Ice doll   --- sc.066

意識が戻った。
ふわふわした感覚が消え、鮮明になる視界。
慣らすように瞬きをしたコウの視界に、一人の男がいた。

「ようこそ」

ソファーに深く腰掛け、薄く笑みを浮かべる彼の声は、予想したよりも若い。
40代、30代…いや、もしかすると、20代後半と言う可能性もある。
洗練された纏に、能力者であると察知し、正しい年齢を探る事を諦めた。
念を覚えた人間は、時として自らの年齢すらも操ることが出来るから。

「手荒な真似をしてすまなかったね。こうでもしないと、君をあそこから助け出す事は出来なかっただろう」

『助け出す』と言う言葉に眉を寄せるコウ。
彼は何を言っているのだろうか。
訝しむ感情が顔に出ていたのだろう、彼は小さく笑い、続けた。

「一度、蜘蛛の糸に囚われれば、抜け出す事は難しい」

肘掛けに手をつき、男が腰を上げた。
一歩ずつ近付いてくる彼、縮んでいく距離。
毛足の長い絨毯の上にいたコウに拘束はなかったけれど、目の前の彼には逃げる隙など見つからなかった。
クロロには劣る、けれどコウには勝る。
足音一つ立てずにコウの前に立った彼は、その場に膝をついた。
そして、長い指で彼女の顎を捉え、くい、と上を向かせる。
間近で見た顔は、見た目だけで言うならば30代の線が有力だった。

「緋の眼を見せてくれるかい?」

それが当然であるかのように、彼はそう告げた。
頼むような口調ではあるけれど、その声は有無を言わさぬ色を纏う。
けれど、コウがそれに従う事はなかった。
目をそらすわけでもなく、ただ無感情に男を見つめるだけの彼女。
浮かべていた笑みが消え、男の目が一瞬、残忍さを滲ませる。
その目を見た途端、身体が機能を失ったかのように動かなくなった。

「従わないなら、従わせるまでだよ」
「…っ!!」

コウが息を飲んで目を見開く。
咄嗟に唇を噛み締めなければ、声が零れていただろう。

「無駄だよ。人間は快楽に弱い生き物だからね」

服の裾から入り込んだ指先が、敏感な部分をなぞっていく。
ヒソカの忠告が、こんなところで現実のものになってしまうなんて―――誰が想像しただろう。
駄目だと奥歯を噛み締めても、身体の芯が熱を持つのは止められない。
奥からざわりと変化する感覚に、緋の眼が発現したことを悟った。
せめてと瞼を伏せて顔を背けるけれど、肌を解放した手が顎を掴み、元の位置へと戻される。

「眼を見せろ」
―――眼を見せろ。

いつか、クロロに言われたのと同じ言葉。
全てがあの日に戻ったような、曖昧な現実を揺らぐ思考。
諦めたようにゆっくりと瞼を押し上げ、開いた視界で自分を見つめる男は、クロロではなかった。

「―――なるほど…確かに、美しい。美しすぎる…“緋”だ」

そう告げる男の目は、驚くほどに冷たい。
美しいと表現しながらも、その感情を欠片も見せないものだ。
純粋に感嘆の表情を示したクロロとは、何もかもが違う。
コウは本能的に、その差に危うさを感じた。

「幻影旅団が殺さずに生かした理由も納得できるな…生きているからこその価値、か」

男の指先が頬に触れる。
触れられているのはそこだけなのに、全細胞がそれを拒否していた。
そして、理解する。
これは―――『恐怖』だ。















「ねぇ、団長」

建物の中に侵入した所までは良かった。
けれど、そこから先…終わりのない廊下が延々と続いている。
彼らは、明らかに何者かの能力が関与した空間に足を踏み入れていた。

「何だ?」
「クルタの秘宝の話…団長だったよね、確か」
「ああ」

幻影旅団の仕事に、計画は殆どない。
誰かの思い付きにクロロが頷けば旅団として動き、興味を示さなければ個人で動く。
あの日、緋の眼に関しての仕事を持ち出したのは、クロロ自身だった。

「どこから聞いたの?」

シャルナークの言葉に、クロロは少し考える。

「情報屋だ」
「いつもの?」
「ああ」
「それがなんか関係あんのか?今はこの無駄に長い廊下をどうやって抜けるかが問題だろ」

口を挟むフィンクス。
尤もだ、と数名が頷くも、クロロとシャルナークだけは釈然としない表情だ。

「別にいつもと変わりなかった。珍しい物はあるかと聞いて、差し出された情報を買った…それだけだ」

そう言うと、クロロはケータイを取り出してどこかに電話をかける。
一体どうしたんだと言う視線をものともせず、彼は10秒以上それを耳に宛てていた。
しかし、やがて溜め息と共に腕をおろし、ケータイをポケットに戻す。

「この空間が電波を妨害している可能性もあるが…恐らく、消されたな」

何かに納得した様子のクロロ。
シャルナークもまた、同じ結論に達しているようだ。

「蜘蛛を使おうなんて…いい度胸だね」

訳が分からない他の面々に向かって、彼は肩を竦めて見せる。

「蜘蛛を…使う?」
「…まさか…」

その呟きは、誰のものだったのだろうか。



どこまでも続く廊下の先を見つめ、クロロが目を細めた。

「―――コウ」

声は小さく、それが仲間の耳に届く事はなかった。
閉じた瞼の裏に浮かぶのは、小さく微笑む彼女。
屈託なく笑うのではなく、困ったように、申し訳なさそうに…けれど、嬉しそうに笑う。
小さく小さく変化するその表情が、ただ純粋に。
次に浮かんだのは、アイス・ドールの彼女だ。
深い緋色の眼も、透き通ったアイスブルーの髪も。
全てがまるで作られたもののようで、それでいて、究極の自然美。
他の宝石とは違い、彼女に対する感情は決して飽く事も色褪せる事もなかった。

彼女の姿を思い浮かべ、開いたクロロの目の奥に、怒りの感情が揺らぐ。
何を企んでそう仕向けたのかは知らないが、彼女は―――

「…俺のものだ」

右手に『スキル・ハンター』を出現させた。
これ以上の時間の浪費は無駄だ。

11.04.03