれば倍くらいは稼いでいた、と言っておこう。

「意外なところでマメだよね、コウは」
「…物心付いた時から週1で見合い写真を渡される子供の心境はわからないでしょうね」

ふっと窓の外を見た彼女は、そう呟いて遠い目をしていた。
そう言えばそんな事もあったな、とまるで他人事のようなことを考えるイルミ。
少なくとも、この世界の誰よりも近いはずの彼でも、所詮は違う人間と言うことだ。

「とりあえず、ハンター試験…一緒に行くから」
「わかった。明日出かけるから、準備しておいて」
「うん。…イルミ」

真剣な声を落とした彼女に、イルミが顔を上げる。
彼女は小さく微笑んで、ありがとう、と呟いた。
別にどうと言う事はない。
コウの部屋を出たイルミは、ふと重要なことを思い出す。

「…強くて顔はいいけど…変態だって言うの忘れた」

部屋の前で暫く悩むイルミ。

「…まぁ、いいか」

そう結論付けて、何事もなかったかのように歩き出す。












イルミが去った部屋の中で、コウはボスン、とベッドに座り込んだ。
部屋の中のものが随分と少なくなってきている。
キルアのように、着の身着のままに家出しようと思っていなかった。
何年も前から計画して、家を出て生活できるような基盤づくりに勤しんだ結果だ。
まさか、キルアが先に家を飛び出していくとは思っていなかったけれど。
ふと顔を上げ、鏡台に映る自分を見つめる。
イルミと同じ黒い髪は、肩ほどで切り揃えてある。
顔つきも似ていると言えば似ているけれど、二卵性なので瓜二つと言うわけではなかった。
どちらかと言うと、コウの顔立ちはキルアと似ている。
尤も、彼女の方が先に生まれているのだから、キルアが彼女に似ているといった方が正しいのかもしれない。
ぼんやりとしていると、コンコン、と言うノックが聞こえてきた。
返事の後、手本のような動きで部屋に入ってきたのは、先ほど電話をしていた相手だ。

「キャリーをお預かりいたします」
「うん。それよ」

ベッドから降りることもなく、指先で壁際に置かれたそれを指す。
目視でそれを確認したゴトーは、それへと近付いた。

「部屋の中も随分と片付いてしまいましたね」
「そうね」
「…キルア坊ちゃんに続いてコウ様が出て行かれると、この屋敷も寂しくなります」

子供の頃からずっとゾルディック家に仕えてくれている彼。
特にキルアを目に懸けていた彼のことだ、色々と思うところもあるのだろう。

「あの見合い写真の山をどうにかしてくれるなら、考え直すわ」
「奥様はコウ様を心配しておられるのですよ。いつも、より良い相手をと考えておいでです」
「より良く、と思うなら、まずは見た目から拘るべきよねぇ…」
「コウ様がお連れになった方ならば、奥様や旦那様もお認めになると思いますよ」

にこりと笑ったゴトーに、コウは肩を竦めて「強ければ?」と言う。

「そうですね。弱い方では…少々厳しいかと」
「二人が強いと認めるような相手、そうそう居るものじゃないわよ」

諦めにも似た溜め息を吐き出してから、シャワーの準備に立ち上がる。
着替えの用意をしたところで、コウはシャワールームに入る前にゴトーを振り向いた。

「後から紅茶が飲みたいの。それから、ハンター試験の申し込みをしておいて」
「畏まりました」
「よろしくね」

そう言って、コウはシャワールームへと消える。
彼女がゴトーに色々と頼むのは我侭だからではない。
ゴトー自身が家に仕えることを望んでいると知っているからこその行動なのだ。
仕事を与え、最後に『よろしく』と言うのが彼女流の配慮なのである。
ゴトーはコウが用意したキャリーを持ち、彼女の自室を後にした。

09.06.23