Ice doll   --- sc.033

発作の方も落ち着いてきたのか、コウの呼吸も次第に楽そうになってきている。
その事に密かに安堵しつつ、シャルナークは残り時間を確かめた。
そろそろ集合場所に戻らないとまずい。
急いだとしても、ギリギリ間に合う程度の時間だ。
仕方ない…そう心中で呟き、コウを見下ろす。

「時間だからそろそろ向かわないと」
「ええ、そうね」

ごめんなさい、と告げる彼女に首を振り、方角を確かめる。
方角さえ確かだったならば、そう広くはない島で迷う事もない。
そうして進むべき道を見出した彼を見上げるコウが、何かを伝えようと口を開いた。
だが、そこから言葉が発せられるその瞬間に、彼女の姿が消える。
いや、彼女自身の意思とは無関係に何かによって引き寄せられたと言うべきか。

「コウ!」

即座に手を伸ばそうとするシャルナークだが、ふとその手を引っ込める。
不用意に彼女の腕を取ってしまえば、その引き寄せられる力により腕が千切れかねない。
チッと舌を打つと、彼は彼女を追った。













トン、と背中が何かにぶつかった。
何か、と言っても、予想はついている。
オーラが半分になっているとは言え、凝を怠っていた自分の失態だ。

「…随分と手荒な歓迎ね」

嫌味を前面に押し出した声色に、背中を支えていた壁、ことヒソカがクスクスと笑う。
そして、彼はポンとコウの肩を抱いた。

「この後暇になっちゃったからね。この子には団長の所まで案内してもらう事にするよ」
「悪いけど、コウはまだ落ちてないからね。それは許可できないよ」

コウを追ってきたシャルナークに向けられた言葉だったのだろう。
即座に答えた彼の言葉は予想通りだったのだろう。
ヒソカは笑いを消す事もなく、コウの肩に置いていた手をその細い首へと添える。

「時間がないんだろう?こんな所で時間を食っていていいのかい?」
「うーん…それはご尤もだけどね。でも、団長を怒らせたくないし」

ライセンスは必要だが、そのためにコウを見捨てていけばクロロに睨まれかねない。
流石に殺されるまでは行かないだろうけれど…骨折くらいは覚悟した方がいいだろう。
そんな状況はごめんだな、と脳内で頷いた所で、沈黙していたコウが口を開いた。

「私は下りるわ。シャルナーク、一人で行って」
「コウ」
「別に、今年じゃなくてもいいのよ。それに…そうしないと、この人納得しそうにないし」

横目でヒソカの存在を意識しつつ、コウがそう言った。
確かに、彼は己の思うようにことが進むまでは納得しそうにない。
コウの意志も固いようで、いくら見詰め合っても状況は変わらず、悪戯に時間だけが過ぎていく。

「…了解。団長には俺からも連絡を入れておくけど、出来るだけ早い段階で合流しなよ」
「わかったわ。早く行って。間に合わなかったら意味がないでしょう」

コウの声に背中を押され、シャルナークは後ろ髪を引かれつつもその場を後にした。
不安も残っていた筈だが、そこは彼女を信用してそうしたのだろう。
彼の気配が遠ざかると、コウはヒソカを睨む。

「いい加減に放して。鬱陶しいわ」

自分の身体に纏わりついているガムのようなオーラが鬱陶しい。
どれだけ引っ張ろうとも伸びるだけで外れる気配も切れる気配も無いそれ。
何かしら、念能力が関係しているのだろう。
一度掴まったが最後、相手の意思がなければ外れないと言う厄介な代物らしい。
他にも能力が込められている可能性を考え、コウは無理やりにそれを外そうとはしなかった。

「あぁ、そうだったね」

ゴメンネ、とまるで謝っている様に聞こえない声でそう言った彼。
手が離れていくのと同時に、拘束が緩むのを感じる。
自分の身体が意思通りに動く事を確認し、密かに安堵した。

「…とりあえず…団長に会うにせよ、まずはこの島から出ない事には話にならないわね」

コウの言葉が終わるのを待つように、ゴォーンと言う鐘の音が5階聞こえてきた。
恐らく、二次試験終了の合図だろう。
それが聞こえなくなると、今度は二人の腕についているそれがピピピッと電子音を響かせる。
小さな液晶を見れば、そこには島の地図が浮かんでいた。
ご丁寧に自分の現在地も記されている。

「…戻って来いって事らしいわね」

地図の下の数字が減っているのを見ると、これは船が出港するまでのタイムリミットなのだろう。
1時間以内に記されている場所まで行かなければ、この島から出る術を失う。
十分に戻れる距離ではあるが、コウはそれから視線を外すとすぐに歩き出した。

「さっきの能力は中々面白いね。特質系かい?」
「…………………」

色々と質問されているが、コウは沈黙を貫いている。
不必要に口を開けば、この勘のいい男のことだ。
芋蔓式に細部まで知られてしまいかねない。
それだけは避けたい彼女にとっては、無駄な会話は極力控えるに越した事はなかった。
だが、そう思惑通りに動かせてくれるような男ではない。
グイッと強い力で引き寄せられ、コウは目を見開いた。
さっきの今で凝を怠るような馬鹿ではない。
つまり、それを持ってしても見えないほどに巧妙に隠されていたと言う事だ。
まるで、ヒソカの手と見えない手錠で繋がっているような状況に、コウは隠さずに舌打ちした。

「僕の能力はつけるも剥がすも意のまま。このまま団長の所に向かうかい?」

自分の手を目線の高さまで持ち上げる彼。
それと同じように意思とは関係なく持ち上げられる腕を見て、諦めるほかはなかった。

「君の能力は特質系かい?と言うよりも、特質系だね」
「半分正解」
「へぇ…と言う事は特質系のコピー以外の能力も持ってるんだね」

やはり、墓穴を掘っている。
二つ目の能力を持っていると知れば、流石のヒソカもそれを意識してしまうだろう。
逃げようとは思っていないけれど、いざ彼が本当に敵に回った時にこれでは困る。

「あなたはどうして蜘蛛に入りたいの?」

まさか彼女の方から声を掛けてくるとは思わなかったのだろう。
珍しくも軽く目を見開いてから、彼はそれを弓なりにした。

「入団には志望動機が必要なのかい?」
「個人的疑問よ」

答えてくれても、くれなくてもどちらでも構わないわ。
そう告げると、コウは少しだけ足の速度を速める。
どの道手首を彼に奪われているのだから、数歩も進めない。
そう思っていてもあえて距離を取りたかったのでそんな行動を取ったわけだが…予想外に、数歩以上の距離が開いた。
いつの間にか、彼の念は外れていたらしい。

「団長と手合わせをしてみたくてね。蜘蛛と言うからには、強いんだろう?」
「…団長の方が強いわ」
「いいね…そう言う相手とやりあってみたかったんだ。ハンター試験も大した事なかったしね」

どうやら、自分は彼の気まぐれに巻き込まれて合格を逃したようだ。
薄々わかっていた事だが…微妙な気分である。

「それより、君は何で蜘蛛にいるんだい?クルタ族は蜘蛛が滅ぼした筈だろ?」

その質問には、コウは答えようとしなかった。
先ほどと同じようにされる可能性も考えたが、彼女の行動は予想の範囲内だったのだろう。
ヒソカは彼女の沈黙を許し、そこからは無意味な質問を重ねたりはしなかった。
居心地の悪い時間を過ごし、協会が用意していた船へと乗り込む。
窓ガラスの向こうで小さくなっていく島を見つめながら、コウは溜め息を吐き出した。

08.01.30