Ice doll   --- sc.056

その場にいたメンバーから労いの歓迎を受け、騒がしい夜も静まった頃。
コウは屋上で月を見上げていた。
テレポートの直前、最後に聞こえたあの声は―――

「クラピカ…だったわね」

たぶん、とは言わない。
彼だったと言う事は、耳に残る記憶が証明している。
しかし、彼だったと言う事は―――自分を、見られたと言うことなのだろう。
ルシアとではなく、コウと呼んだことから、その事は明白だ。
彼はどう思っただろう。
彼の眼に、自分はどう映っただろう。
考えは止まることなく、ドンドン負の方へと進んでいく。
これでは駄目だと思っても、止まりそうにない思考。

「無事がわかったなら…どうか、見つけないで。追いかけようとしないで…」

自分を追えば、彼は蜘蛛へと辿り着く。
その未来を見る事は出来ないけれど、両者が平穏に過ごせるとは思えない。
どちらも大切だから、失いたくないと思う。
だからこそ、このまま顔を合わせずに終わりたい。
しかし、それが叶わぬ望みだと言うことも、コウは分かっている。
垣間見たクラピカの心の闇は深い。
復讐にその身を沈め、別の道を選ぶことを拒んでいるように見えた。

―――自分が言葉を交わせば、彼を変えることは出来ただろうか?

微笑むような三日月を見上げ、コウは瞼を伏せる。
自分が変わることも難しいのに、人を変えることなど出来る筈がない。
心中で、そう苦笑を零した。

「出てきたら?」

コウは自分の背後に向ってそう声をかける。
ずっと、見守るようにそこにあった気配が動いた。

「眠れないの?」
「ええ…月が、あまりに奇麗だから」

短い金髪が、動きに合わせて揺れる。
パクノダは、コウに倣うようにして月を見上げた。
確かに、綺麗と評することができる美しい光景がそこに広がっている。

「…例の子供と会えたらしいわね」
「シャルから聞いたの?」

隣に立った彼女の方を向かずにそう問いかける。
肯定と取ることができる返事が返ってきた。

「…会えた、と言うのかはわからないわ。私はルシアとして試験に参加していたから」

ウイッグだけではなく、顔立ちも変えていた。
クロロが合流して、ウイッグを取られてからは変えるのをやめていた。
つまり―――正真正銘、コウとしてそこに存在した彼女を、クラピカが目撃したことになる。

「あまり嬉しそうじゃないわ」

パクノダの言葉に思わず苦笑を零す。
確かに、嬉しいと言う気持ちは、想像していたよりもずっと小さく感じる。
想像していた彼の復讐心を、肌で感じてしまったからだろう。

「敵なんだって…思い知ったから、かな」
「コウ…」
「どうしてパクノダがそんな顔をするの?全ては…私の行動の結果よ」

何度も、この道とは違う道へと進む分岐路があった。
それでもこの道を選び取ったのは、他でもない自分自身だ。
それを誰かの所為にするつもりもなければ、運命だったと諦めるつもりもない。
ただ受け入れるだけ。

「私…どうして団長の手を取ってしまったのかな…」

ポツリと。
囁く様な小さな声で、コウはそう呟いた。
後悔も含まれているような声色に、パクノダが息を呑む。

「最後まで頑なに拒み続けていたなら…後ろめたさを感じることもなく、彼と再会できた筈なのに」

生き残るために、念を覚える必要があった。
教えを請うていた兄を殺され、新しい師が必要だったのは事実だ。
しかし、それはクロロじゃなくてもよかった筈。
生きる為とは言え…何故、よりによって彼の手を取ってしまったのか。
コウの後悔はそこまで過去を遡ってしまった。

「コウ…。言葉にして、全部吐き出してしまったら?」

パクノダの提案に、コウは驚いたように彼女を見る。
そして、哀しげに微笑んだ。

「この思い…出来るなら、口にしたくない。きっと、止まらなくなってしまうから」
「いいから。止まらなくてもいいから…溜め込んでおくと、自分が壊れるわ」

そう言うと、彼女はコウを抱き寄せた。
少し身長の差があるからだろう。
まるで、姉妹の触れ合いのようにも見える。
コウは、触れた人のぬくもりに軽く目を見開いた。
パクノダはそれ以上何も言わず、妹をあやす姉のように、その頭や背中を優しく撫でる。
人の体温は、どうしてこうも心の氷を溶かしてしまうのだろうか。
覚悟を決めたかのように、コウは瞼を閉じた。

「――――――――会いたい」

本当に小さく、言葉を零す。

「あの子に会いたい。独りじゃないって…実感したい。
もう、自由なんて望まないから…楽しく笑いあった頃に、戻りたい」

望んでしまったことがいけなかったのだろうか。
真実の一面を知り、一族から逃れようとしたことがいけなかったのだろうか。
クラピカの存在は、コウにとってはとても大きいものだった。
大丈夫だと思っていた自分の考えが甘かったと気付く。
同じなのに、違う。
感情により緋色に染まる眼を持つ者。
独りなのだと思っていたけれど…彼は生きていた。
少なくとも自分が知る、この狭い世界の中で、ただ二人だけの存在。
その存在が大きくないはずがない。

「あの子に…敵だと思われるのは、いや…っ」

覚悟なんて、大人に成長したと思い込んでいた自分の虚勢でしかなかった。















「…眠らせたわ」

凭れかかって来るコウの力なき身体を支えつつ、そう言った。
パクノダの視線の先からクロロが姿を見せる。
いつものようにオールバックにしていない髪が夜風に揺れた。

「団長…」
「…コウなら大丈夫だ」
「大人びていたとしても、この子はまだ20なの。感情の全てを制御するのは無理よ」

暗に、解放を考えるべきなのでは、と告げる。
しかし、パクノダの言葉に彼は軽く頭を振る。

「解放したところで、今の実力では檻が変わるだけだ」
「それでも、仇の元に居るよりはマシだと思うかもしれないわ」
「『人間』として生きられる保証がない」

自分以外の人間を人と思わない人間など、この世には溢れている。
そう言う種の人間は、コレクションするように珍しい種の人間を好んだりもする。
哀しいことに、彼女には、何百億では足りないほどの価値がある。




クロロはコウの身体を抱き上げた。

「…コウが壊れるかもしれない」

去ろうとする彼に向かって、パクノダはそう告げる。

「…壊れるものなら、いっそここで壊れればいいさ」
「団長…!?」
「蜘蛛から逃がすつもりはない」

そう言ったクロロの横顔を見たパクノダは思わず口を噤む。
彼の眼に、そこに燻る確かな焔を見た。
短い沈黙の間に、彼は屋上を去ってしまう。
冷たい風がパクノダの首筋を撫でていった。

「クロロ…あなたは…」

彼の中に、狂愛にも似た感情を見出してしまった。
もう、彼は彼女を手放せないところまで来ているのだろう。
人に向けるものなのか、コレクションを愛でる感覚なのかは判断できない。
けれど、この先彼がコウを手放すことはないと断言できる。
パクノダは、小さく息を吐き出した。


コウの心が壊れぬように―――見下ろしてくる月に向かって、ただ、そう願う。

08.08.23