Ice doll --- sc.063
意味を考えろと言ったヒソカ。
イミテーションを望まないイルミは、コウを望んでいる。
そして、彼女の妹は望んでいない。
これの意味するところは―――
「…彼女は、アイス・ドールではない…?」
呟いたコウの言葉に、ヒソカが笑みを深めた。
それは、言葉なき答えだったのだろう。
「アイス・ドールは双子で生まれ、片方を残してもう片方を棄てる。正確には金と引き換えに売り渡しているんだ」
ヒソカは淡々と、ただの事実としてそれを語る。
そして、彼はどこからともなく取り出した紙束を彼女に差し出す。
コウはヒソカとそれを交互に見て、反応を思案するように眉を寄せた。
「そんなに構えなくてもただの昔話だよ」
ククッと笑った彼に、『ただの』昔話ではないだろうと思う。
訝しげな表情を浮かべながらも、コウは渡されたそれに視線を落とした。
もう随分と昔のことで、記録すら殆ど残ってはいない。
一人の男が、クルタ族の村を訪れ、アイス・ドールと呼ばれる特別な緋の眼を知った。
その男は美しいアイス・ドールに執着し、己が物にしたいと望んだのだ。
「何不自由のない生活を約束する。村にも、言い値の金を残そう」
富豪と呼ばれるだけの財を築いていた男は、アイス・ドール本人にそう言った。
全てを捨てて、自分と共に村を出て欲しい。
そう望んだ男に、アイス・ドールは首を縦に振ろうとはしなかった。
そして、村人もまた、神の如く崇めるアイス・ドールを手放すことを拒んだ。
男と村人の交渉は半年にも及んだと言う。
男は諦めなかった。
しかし、村人は男の存在を疎ましく思い始めていた。
「男はいずれ、アイス・ドールを奪う」
村人の一人がそう言えば、次々にそれに共感する者が現れた。
神の如く大切にしてきた者を失うことへの恐怖は、底知れぬ闇を生む。
一方、男は村人の説得は不可能と察し、アイス・ドール本人の説得を試みた。
「外の世界を教えよう」
村しか知らぬアイス・ドールには、とても魅力的な言葉だ。
アイス・ドールの心は揺れた。
男からの熱烈な誘いを受けていたアイス・ドールは、自分の半身である人物に相談する。
同じ姿、同じ声。
違うのは緋の眼の色の深さだけで、それも一目見ただけではわからない。
アイス・ドールの半身は、男との接触を避けていた。
しかし、告げられた言葉を聞くなり、腰を上げたのだ。
「悩むなら悩めばいい。私は外の世界を知りたい」
男に会ったこともなかったはずの半身は、突き放すようにそう言った。
村人や家族への思いより、自身の好奇心の方が勝っていたのだ。
半身は、村に程近い林の中で男と接触した。
「覚悟を決めた。連れて行って欲しい」
同じ姿、同じ声の二人だ。
男が気付くはずはないと思っていた。
しかし、男は伸ばした手を振り払った。
そして、お前は誰だと問いかけたのだ。
村人ですら、すぐには見分けられない二人を、男は一目見て見分け、そして気付いた。
「何が違う」
そう問いかけられ、男は憤慨した様子で答えた。
「何もかもが違う。俺を謀ろうとしているのか」
そして、男はその怒りを半身へと向けた。
この時、クルタ族はまだ念の存在を知らなかった。
突き一つでなぎ倒される大木。
拳圧で抉れる地面。
得体の知れない大きな力を目の当たりにした半身は、ただ恐怖に震える。
力を持たぬか弱い人間はあまりに無力だった。
振り下ろされた拳を避けることすら、考えもしない。
拳が身体を貫いた。
同時に、男の表情が驚きに染まる。
何故なら、目の前にいたのは、己が欲していたアイス・ドール本人だったからだ。
「どうして」
戸惑う男は、そう問いかける。
「選べなくて、ごめんなさい」
アイス・ドールは、震える唇でそう答えた。
鮮やかな緋の眼が男を映し、透明な涙を零す。
「―――――――――」
最期の言葉は声にはならなかった。
駆けつけた村人は、アイス・ドールの死を悼んだ。
嘆く村人の悲しみから逃げるように、男はその亡骸を抱き上げる。
「アイス・ドールを置いていけ」
そう迫る村人の叫びに耳を貸さず、鋭い眼光で村人を黙らせると、男は村を去って行った。
「もっと早くにこうしていればよかった」
ただ一言、そう言い残して。
村人の怒りは、残されたアイス・ドールの半身へと向けられた。
「お前の所為でクルタの氷宝を失った」
次々と責められ、半身の精神は病んでいった。
目の前で半身を失ったことも手伝っていただろう。
村人は、その半身を見限り、大金と引き換えに村から放り出した。
「半身は災いを呼ぶ」
子々孫々にそう伝えられた。
次のアイス・ドールの時から、緋の眼の鮮やかな方をアイス・ドール、もう片方をドールと呼んだ。
そして、ドールとされた赤子は、生まれてから七日の間に村の外へと売られるようになったのだ。
紙を捲り、最後の一文を読み終える。
そのタイミングを見計らって、ヒソカが口を開いた。
「知られているアイス・ドールは、ドールと呼ばれるイミテーションだ。クルタの氷宝は、君だけなんだよ」
10枚以上に亘るそれを手渡されたコウは、書かれている内容に言葉を失っていた。
こんなことがあったなんて、知らなかった。
村長の家に残されていた文献には、ただ双子の片割れが村の外に売られると言うことだけだ。
そうなった理由も、村で起こった出来事も…何も、知らなかった。
世間が知るアイス・ドールはドールで、本当のアイス・ドールは村を出ることなく天寿を全うした人たち。
「団長は…知っていたの?」
コウの問いかけに、クロロは無言を返す。
思案するように黙り込んでいた彼だが、やがて静かに口を開いた。
「…いや、知らなかった」
「シャルナークも?」
「うん。ヒソカがどうやってこれを持ってきたのかが気になるね」
そう言って、コウの隣から紙を覗き込んでいたシャルナークがヒソカを見る。
すると、ヒソカは細い目を弓なりにした。
「イルミから聞いたんだよ」
「イルミ=ゾルディック?ただで動く男とは思えないが」
ヒソカはクロロの言葉を読んでいたのだろう。
ニコニコと笑うと、一枚の写真を取り出した。
スッと指を動かせば、一枚だと思っていたそれが五枚に分かれる。
一番上といわず、全てに写されているのは女性。
伸びてきたクロロの手が、その写真全てをぐしゃりと握りつぶした。
「アイス・ドールの写真なら動く価値もあるだろ?」
「シャル」
「はいはい。ヒソカ、それデータごと没収。アイス・ドールは団長のだから、隠し撮りは駄目だよ」
さっさと出せとばかりに迫るシャルナークに、ちぇっと舌を打ってからそれを渡してくるヒソカ。
彼のことだ、他にもコピーを残しているかもしれないが…差し出されたものが全てだと信じるほかはない。
「…続きは子供が目を覚ましてからだな」
既に建物の中に運ぶよう命じてあり、この場にはいない。
二人の少年の存在を思い出し、彼らは建物の中へと踏み込んだ。
09.03.22