Ice doll   --- sc.029

シャルナークと別れて2分ほど経った頃。
コウは道なりに進むのをやめ、そっと林の中へと身を滑らせた。
足元に伸びている雑草をあまり踏まないように気を配りつつも、周囲への警戒も忘れない。
蟻一匹の動きすらも完全に把握できるように、彼女は神経を集中させていた。






「…ぷは」

ザバッと水飛沫と共に、水面に顔を出す。
美しい金髪は、水を含んで更に輝きを増していた。
深いところから浅いところへと泳ぎ、浅瀬を歩く。
徐々に重力を感じるようになってきて、やがてその水はコウの腰ほどの位置になった。
泳ぎやすいようにと薄いシャツ一枚になっている彼女。
白いシャツは殆ど意味を成しておらず、心持その裸体を隠している程度だ。
コウは張り付く髪を掻き揚げ、鬱陶しそうに纏め上げる。
髪に隠されていた背中が露になった。

「綺麗なものね…」

手のひらに握り締めていたそれを指先で挟み、陽に透かす。
キラリ、と輝くそれは、ガラスと言えども美しい。
玉は綺麗な赤色だ。

「これで3つ、か」

シャルナークと協力すると決め、互いに3つのビー玉を集めることになっている。
表情を緩めたのは、自分の分を集め終えたからだろう。
そんな彼女の耳に、ザッと草を踏む音が聞こえた。
その音が鼓膜を震わせるのとほぼ同時に、コウはその身を反転させ、音の方を警戒する。

「あなたは…」
「やぁ。また会ったね」

にっこりと笑っている男には見覚えがある。
船の途中で彼女に興味を示し、声をかけてきた男だ。
新人を狩ることを目的としていた男ではなく、その後の彼だった。

「前に名乗り忘れていたね。僕はヒソカ」
「…コウよ」

本当ならば名乗りたくはない。
けれど、相手が名乗った以上こちらも名乗るのが礼儀と言うものだ。
尤も、ハンター試験と言う荒くれ者も集まる中で礼儀を通すべきなのかは難しいところだが。
彼女がそう名乗ると、彼はニィと口角を持ち上げた。
その笑みにゾクリと背筋が逆立つ。
今更に、湖の水の冷たさを肌で感じた。

「聞きたいことがあったんだ」
「聞きたい、こと?」
「君の背中の蜘蛛について」

ヒソカの言葉に、コウはより警戒を強めた。
今更背中を隠すことは無意味だ。
彼に見られてしまったのだろう。
背中に刻まれた、6匹の蜘蛛を。

「単刀直入に聞こう。君は、蜘蛛…幻影旅団だね?」

最早、言い逃れなど出来ない。
彼は、このタトゥーの意味を理解している。

「―――…ええ」
「なるほど。それなら、その強さも頷ける」
「……何が目的?」
「今、メンバーに欠員は出ているのかい?」

欠員が出ているのか。
それを問うと言う意味を、彼女とて理解していないわけではない。
若干驚きつつも、記憶を探る。

「…一人だけ」
「そこに、僕を推薦してくれないか?」
「断る」

コウの一番古い記憶から、何度かメンバーが増減した。
始めの彼らの誰かが欠けたわけではない。
増えたメンバーが減ったり増えたりを繰り返しているのだ。
その結果、今は4番だけが欠番となっている。
今のところ、目ぼしい候補は居ないと聞いた。
推薦することは出来るのだろう。
しかし、コウにはヒソカが信用できなかった。

「それなら、仕方がないね。君の『蜘蛛』を持って、団長のところに直接頼みにいくことにするよ」

その言葉に、コウは弾かれたように動き出す。
トンと後方へと飛び、そのまま彼に背を向けて走り出そうとした。
だが、彼女の身体は意思とは無関係な力によって、逆に彼の方へと引き寄せられる。
念か!そう思った時には、時すでに遅し。

「捕まえた」
「っく…!」
「動くと腕が折れるよ?」

ギリッと強い力で押し留められ、彼女の表情が痛みに歪む。
この男の言っていることは冗談ではないだろう。
締め付ける痛みは、これ以上抵抗すれば更なる痛みとなって返ってくる。
目の前のヒソカを警戒していたのに、あっさりと捕まってしまった。
そんな自分が情けなくて仕方ない。
何とか逃れるすべを模索する彼女の思考を読み取っているのだろう。
彼は酷く楽しげに笑みを浮かべ、そして空いている手の指先にトランプを挟んだ。
それを研ぎ澄まされたオーラが纏っているのが、彼女の目に見えている。
スッと首筋を撫でられれば、小さくも鋭い痛みがそこに走った。
トランプにより出来たであろう傷は、すぐに鮮血を溢れさせる。
白い首筋を伝った赤は、そこに残っていた湖の水により随分と薄まりつつ、彼女のシャツに到達する。
それを襟の辺りが緋色に染まるのが見えた。

「イイ目だ」

諦める事もなくヒソカを睨みつけてくるその目に、彼は劣情が掻き立てられるのを感じた。
我武者羅に壊してみたくなる。
彼の手の拘束が強まったのを感じ、コウは心中で舌を打った。
これ以上彼の興味を引きたくはない。
けれど…緋の眼を発現させなければ、彼から逃れることは出来ない。
板ばさみの状況に、彼女の脳内は忙しく働いた。

08.01.08