Ice doll --- sc.032
不自然に木々が倒れている。
幹の半ばで枝を折るかのようにぽっきりと折れているものもあれば、抉れているものもある。
どれもが、自然災害ではありえない姿になっていた。
そうして進んだ先に、赤い水溜りを見つける。
水…ではない。
血だ。
その中に伏せているのは、例の試験官の片割れ。
(やっぱり…)
彼女らでは無理だったか。
すでに動かない彼女を見下ろし、そして今も音の聞こえる方へと歩く。
少し歩いた先は、小さく開けた場所だ。
気配を消し、木のひとつに身を隠しつつ様子を伺う。
ヒソカと試験官だけではなかった。
ハンター協会の人間だろう。
スーツ姿にサングラスと言った出で立ちの男が5人ほど見える。
試験官の片割れも無事ではなかった。
隻腕となったそこからボタボタと赤を流しつつ、ヒソカに向かって声を荒らげている。
その顔は涙と怒りに染められていた。
今しも彼に向かっていこうとするのを、2人の男が止めている。
そして、彼女とヒソカの間に3人。
ヒソカは返り血ひとつ浴びずに、人差し指と中指の間に挟んだトランプを遊ばせる。
あれが凶器となっているのだろう。
オーラを纏ったそれは赤く濡れていて、そこから垂れたそれが彼の白い肌に赤い筋を残す。
「受験番号111番、ヒソカ様。これ以上の試験官への暴挙は受験資格を剥奪します」
彼に向き合っている男の一人がそう声を上げた。
その言葉に怯む様子も悪びれる様子もなく、ヒソカは男を見た。
「ハンター試験の受験資格を失うのかい?」
「いいえ。今年の試験が失格になるだけです」
「そうか。なら、いいや」
ヒソカの言葉が終わるや否や、男の身体が傾ぐ。
すでにヒソカは先ほどの位置にはおらず、男のずっと後ろに居た。
肩から腹にかけて大きく引き裂かれたらしく、男のそこから赤が噴出している。
迷いのない正確な一撃による致命傷。
殺しなれているヒソカに、コウは息を呑んだ。
残りの4人が警戒心を露にする。
とまれ、とジリジリ後ろに下がりながらそう叫ぶ男たち。
それに対して、ヒソカは獲物を追い詰めるようにじわじわと足を進める。
男の一人がトランシーバーのようなものを取り出した。
「応援要請!受験番号111番、ヒソカの受験資格を剥奪する!失格だ!」
これで、ヒソカの失格が決定された。
彼はそれを怒るでも残念がるでもなく、笑みを深めた。
「なるほど。これで容赦なく殺れるね」
そこから先は、彼らには見えなかっただろう。
気が付けば命が散った、と言う状況だったはずだ。
それほどに、ヒソカの動きは速かった。
一瞬、本当に一瞬のうちに、その場の全員が地面に崩れ落ちたのだ。
立っている唯一……いや、生きている唯一のヒソカは、大きく笑い声を上げた。
その声がやや小さくなっていき、やがて肩の揺れが落ち着く。
そして、彼は前触れもなく唐突にこちらを向いた。
明らかな意思を持ち、彼女の方を向いたのだ。
ビクッとコウが震える。
同時に勢いよく目を開いた彼女は、そのまま全力疾走でもしたかのように息を乱した。
「コウ?」
黙っていたかと思えば突然こんな反応を見せる彼女に、シャルナークがやや戸惑ったようにその名を呼ぶ。
それに答えることも出来ず、コウは胸元の衣服を掴んだ。
集中力が途切れた所為で、彼女の姿はいつものそれに戻る。
「コウ…オーラが減ってる」
「い、っしゅんで…やられた…。あの人たちも、私のコピーも」
コピーが消滅し、言っていたようにオーラの量が半分に減ってしまったらしい。
コウは太めの木の幹に背中を預け、浅い呼吸を繰り返す。
「何を見たの?」
「……ヒソカが、失格になった。
試験官は…一人が先に殺されて、それに逆上したもう一人が、ヒソカに向かって…。
腕を失ってて、協会の人間…みたいな人たちに、止められてた」
よく見れば、彼女は震えている。
心なしかその顔色も悪く、彼も漸く彼女の様子の異常さを意識した。
「コウ…」
「駄目、なの…血の色が頭から消えない。あの日を思い出して、それで…っ」
その言葉に彼女が何故こんなにも怯えたような反応を見せているのかがわかった。
クルタ族が滅亡したあの日を思い出しているのだ。
あれを思えば、彼女が生きていること自体が奇跡なのだ。
ましてや、仲間家族を殺した相手と共に、生活している。
常識的に言えば、狂っていると言われてもおかしくはない。
すでに過去のことと消化し、笑って生活しているように見えるけれど、彼女の心の傷は根深い。
ふとした時に、彼女はこうしてあの日を思い出す。
まるで、生き残った己を責めるように。
「(そう言えば…)」
シャルナークは、ふとクロロの言葉を思い出した。
確か、あれはハンター試験を一緒に受けに行くと決まったその日だった。
「コウに大量の血を見せるな」
「…団長、ちょっと過保護なんじゃない?血を怖がるようじゃ、蜘蛛でやっていけないよ」
「………発作を起こす」
ペラ、と紙をめくる音がその部屋の中に奇妙なほど響いた。
予想外の言葉に、シャルナークは驚いたようにクロロを見る。
「オーラの扱いがまだ完全じゃないからな。念が乱れて周囲が危ない」
気をつけておいてくれ。
そういったクロロの表情は、どこか自分でも納得がいっていないようだった。
「…残念だが、俺には理解できそうにない感情だな」
クロロはそう呟いた。
彼は仲間の死を悼む事はあれど、それを引きずる事はない。
それが、彼ら幻影旅団と言う一団だ。
もちろんクルタ族を殺し、緋の眼を奪った事も後悔はしていない。
ただ…彼女の心に傷を残したと言うその事実だけは、ほんの少し良心が痛むのかもしれない。
「落ち着きなよ…って言っても、無理そうだね」
すでに自分の声も届いていないだろう。
幸い、この場に他の受験生の姿も気配もない。
我を忘れた彼女が危険に晒されるという事はないだろう。
そんな事を考えていたシャルナークの眼前で、コウの緋の眼が発現する。
ザワリと髪の色素が消え、アイスブルーのそれが彼女の背を覆う。
いよいよ自分の感情を抑えきれなくなってきているらしい。
「…仕方ない、か」
隙だらけの彼女の背後に回りこみ、力を調節して彼女の首の後ろを打つ。
だが、隙だらけだと思っていた彼女は実はそうではなかったようだ。
意識を失わない程度に首にオーラを集めていた彼女は、膝から地面に崩れ落ちた。
尤も、その一撃のお蔭で彼女の意識が戻ってきたようだが。
「…ごめん」
はぁ、と呼吸を整えながらそう言う。
そんな彼女に、彼は苦笑を返した。
「数年でその程度まで消化できてるんだから、悪くないと思うよ」
そう言ってポンと彼女の頭を撫でると、彼もまたその辺りの倒木に腰を下ろした。
どうやら、彼女が完全に落ち着くまではここを動かないつもりらしい。
すでに二次試験のクリア条件を満たしている二人が焦る必要はない。
コウは彼から視線を外し、木漏れ日を見上げた。
08.01.22