Ice doll --- sc.052
意識していたわけではない。
けれど、自然とその姿を探していた。
刻一刻と制限時間が迫る中、まだ姿を見せない彼。
命を保証されないハンター試験。
途中で命を落としている可能性があると言う事実が脳裏を過ぎった。
―――折角生きてくれていたのに、たかが試験に奪われるのか。
ギリッと拳を握る。
複数の扉を、まるで仇のような目で見つめるコウに、ヒソカは静かに目を細めた。
例えるならば、冷たい炎。
その内に燃え盛るそれは、熱を帯びておらず…けれど、激しい。
彼女の本気の殺気を向けられた時を想像すると、ゾクゾクと劣情を掻き立てられる。
すぐにでも、「一応味方」と言うこの位置を投げ出してしまいたくなった。
「ヒソカ」
不意に、彼女の視線が彼を見る。
何だい?と笑顔の仮面をかぶれば、彼女が軽く眉を顰めた。
「舐めるような視線を向けるのはやめて」
寒気がするのよ、と呟く。
どうやら、視線は本能に正直だったようだ。
彼女は、ほんの少し視線に含まれた彼の本心を、敏感に察知したらしい。
「実際に舐めるよりはマシだろ?」
「そうね。実際に舐めたら引っこ抜いてやるわ」
何とも恐ろしい事をサラリと言ってのけると、彼女は向こうへ視線を戻した。
しかし、意識の1割ほどはヒソカや他の受験生の動向に向けられている。
たとえば今ここで彼女を銃弾が襲ったとしても、難なくそれを避けてみせるだろう。
彼女は強くなった。
少なくとも、一年前の時より、遥かに。
先に進むことも出来ず、時間だけが過ぎていく。
クラピカは、壁にもたれたまま目を閉じていた。
キルアとゴンの楽しげな声を聞いていて、瞼の裏に浮かぶのは、幼い頃の思い出。
「なぁ、クラピカ」
ふと、キルアが彼を呼んだ。
瞼を押し上げ、少年の姿を目に映す。
「クルタ族なんだろ?クラピカって」
「…あぁ」
「ふぅん…クラピカは『普通』なんだな」
ポツリ、と呟かれた言葉。
それの真の意味を理解するまでに、さほど時間は必要なかった。
「私が普通だと言う定義がよくわからないな」
僅かに動きを止めてから、平静を装ってそう言う。
だが、心中は忙しない。
ここで反応してはいけない。
普通ではないクルタ族の存在を肯定することになる。
あの頃の自分は、何も知らない子どもだった。
村を出て、クラピカは沢山の事を調べ、学んだ。
クルタの秘宝と呼ばれる理由、その出生―――調べるのは容易ではなく、何年もかけた。
彼女を、コウを守らなければならない。
それは、自分がクルタ族だからではなく、コウと言う人間を愛しているからだ。
親愛感情なのか、恋愛感情なのかは分からないけれど、知る必要はないだろう。
ただ、彼女は生きていると言う漠然とした確信が、クラピカを動かしている。
「…別に」
誤魔化すにはあまりに貧相な態度で、キルアがそう答えた。
視線を上げて彼の目を見れば、その言葉に隠された意味を理解する。
キルアは―――普通ではないクルタ族、アイス・ドールの存在を知っている。
ゾルディック家ならば、無理はないのだろうか。
暗殺一家は、裏の世界では酷く有名で、恐らくは伝手も広いだろう。
情報自体を手に入れるのは、彼らならば簡単なことのように思えた。
「あ、クラピカ!キルアにも聞いたらどうかな?」
「聞く?」
「ほら、コウって言う人のこと。キルア、結構物知りだから、知ってるかも!」
他意なくそう言うゴン。
ゴンが田舎者なだけだろ、とキルアが言う。
その目が不自然に彷徨ったのを、クラピカは見逃さなかった。
「…キルア、少しいいだろうか」
そう言って、クラピカが部屋の隅を指す。
細い廊下へと続くその奥にはトイレがある。
あそこに移動すれば、部屋の中にいる者に会話は聞こえないだろう。
「うん、良いぜ」
立ち上がりながらそう言い、彼が示した方へと歩き出す。
それを見送り、クラピカもまたその場で立ち上がった。
物言いたげなレオリオとゴンの視線を受け、軽く苦笑を浮かべる。
「…少し話をしてくる」
特に興味はないらしいトンパの横を通りぬけ、キルアのところへと歩いていった。
二人して壁に凭れかかる。
「…単刀直入に聞こう。コウを知っているのか?」
クラピカの問いかけに、返って来たのは沈黙だった。
暫くして、短く溜め息を吐き出す。
「言えない」
「何故だ?」
「あんたが敵じゃないとは限らないから」
真剣な表情を見せるキルアに、クラピカは言葉を詰まらせた。
彼はコウを知っている。
そして、クラピカほどではないにせよ、キルアがコウを守ろうとしているのは確かだ。
キルア自身はクラピカを敵だとは思っていないけれど、コウにとって彼がどんな存在なのかはわからない。
彼女が特別だと知っているからこそ、沈黙しようとしている。
「…敵ではない、と言っても、納得しないだろうな」
「あぁ。証拠があったら、考えなくもないけど」
掴みかかってでも聞き出そうとしなかったのは、キルアの心が垣間見えたからだろう。
コウと自分の確かな繋がりが見えたならば、きっと知っていることを話してくれる。
クラピカは、そう確信した。
一歩だけ彼女に近づけたような気がする。
「…ルシアも、知ってると思うぜ。俺じゃないけど、物知りだから」
ゴンの言葉を真似たのだろう。
突如として告げられた名は、自分も知っているものだった。
クラピカは飛行船の中で出会った女性を脳裏に浮かべる。
彼女が何かを知っている―――?
クラピカは、逸る気持ちを抑えつつ、時間になるまで沈黙したままの扉を恨めしく睨みつけた。
08.07.19