Ice doll --- sc.047
建物に戻ってくると、何故か他の受験生が一人残らずいなくなっていた。
状況に首を傾げつつも、時間を無駄にしてはならぬと調理を始めるコウ。
不思議な形をした魚だったが、身の方は白くて綺麗だった。
これならば料理をする気にもなるな、と思いつつ、それを薄く切っていく。
見様見真似で画像と同じものを作ってみる。
「…出来たことは出来たけど…食べたことがないから、味が正しいかどうかもわからないのよね…」
ちょこんと皿の上に用意した一つを見下ろし、コウは腕を組む。
とりあえず…食べてみるしかないのだろう。
箸を手に取り、醤油を少しつけてから一口でそれを食べる。
「…へぇ…生魚ってこんな味がするんだ…」
魚は火を通して食べるもの、と言う認識を持っていたコウには、初めての食感だった。
悪くはないのだが…美味しいと感じないのは、食べなれていない所為なのか、作り手が下手だからなのか。
うーん、と首を捻る。
そして、とりあえず…ともう一つ作り始める。
「またあんたなのね」
不意に、背中から声をかけられた。
とは言っても、コウは彼女の接近に気付いていた。
殺気がなかったし、何かされても対処できる自信があったから放置していただけの事。
「どれどれ………何だ、あんた、知ってたの?」
「いいえ、初めて聞きましたし、作りました」
そう答えつつ、シャリの形を整える。
その手際の良さに、感心するメンチ。
「初めての割には手際がいいわね」
「料理は得意ですから」
シャリに適量の山葵をのせ、ネタと一緒に握る。
いつまでもしつこく握らずに、ある程度馴染ませたところでそれを皿に載せた。
「…食べていただけます?」
こんなので、と言う言葉を隠して、コウが問いかけた。
メンチは少し悩んでから、それを手で取って醤油をつけ、ぱくっと一口で食べる。
味を見るようにしっかりと租借する彼女。
コウは黙ってその様子を見つめていた。
「美味しくないわね」
「…でしょうね。これ、かなりの年数の修行を重ねる必要があるって聞きました」
「シャリの形に拘りすぎよ。手の熱が移ってしまうでしょ」
「………ま、時間はあるし…作り直しましょうか」
はぁ、と溜め息を吐き出し、再び手を濡らす。
同じ手順で、今度は手の動きを早めながら、ふとこの建物内の状況を思い出す。
「そう言えば、皆さんはどこに行ったんですか?」
今気付いた、とばかりの声に、メンチの方が呆気に取られた。
そして、ブハラと視線を合わせる。
「魚でも取りに行ったんじゃないの?一斉に出て行ったし」
「…もうすぐ帰ってくる頃だね」
ちらりと時計を一瞥した彼は、そう言った。
そのタイミングを見計らったかのように、気配が近づいてくるのを感じる。
まずは先頭集団…数は、恐らく15、6人だ。
どんな魚を捕ってきたんだろうと思いつつ、新たなスシを一つ完成させる。
手応えが今一なので、これを出しても無駄だろう。
早々にそう判断し、再び作業に取り掛かった。
5つ目を作り上げたところで、ふと顔を上げれば、建物の中には殆どの受験生が戻ってきていた。
それぞれ、形容しがたいような魚を前にして料理の形を模索している。
そんな様子を一瞥してから、コウは皿の上に乗せていたそれをゴミ箱へと放り込んだ。
やはり、彼女を納得させるものは作れそうにない。
「今回は試験官運がなかったわね…」
受かることを諦め、壁へと凭れかかる。
そして、もう一度建物の中を見回した。
―――探していたわけではないのに、見つけてしまう。
コウはその姿を視界に捉え、目を細める。
正面から彼を見る勇気はない。
姿を変えているので、きっと彼は気付かないだろう。
「成長…したのね」
自分の記憶にある彼…クラピカは、抱き上げられるような小さな少年だ。
しかし、今彼女の視界に映っている姿は、すでに少年の殻を脱ぎ捨てた青年。
隣のスーツの男性と何かを話している横顔が見え、コウは無言で拳を握り締める。
やはり、彼は生きていた。
もしかしたらと言う可能性に賭けていたのだ。
生きていてくれたことは嬉しいと思う。
けれど、一次試験の途中で聞いた声が、頭から離れない。
―――幻影旅団を必ず捕まえてみせる!仲間達の目も全て取り戻す!
憎しみと決意のこめられた声だった。
今すぐにでも駆け寄って、周囲の目など気にせずに、強く抱きしめてあげたい。
突然たった一人になってしまった彼の心境を思えば、それだけでは足りないと思った。
けれど、コウはその行動を起こせない位置に居る。
手を伸ばせば届く位置に居るのに、声をかければ伝えられる位置に居るのに。
「今更、何を言えるって言うのかしらね…」
そうして、自嘲の笑みを零す。
―――生きていてくれてよかった?
家族も親戚も友人も、皆殺されて、自分ひとり生き残ってしまった彼に言える言葉ではない。
―――復讐を忘れて幸せに?
憎むことでしか生きられなかった彼に、そんな事は言えない。
必死で生きてきた彼の数年を否定する言葉だ。
「私に、何かを言う権利なんてないわ…」
あの時、クロロの手を取らなければ、クラピカの元に駆け寄ることが出来たのだろうか。
ふと、そんな事を考える。
しかし、コウは首を振った。
村長や母親の行動を知り、許せないと言う思いはあった。
彼らが死んだ時、悲しいと思えなかったことも事実。
それでも…死んでしまえばいいと思っていたわけではない。
憎んでいたから、クロロの手を取ったわけではない。
結局のところ、コウ自身も、仲間を失った孤独に耐えかねたのだろう。
自分に向かって差し伸べられている手を取るほかに、その孤独感から逃れる術がなかった。
その手を差し伸べてくれたのが、偶々憎むべき相手である幻影旅団だっただけのこと。
そして…彼らを知り、本心から心地よい場所だと思うようになってしまった。
背中の蜘蛛が、コウの心に重く圧し掛かる。
08.06.12