Ice doll --- sc.048
結局、コウの予想通り、メンチは合格者を出さなかった。
しかし、予想と違っていたのは、そこからだ。
普段ならばハンター試験の最高責任者が試験に口を出すことはない。
事実、合格者がゼロの年もあったのだ。
運も実力のうち―――そう言って片付けられてしまうからだ。
最高責任者であるネテロの言葉により、メンチは二次試験後半の内容を改める。
崖に蜘蛛の様に糸を張り、巣を作るクモワシの卵によってゆで卵を作ることが課題となった。
どこぞの民族料理を美味しく作れと言われるよりも、遥かに楽な課題だ。
しかし、そのクモワシの卵は、何十メートルと言う高さに吊るされている。
普通の、ごく一般的な神経の持ち主では、それを取りに向かうのは難しい。
もちろん、ハンターを目指そうとする者の中には、そんな普通の神経を持ち合わせていない者もいる。
当たり前のように崖から飛び降り、さっさと卵を拾って持って帰ってくる。
それを大鍋の中に放り込み、茹で上がるまでの時間は近くの者と談笑したり、無言で過ごしたりと様々。
旅団に入ってからと言うもの、過酷と言えるくらいの修行を積んだコウもまた、普通ではない神経の持ち主。
橋を渡るくらいに自然に崖から落ち、糸の上を歩いて卵を取り、難なく崖を上ってきた。
普通の卵とは比べ物にならない絶品のゆで卵を食した後は、全員が飛行船へと乗り込んだ。
眼下に広がる世界を見下ろす。
コウは、一人で飛行船の廊下にいた。
誰かと示し合わせて試験に臨んでいるわけではないのだから、単独行動を取っていてもおかしくはない。
窓に添う形で設置された椅子に腰を下ろし、そこから見える風景に目を落とす。
明日の朝8時が到着予定時間。
それまでの時間をどのように過ごすか―――コウは、ぼんやりとそんな事を考えた。
大して疲れていない身体は、休息を求めていない。
そんな時―――ポケットに入れておいたケータイが小さく震えた。
「…はい」
『や、コウ。今大丈夫?』
「ええ」
『試験の方がどうなったかなって気になってね』
「スシの方は合格できなかったわ」
簡潔にそう答えると、電話口から笑い声が零れて来た。
そりゃそうだろうね、と言う言葉は、未来を予想していたかのようだ。
『なら、今は帰り道?』
「飛行船の中。最高責任者が出てきて、二次試験後半がやり直しになったのよ」
『へぇー…運が悪かったかと思ったけど…捨てる神あれば拾う神あり、だね』
本当ね、と同意しておく。
自分でも、今回の試験官に関しては運がなかったと思っていた。
妙なところで運が良かったようだ。
こんな事ならば、その運を生かして、はじめから合格させてくれればよかったのに、とは思う。
どちらにしても合格に違いはないけれど。
『所で、ちょっと仕事の話がしたいんだけど―――』
「…待って、誰か来るわ。後でかけなおす」
そう言って、相手の返事も聞かずに通話をきる。
近づいてくる気配は、一旦足を止め、再び歩き出した。
足を止めた位置は…丁度、角の当たりだ。
大方、自分がそこにいることを確認したのだろう。
コウは気付いていないと言う素振りで、窓の外へと視線を向けている。
それでも、自然と気配には敏感になっていて…気付いてしまう。
「…あの…!」
聞こえた声に、心臓がドクンと音を立てた。
声をかけられて振り向かないわけにはいかない。
この場所にいるのは自分だけだからだ。
コウは思考を落ち着かせるように心の中で深呼吸をして、声のした方を振り向いた。
「はい?」
そうして正面から視線を合わせると、声の主…クラピカはやや驚いたようだった。
そして、慌てて取り繕うように首を振る。
「す、すまない…!人違いをしてしまったようだ…」
気持ち、肩を落としている彼の姿を見ていると、ズキンと心が痛む。
けれど、それを表に出すわけにはいかない。
―――ねぇ、誰と間違えたの?
喉の辺りまでこみ上げてきた質問を、ギリギリのところで飲み込む。
気付いたと言うのだろうか。
姿かたちを変えて、今ここにいる自分に。
信じられないと思う半面で、心が嬉しいと叫んでいる。
「いいえ、気にしていないから」
「失礼ついでに、一つ質問させてもらえないだろうか?」
ある程度は落ち着いてきたのだろう。
彼は冷静な声を取り戻し、そう問いかけてきた。
コウは慌てた様子もなく、どうぞ、と答える。
「コウ、と言う女性を知らないだろうか?」
「―――ごめんなさい。記憶にないけれど…」
反応してしまわなかっただろうか。
自然な形を装い、悩んでからそう答える。
即答してしまうのも変だと思ったから。
「そうか…。えっと…」
「…ルシアよ」
「では、ルシア。私はクラピカと言う。…邪魔をしてすまなかった」
そう言って踵を返そうとする彼。
ふと見えた横顔に、酷い疲れが浮かんでいるようだった。
それに気付くと、コウは自然と彼の背中を呼び止める。
まさか呼び止められるとは思っていなかったのか、クラピカは少し驚いた様子で振り向いた。
「随分と疲れているように見えるわ。誰を探しているのか知らないけれど…あなたも、休んだ方がいいんじゃない?」
「いや、私は…」
「あなたが無理をして探したとして…その人は、喜ぶかしら」
自分ならば、喜んだりはしない。
彼が無理をせず、元気でいてくれることこそ、彼女の願いだから。
彼は少し悩むように口を噤み、やがて肩の力を抜いた。
「…そうかもしれないな。もしかしたらと言う可能性に縋って、自分を省みていなかった」
「まさか、行く先々でそんな事をしているの?」
「………」
沈黙は肯定だ。
呆れた、とは言わないけれど、そう思ったのは事実。
「無茶をするのはやめなさい。生きているなら、いずれ会えるわ」
そう言って微笑めば、クラピカはそのままの表情で静止する。
そして、次に哀しげな表情を浮かべた。
「あなたは…コウに、よく似ている。姿かたちはまったく違うのに…不思議だ」
「…そう。光栄ね。………もう、行った方がいいわ。休む時間は長い方がいい」
そう言って促せば、彼は納得したように頷き、今度こそそこから去っていった。
彼の気配が感じ取れなくなったところで、コウはぐたりと前に倒れこむ。
窓の前にある少しのスペースに腕をおき、そこに額を乗せた。
はぁ、と息を吐き出せば、久しぶりに呼吸をしたような錯覚に襲われる。
「生きているなら…か。次に会えば、敵同士だって言うのに…笑ってしまうわね」
ぽたり、と一滴の雫が足元に落ちた。
08.06.22