Ice doll   --- sc.038

「コウ~。試験会場の情報はちゃんと持ってるよね」

部屋を訪ねてきたシャルナークがそう問う。
デスクに向かってパソコンを操作していたコウは、彼の来訪に手を止めた。

「シャル…いつものことだけれど、突然来るわね」

連絡の一つくらい入れたらどうなの。
と言う彼女の言葉に、シャルナークはにっこりと笑みを返すだけだった。
彼女ははぁ、と溜め息を吐き出してから、彼の質問に答える。

「情報は大丈夫よ。余裕を持って今夜出発する予定―――」

コウの言葉が不自然に途切れる。
それに疑問符を抱くシャルナークだが、彼女がポケットを漁った事でその理由を悟った。
そこから取り出したケータイが、彼女をとめた原因のようだ。

「……どうしたの?」

とてつもなく嫌そうに表情を顰めたコウ。
そんな彼女に、彼は首を傾げて問いかける。
彼女は緩く首を振りながら答えた。

「ヒソカと待ち合わせて現地に向かうことになりそう…」
「ヒソカからの連絡?」

コクリと頷く彼女。
どうしようかと思案している様子だったが、恐らくは心の中では対応を決めてしまっているのだろう。

「無視しておけばいいんじゃないの?」
「…そう言うわけにもいかないのよ」

こう答えた彼女に理由を尋ねても、首を振るだけで答えを返してはくれなかった。
どうやら、その内容だけは隠しておきたいようだ。
別段無理やりに聞くことでもないだろうと、シャルナークも特に気にしなかった。

「じゃあ、そろそろ行く事にするわ。隣町で合流することになっているから」

そう言って、コウが立ち上がる。
部屋のベッドの上に置かれていたウエストポーチを腰に巻き、緩めていたブーツの紐を締めなおす。
そして、ポーチに隠れていた小さなナイフを太股のホルダーに収めた。
準備を整えていく彼女の様子を、ドアのところに凭れて眺めていたシャルナーク。
彼の視線に、コウは作業を進めながら顔を上げた。

「今度はちゃんと受かってくるわ」
「吉報を楽しみにしてるよ。あぁ、一つアドバイス」

思い出したようにそういったシャルナークに、コウがその手を止めた。
アドバイスと言うからにはちゃんと聞いておかなければならないだろう。

「他の受験生を全員やっちゃうと試験が早く終わるらしいよ」

他の受験生よりも強いと言う事実が、ライセンスを渡すに相応しいと判断されるのだろう。
それを聞いたコウは、軽く肩を竦めた。

「普通に受けていて通りそうになければそれも考えるわ」
「ま、コウの場合はその必要はないと思うけどね」

必要になるようでは、この一年間何をしていたのかと落ち込まなければならないところだ。
最後にケータイを持ち上げ、時間を確認してからポケットにそれを押し込む。
それで準備は完了だ。

「じゃあ、行く事にするわ」
「うん。頑張ってね。団長には?」
「今から声をかけていく」

じゃあね、と後ろ手に手を振ってシャルナークの隣を通り過ぎる。
ふわりと彼女の髪が揺れるのを見送り、彼はやれやれと溜め息を吐き出した。

「ヒソカと一緒とはね…変なことされなきゃいいけど」

そう呟いてから、あぁ、そっか、と思い直す。
彼女はこの数ヶ月でとても成長したのだ。
もう、ヒソカと言えど迂闊に手を出すことは出来ないだろう。
それを思い出すと、彼はクスクスと笑い出した。
















自分の部屋の隣のドア前に立ち、団長、と声をかけてノックする。
暫くして、入れ、と言う声が聞こえ、コウはドアを開いて室内に足を踏み入れた。
薄暗い部屋の中は電気がついていないようだ。
目に悪いのに、と思いつつ、部屋の主の元へと歩く。
コウの試験にあわせ、前のアジトを放置し、このホテルに部屋を取った。
特筆すべき所は何もないような、シンプルなホテルだ。
あえて言うならば…長身の人間には不親切なベッドだ、と言うところくらいだろう。
そんなベッドに腰掛けるようにして、クロロはそこにいた。

「どうした?」
「そろそろ出発しようと思って、挨拶」

そう答えた彼女に、クロロは一瞬動きを止めた。
それから、ベッドの枕元に置いてある時計に視線をやる。
早くないか?と言いたげな視線を向けられ、コウは苦笑を浮かべた。

「何か、いつの間にか待ち合わせていく事になったから」
「…ヒソカか…」

それだけで彼に繋がるとは…さすがと言うべきか、当然と言うべきか。
苦笑を消さずに頷く彼女に、クロロは短く溜め息を吐き出す。

「まぁ、お前なら大丈夫だろう」
「…数ヶ月で団長にこう言ってもらえるようになるなんて…成長したわね、私」
「俺が鍛えたんだ。当然だろう」

その強気な笑みは、幻影旅団の団長と言うよりは、クロロ個人らしい表情だった。
それに対して小さく笑みを浮かべたコウは、静かに彼の傍へと歩み寄る。



「ねぇ、団長。一つだけ…聞かせてくれる?」

ふと真剣な声色でそう問いかけるコウ。
彼女は彼が頷いたのを見ると、そのすぐ前で立ち止まったままゆっくりと口を開いた。

「私を強くして…仇討ちをされるとは考えなかったの?」

この場所にいるのは、奪った者と奪われた者だ。
今この瞬間にも両者が死闘を繰り広げたとしても、それは決して不思議な話ではない。
数年前の彼女であれば、クロロからすれば障害になどなりえなかった。
しかし、目の前の彼女は違う。
自分が手塩に掛けて磨き上げた原石。
強い光沢を放つそれは、最早自分ですらも無傷では済まされない実力を持っている。
隙を突かれれば致命傷すらありえるだろう。

「何を尋ねるのかと思えば…そんなことか」

心底そう思っている風な表情で本を閉じる。
そして、彼はそっとコウの手を取った。

「観賞用に閉じ込められていた美しい鳥に、自由な空を与えただけだ。鳥は籠を破壊した者を憎むのか?」
「…彼らは籠じゃないわ」
「だが、お前にとっては重い枷でしかなかった」

即座に反論する彼の言葉に、コウは否定の言葉を返せない。
クロロは言葉を詰まらせた彼女の腕を引き、最後の一歩を踏み込ませる。

「好きに羽ばたけばいい」

ずるい。

「空の広さを感じて、その自由さに知るといい」

彼は、ずるい。

「この場所に戻ってくるなら、俺はお前に枷をつけたりはしない。お前が裏切るとは思っていないよ」

その言葉こそがコウを繋ぐ枷だ。
分かっているけれど、彼のその眼差しから逃れる事など出来そうにない。
そう強い力で握られているわけではないのに、確かな力をもって彼女をその場に留めている。

「…優しい言葉で縛るのが上手いわね」
「そんなつもりはないんだが…」

コウがそう思うなら、そうなんだろう。
クロロは穏やかに微笑んだ。




きっと、自分は彼から逃れられない。
所有物と言う考え方は嫌いだけれど…今世紀のアイス・ドールは、幻影旅団にその心すらも盗まれたようだ。

頬から目元をなぞるクロロの指の動きを感じつつ、コウはそっと瞼を伏せた。

08.03.21