Ice doll --- sc.051
その道に長けた者の目を誤魔化せるとは思っていなかった。
「この姿でも気付くなんて、随分と目ざといのね」
「自分の念の能力で変化していれば、身体に纏うオーラは変わらないからね。そこから変えないと、意味はないよ」
少なくとも、イルミのような実力者以外には、十分有効だった。
現に、コウを探しているはずのクラピカも、雰囲気が似ている、と言う所までしかわからなかったのだから。
しかし、彼に言われたことは、彼女自身も薄々感じていたことだ。
完全に他人に成り代わっているわけではないのだから、念は変わらない。
今後はそこを追及していくべきだな、と心中で新たな課題を見出した。
「それで?態々こんな所で待っていると言うことは、何か用があるんでしょう?」
警戒心は解かず、あえて挑発的な態度を取ってみせる。
しかし、イルミは表情一つ変えずに答えた。
「うん。元気だった?」
「……は?」
何故、彼に旧友との再会のような言葉を向けられなければならないのか。
自然と彼女の眉間がぎゅっと絞られる。
そんな彼女に対し、相変わらず表情の読めない顔のイルミ。
「元気で居てくれないと困るんだよね。君、精々22、3だろ?あと80年近くも待つのはごめんだし」
会話の中に浮かんだ数字を合計すれば、凡そ100。
即座に、その数字の示す意味を理解する。
アイス・ドールが生まれる周期のことだ。
「母さんが欲しいって言ってるしさ。この試験が終わったら、大人しく来てくれない?
緋の眼のままで、着せ替えを楽しみたいんだって。敷地内で自由に飼われるだけ」
果たして、それを自由と言うのだろうか。
まるで夕食のメニューを語るように、気軽に言葉を紡いでいく。
コウが人間であると言うことを置き去りにしたそれに、彼女は表情を顰めた。
「断るわ。私は…蜘蛛よ。誰かに飼われるなんて、冗談じゃない」
そう答えると、イルミは「ふぅん」と気のない返事の声を上げた。
「君は、自分の価値をよく理解していないみたいだね」
「え?」
「クルタ族が滅びた―――現存するのは、ごく僅かの生き残りだけ」
遅かれ早かれ、生き残ったクルタ族が狙われることは、間違いない。
緋の眼を後世に残そうと思えば、捕らえた一族の者に子孫を残させようとするだろう。
貴重な血は『人間であること』を見失わせるには、十分な価値を兼ね備えている。
コウの場合…その中でも特殊なのだから、どうなるのかは火を見るよりも明らかだった。
イルミの言葉により、コウは自身の置かれている状況を改めて理解する。
同時に、ゾクリと背筋が逆立った。
「そう言う連中に捕まれば、一生日の下で生活できないだろうね。
適当な男を当てられるか、同族の男を当てられるか…。どちらにせよ、君に自由はないよ」
人として生きる術を失う―――想像しただけでも、ゾッとする。
しかし、コウはそれを表情に出すことなく、きゅっと唇を噛んだ。
「衣食住は保障するから、呼ばれた時だけ人形になればいい。母さんが飽きたら、自由にしてあげるよ。
殺すって言ってるわけじゃないんだし、いい条件だと思うよ?」
どう?と首を傾げる彼に、コウは長い溜め息を吐き出した。
これ以上の問答は無意味だと理解する。
そして、ゆっくりとした足取りで彼の方へと―――いや、通路の先へと、歩き出した。
一歩近づくごとに煩くなっていく心臓の鼓動を意識しないようにして、彼の横をすり抜ける。
何かされるかと警戒していたけれど、何事もなく通ることが出来た。
「背中の―――」
コウの歩みが止まる。
背中へとかけられた声により、まるでその場に縫い付けられたようだ。
すっと服の上からそれをなぞる感覚。
「背中の蜘蛛を剥がせば、アイス・ドールは手に入る?」
「…生憎、簡単に剥がせるような背負い方はしていないわ」
一族の敵になる覚悟の元、刻んだ蜘蛛のイレズミ。
物理的に皮膚を剥がされたとしても、背負った蜘蛛が消えることはない。
念を纏った手の平になぞられる感覚に、コウの頬を汗が流れた。
この男が本気を出せば、自分では逃れられない。
気丈に答えているつもりだけれど、それはあくまでも強がりだ。
少しばかり縮まったとはいえ、まだ現実的な実力の差が、そこにある。
ドクン、ドクンと鳴り響く鼓動。
そんな彼女の緊張を他所に、イルミはあっさりと手を引いた。
「傷つけるなって言われてるからね」
「――――、―――」
何かを言おうと思うけれど、それが声にならない。
彼女は何も言わず、ただ息の塊を吐き出した。
そして、イルミに背を向けたまま歩き出す。
向かった先の階段を下りていけば、身丈よりも少し大きな扉が見えた。
コウが前へと立つと、まるで自動扉のようにそれが開いていく。
迷う素振りもなく、コウはそこを通り抜けた。
『受験番号45番、第三次試験通過。所要時間15時間26分』
どこからともなくアナウンスが聞こえてきた。
ぐるりと見回せば、一つのフロアになっているそこに、ちらほらと人影が見える。
その中で、一際目立つ身なりの男を見つけたコウは、人知れず肩の荷を降ろした。
足早に扉から離れ、その男の元へと歩く。
イルミに対抗できて、なおかつコウが最低ライン以上の信頼を寄せる人物。
たとえばクロロもしくはシャルナーク…いや、旅団の誰かが居たならば、そちらに向かって歩いただろう。
消去法で考えて、仕方がなかったのだ。
「やぁ、コウ。君も無事に通過したみたいだね」
ニコリと微笑む奇術師を前に、コウは肩を竦めた。
無傷であることを無事と呼ぶならば、間違いなくそうだろう。
だが、しかし―――精神的には、かなり疲れた。
「あぁ、そっか。ヒソカの仲間だったね」
そんな声が聞こえ、コウはびくりと肩を揺らした。
そして、素早い動作でヒソカの背後に身を隠す。
これ以上関わりたくないというのが本音だ。
「…何かしたのかい?随分と警戒されているじゃないか」
「前にちょっと家に招いたんだよ」
動けなくして無理やり家に連れて行くことも招くと言えるならば、そうなのだろう。
コウは彼の言葉に眉を顰めた。
先ほどイルミの姿へと戻っていた彼だが、他の受験生が居るからなのか、姿をギタラクルのそれに戻している。
君の悪い姿でカタカタと奇妙な音を立てる彼に、受験生たちはこちらを見ないようにしていた。
それが幸いして、三人の話し声は他の者には届かない。
「あまり苛めないでくれよ。団長に任されているんだ」
「へぇ…ヒソカが庇うなんて、珍しいね」
気に入ってるんだ?という言葉に、ヒソカは笑みを深くするだけ。
コウはどっちもどっちな様子に、心中で長く深い溜め息を零した。
イルミか、ヒソカか。
その決断を迫られれば、ほんの少しだけヒソカの方が信頼できる。
その差が、コウの位置を決めさせていた。
「(…帰りたい…)」
中途半端な実力の所為で、危険と隣り合わせになってしまっている現状に、コウは心底そう思った。
08.07.13