Ice doll   --- sc.059

忠告を聞かなかったわけではない。
不可抗力だったのだ。
そう言い訳をしたとしても、結果としては何一つ変わらない。
コウがただ一人でぽつんと立っており、気配を感じられる位置に仲間が居ないということ。
フィンクスと一緒に居たはずなのに、突然世界が変わった。
そこには彼も座っていたソファーもない。
コウの周囲には酷く懐かしい光景が広がっていた。

「クルタの…村…」

どうして、と声が震える。
これが幻術であることは、コウ自身が誰よりもよく知っている。
あの村は、幻影旅団の手により、無人の廃村と化した。
目を奪われた骸が溢れる村を復活させようなどと目論む人間は居ないだろう。
クルタの村は、歴史から消えたのだ。
こんな幻術を見せるのは、自分の心に揺さぶりをかけるためだろうか。
そう考えたところで、コウはふと気付く。
幻術は、完全に独創的な世界を作り出すことは出来る。
しかし、現実に存在しているものを生み出すのは、記憶に残っている範囲に限られる。

「家の配置も、何も変わらない」

と言うことはつまり―――幻術を仕掛けた人間は、クルタの村を知っている。
その結論へと達した時、コウの頭は驚くほど自然に冷静を取り戻した。
取り乱してはならない。
ここは、誰かの念のテリトリーだ。
そんな危険な場所で心を乱すことは、命取りとなる―――以前、クロロから聞かされた。

『お前の心はクルタに弱い。無駄な希望は抱かないことだ。あの村は―――俺たちが完全に消した』

優しさなど欠片も見受けられない、鋭い刃を伴った言葉だった。
けれど、その裏に隠された思惑があると知っていたからこそ、コウはクロロを信じている。

「ここは偽りの世界」

クロロが消したと言うならば、事実はそれ以外にはない。
下手な希望を抱かせない実力があるからこそ、幻影旅団は恐れられている。
背中の蜘蛛の存在を思い出すと、心がより一層安定感を増した。

「さて…問題は…この念の綻びを見つけられるかどうか」

人の記憶には、必ずどこかに欠落が生じる。
全てを完全に記憶していることなど不可能なのだから、それは当然の事だ。
幻術を破るには、そこを探せば良い。
ただ一人の空間で声を出すことにより、聴覚的に現状を理解する。
独り言といえばそれまでだが、コウは思考を頭の中だけに留めようとはしなかった。

「とりあえず…行くしかないわね」

この村の事ならば、誰よりも詳しく知っている。
綻びを見つけられるとすればそこ―――そう判断したコウは、林を抜けて村へと近付いていった。















「団長!コウが変だ!!」

隣の部屋でシャルナークとクロロ、そしてフェイタンが今後について話し合っていた。
そこに駆け込んできたのは、ドアを吹き飛ばさんばかりのフィンクス。
米俵でも担ぐかのように、コウを肩に乗せている。
ずかずかと部屋の中に入り込んだ彼は、ベッドの上にコウをドサリとおろした。
倒れることなくシーツの上に座り込んでいる彼女の目はどこも見つめておらず、焦点の合わない虚ろだ。

「あー…そっちに行ったか」

コウを一目見た瞬間に、シャルナークはそう呟いた。
彼女を得るならば、その外堀から攻めて来るだろうと予想していた。
つまり、次のアクションは自分たちの方に来ると思っていたのだ。
予想外とは言え、一応想定内の出来事に、シャルナークは溜め息を吐き出す。

「フィンクス。変になったんじゃなくて、幻術だよ。前に話しただろ?」
「無駄ね。元からフィンクスは幻術系には弱いよ」
「う、うるせぇよ!」

騒がしい彼らの傍らで、クロロがコウの向かいに膝を付く。
何も映していない紺碧の目は、まるで宝石でもはめ込んだかのようだ。

「…脳を操作し、幻術を見せているようだな」
「うん。さっきと同じ奴だよ、多分。この手の操作系の念は、距離があると使えない」

そう断言したシャルナーク。
クロロはコウから視線をそらし、フィンクスとフェイタンを見た。

「行って来い」
「おう!」
「了解ね」

返事と同時に窓を飛び出していく二人。
クロロの代わりにコウを見ていたシャルナークが彼女の手を取った。
手首に指先を沿え、その下に流れる血流を確認する。

「…脈は正常だね。精神から身体まで壊そうとは思ってないみたい」

シャルナークを横目で一瞥したクロロは、そうか、と短く答えてから、椅子を引っぱってきて腰を下ろす。
慣れた様子で本を開くその姿に、シャルナークが苦笑を零した。

「心配しないの?コウを揺さぶってるとしたら…クルタ以外にはありえないと思うけど」
「そう弱い女でもないだろう。幻術系の念に関しては、俺が鍛えてある」

迷いなく、自信に満ちた声でそう答えるクロロ。
シャルナークは、なるほど、と納得する。
自分も仲間の中では彼女と顔を合わせる機会は多いけれど、クロロには劣る。
生れ落ちた瞬間から危険と狙われる運命にある彼女の生存率を上げるには、彼の傍にいるのが一番だ。
必然的に彼女は彼から念を学び、すでに殆どの力を我が物として扱えるようになっている。
仲間でありながら、言わば師弟関係にある二人。
そんなクロロが彼女に幻術の対抗策を教えていないはずがなかった。
普段は強い彼女だが、その心には薄く張った氷のように弱い部分がある。

「コウが、団長の考えてる通りに強ければいいんだけどね」

そうでなかった場合、彼女の精神が囚われてしまう。
二人が犯人を捕まえてくるのが先か、コウが幻術を破るのが先か、それとも彼女が囚われるのが先か。
鬼気迫る状況の筈なのだが、室内の空気はいつもと同じ平穏なものだ。
それだけでも、彼らがどれ程場数を踏んでいるかがわかる。




「捕まえた?」
「…まだ」
「強いね」
「うん、強い」
「じゃあ、僕たちも行こうか」
「早く会いたいもんね」

08.11.12