Ice doll --- sc.034
その奇抜なペイントを落とさない限り、脅されてもクロロの元には案内しない。
コウは断固としてそこだけは譲らなかった。
ただでさえ、この道化師のような服装だ。
このペイントの男を移動すると、自分まで人の目を引いてしまう。
日陰の身と言うわけではないけれど、目立つ生活はしたくはない。
「仕方ないね。落としてくるよ」
そういってヒソカは駅のトイレを指した。
クレンジングもなく落とせるのか?と思ったけれど、そこはあえて聞かないでおく。
さっさと行けとばかりに見つめるコウに、彼は一度振り向いた。
「トイレに行っている隙に逃げるなんて事は…」
「しないわよ。もう諦めてるから」
呆れた風にそう答え、コウは動かないと言う意思表示に、柱へと凭れ掛かる。
そんな彼女を見て、彼は満足できたのかそのままトイレへと消えていった。
コウは彼が消えたトイレの入り口を見ていたが、ふとポケットのケータイを取り出す。
震えるそれは、着信を告げていた。
「はい」
『俺だ』
「ええ。ナンバーでわかってる。駅に着いたわ」
どこの駅だ、と問われ、コウは顔を上げた。
周囲を見回し、駅名を読み上げる。
『…そこなら大体20分くらいで着くな』
「相手の男がやたらと人目を集めるの。出来れば早めに移動したいわ」
『わかった。それなら、今から言うビル名をどこかにメモするか覚えてくれ。ついでに道順も伝える』
クロロの言葉にコウはポーチからメモ帳を取り出した。
ケータイを頬骨と肩で挟むようにして、いいわ、と答える。
彼が言う通りにメモを取り、確認するようにそれを読み上げる。
間違いがないことをもう一度確かめ、メモを閉じた。
不安定だったケータイをしっかりと手に持って、彼女は話を再開させる。
「ねぇ、本当に連れて行って大丈夫なの?お世辞にも推薦できるような人じゃないんだけど…」
『コウが気にすることじゃない。それに、断ってお前に何かあっても困る』
「…そう。なら、連れて行くわ」
煮え切らない様子ではあるけれど、クロロがそう言っているのだ。
彼ほどの実力があれば、きっと問題もないだろう。
自身をそう納得させ、コウはちらりとトイレの方を見た。
ヒソカと同じくらいの身長の一人の男が出てきたけれど、どうやら彼ではないらしい。
コウはその男から視線を外し、道行く人々へとそれを投げた。
「半時間後には着くと思うわ。ええ、じゃあ…」
そういって彼との通話を切る。
そして、ふぅ、と溜め息を吐き出した。
この先をあの男と過ごさないといけないと思うだけで気が滅入って来る。
今のところはあの狂気は見えていないけれど…果たして、最後までこの状況を続けられるのだろうか。
不安は後を絶たない。
「酷いな、無視するなんて」
すぐ脇からそんな声がした。
覚えのある、独特の声だ。
いつの間にか来ていたらしい彼の方を振り向いたコウは、文字通り固まった。
「―――…は?」
え?とそんな意味のない声ばかりが漏れてしまう。
目の前に居るのは、先ほどトイレから出てきた男だ。
服装を覚えているので、まず間違いはない。
その男の声が、ヒソカのものなのだ。
「……………え、まさか…ヒソカ…なの?」
「失礼だなぁ。僕以外に見えるのかい?」
と言うよりも、ヒソカに見えないから聞いているのだ。
呆気に取られた様子のコウを前に、彼は悪戯が成功したみたいにクスクスと笑った。
その顔には先ほどのようなペイントはなく、素顔のままだ。
よくわからないけれど、服も普通のものに変わっている。
連れていても悪い意味で目立ったりはしないだろう。
クロロのように、美男子と言う言葉が似合う男が、そこに居た。
「さ、詐欺だ…」
あんな奇抜な格好をしていた男が、こんな風に男前だったなんて。
いや、不細工だとは思っていなかった。
だが…人間、ここまで変わっていいものだろうか。
「これで連れて歩いても目立たないだろう?」
「…別の意味で目立つみたいだけれどね…」
周囲の視線の意味を悟ったコウは、脱力したように溜め息を吐き出した。
女性の物と思しき視線は、彼の顔立ちに向けられている。
これでは意味がなかったのかもしれないと思う反面、変人を連れて歩くよりはマシだろうとも思う。
どちらにせよ目立つならば、この方が断然いい。
いいはずなのだ―――そう思い込むことにして、コウは先ほどのメモを彼に差し出した。
「そこに団長が居るわ。私も彼と合流するから案内するけれど…」
「…あぁ、ここなら僕が知ってるよ」
数秒間メモを見つめていたヒソカがそう頷いた。
初めての場所だが、クロロの教え通りに歩けば問題ないだろう。
そう思っていたコウは、彼の言葉にそれなら迷わずに行けそうだと思った。
「団長が待っているわ」
行きましょう、と声をかけ、コウは南出口に向かう。
歩き出した彼女に続くように、ヒソカもその隣を歩き出す。
「予想していたことだけれど…視線が鬱陶しいわね」
いくらか進んだところで、コウがポツリとそんなことを呟いた。
どうやら終始向けられる視線が鬱陶しくてかなわないらしい。
クスクスと笑えば、お前の所為だと言わんばかりの視線が向けられる。
そんな彼女に対し、ヒソカは肩を竦めて見せた。
「僕だけが原因じゃないよ」
「…は?」
「生憎だが、男の視線の対象は僕じゃない」
そう言われ、コウは確かに視線の中に男のものが含まれていることに気づく。
それがヒソカに向いているとすると…想像すると、ゾワリと鳥肌が立ってしまった。
「私の所為だって言うの?」
「そう言う事になるね」
ヒソカの言葉に、コウは少し考えるように黙り込む。
確かに、アイス・ドールは愛玩用として一部の愛好家の中で高値で取引される。
その容姿の美しさは間違いないのだろう。
「…まずいわね」
このまま視線を集めながら移動すると、クロロが滞在している場所を悟られてしまう。
追っ手がどう、と言うことはないだろうけれど…撒くべきだろうか。
悩む彼女を他所に、ヒソカは止めていた足の動きを再開させる。
ついでに、彼女の手を引いて歩き出した。
「ヒソカ!?」
「暫くこのまま歩いてみなよ」
「………………………」
何の意味があって…と思うコウだが、あえて聞かず、彼の言う通りにしてみる。
そのままいくつかの角を越えてみると、いつの間にか鬱陶しく絡み付いてきていた視線が少なくなっていた。
「?」
「フリーじゃない人間には用がない連中が多かったって事だよ」
「あぁ、そう言う事…」
要するに、恋人同士と認識されたのだろう。
それはそれで良くないのだが、視線が減ったと言う効果を考えれば納得できなくもない。
やや不満げな様子の彼女とは対照的に、ヒソカはどこか楽しそうだ。
「あ、ここだね」
ふとヒソカが足を止め、少しばかり年季の入ったビルを見上げる。
そのままの勢いで通り過ぎてしまいそうだった彼女は、彼に腕を引かれて漸くそれに気づいた。
ケータイを取り出して時間を見てみれば、丁度クロロの電話から30分経っている。
円で気配を探ってみると、確かにクロロがここに居ることがわかった。
彼女が円を解くのを見届けるようにして、ヒソカはビルの入り口から中へと入っていく。
コウもやや急ぐように彼の後に続いた。
08.02.10