Ice doll   --- sc.027

「―――うん。試験の方は問題なさそうだよ。緊張するタイプでもないみたいだし」

壁に凭れつつ、シャルナークはケータイに向かってそう話しかけた。
もちろん、それを相手として顔を合わせて…と言うわけではなく、耳に添えて自分の声を送っているだけのこと。
電話としては、ごくごく普通の使い方だ。

『気付かれていないか?』
「今のところ、とりあえず。

変装って言うほどじゃないけど、多少変えてあるんだから、写真を持っていても気付かないよ」
そう言って、彼はソファーの所に座っているコウを見た。
暇を持て余しているのだろう。
フロアの壁一面に用意されていた本の一冊を読んでいるようだ。
尤も、ハンター試験を受けに来た面子と言えば、頭脳派よりも肉体派が多い。
故に、数百冊は本棚にてその出番を待ちわびている状況だ。
見渡した限りでは、それを活用しているのは彼女くらいである。

「団長の本好きが移ったかな」
『何か言ったか?』
「あぁ、別に。こっちの話だよ。兎に角…コウが例の生き残りだって事は、誰も…」

そこまで言ってから、彼はふと口を噤む。
本当に、誰も気付いていないか?
先ほど別の人物に電話をしに行って、帰って来たときの彼女の様子。
何かを隠しているようにも思えた。
何でもないと言う彼女に免じてそれ以上追求はしなかったけれど…何かを隠している事は間違いない。
自分が離れていた間に、彼女に何かあったことだけは確かだろう。
ずっと沈黙したままの彼を不審に思ったのか、電話口から『シャルナーク?』と彼を呼ぶ声がする。

「一次試験、死人が出たよ」
『ハンター試験だ。珍しくはないだろう』
「鋭利な刃物で頚動脈をざっくり。合格者の中に返り血を浴びてる奴は居なかったから…相当慣れてるね」
『…ハンターを目指すような輩だ。頭のおかしい奴が居ても珍しくない』

ハンター試験と言う場に於いて、それはごく自然の事。
珍しくない、と言う言葉を繰り返す背景にはそれが隠されている。

『コウやお前よりも強いか?』
「…どうだろうね。団長と同じくらいかも」

本心半分、偽り半分。
五分五分の予想は、クロロにとっても予想通りだったのかもしれない。

「何か、コウはそいつと接触してそうな気がするんだ。これも、予想だけど」
『コウに気をつけておいてくれ』
「了解。俺も気になってるしね。折角の優秀な弟子を失いたくはないし」

他のメンバーにも殺されそうだよね、と笑う。
もしコウに何かあったら、一緒に居たシャルナークが問い詰められる事は必至。
良くて詰問、悪くて拷問だろう。
共に居た期間は短くとも、彼女は蜘蛛にとって大事な娘だ。
あの白い肌に蜘蛛が刻まれたあの瞬間から、彼女は大切な仲間だった。

「―――ん。コウにも伝えておくよ。…いや、そんな唇が寒くなるようなセリフは御免だね。うん。じゃ」

プツッと電話が切れる。
ケータイを見下ろしたシャルナークは、軽く肩を竦めてからそれをポケットにしまった。
顔を上げてコウの居るソファーを見る。
彼女は先ほどと変わらぬ姿勢で読書を楽しんでいるようだ。
違っているのは、その本の残りページだろう。
数百ページの本の残りが、もう1センチにも満たない量になっている。
速読にも限度があるだろう…そんな風に苦笑を浮かべつつ、彼は歩き出した。

「何を読んでるの?」
「念能力の歴史と文化への利用を促す進化論」
「………念能力の本なんてこんな所に置いてるものなんだね」

とりあえず、どこに突っ込めばいいのか分からない。
あえてずれた所に対して感想を述べるシャルナークに、コウは漸く顔を上げた。

「裏試験のヒントとして置いてあるんじゃない?」

誰も活用してないけど、と呟く。
それからごく自然に周囲を見回すも、本を手に取ろうという人間は居ない。
折角のヒントもこれでは意味がない。
コウやシャルナークはちゃんと念能力をマスターしているのだから。

「もうすぐ予定時間だね。読み終わらなかったらどうするの?」
「別にいいの。これ、あんまり楽しくないわ」

暇つぶしに手にとってみたのだが、どうも外れだったようだ。
クロロの本棚に入っている本の中で外れのものに出会った事はない。
だから、すっかり忘れていたのだ。
世の中には面白くない本も存在するのだと言う事を。

「団長は集め方が上手いわ。読んでいてわくわくする本ばっかりだもの」
「あの分厚くて1ページが2段に分かれてるような本をわくわくするって表現できるコウが凄いと思うよ」

加えるなら、1時間程度で読んでしまうその速度にも感服だ。
やろうと思って真似できることではないだけに、余計に凄いと思う。
役に立つのかどうかは、その時になってみなければ分からないけれど。
パタン、と読んでいた本を閉じ、それを片手に立ち上がるコウ。

「片付けてくるわ」

そう言って本を肩に添えながら本棚へと歩く。
彼女の背中を見ていた視線を窓の方へと向ければ、すでに島が海の上に見えていた。
位置的にあの島が目的地だったらしい。
無人島ではないらしく、木々の合間に建物の屋根が見える。
建物の数から見て、そう人口の多い島ではなさそうだ。
あんな島でどんな試験が行なわれるのか―――シャルナークは二次試験を思い、僅かに口角を持ち上げる。

「今度は面白い試験だといいけどね」

一次試験は楽しめたと言うよりは、面倒だったと言う想いが先に立つ。
天井と頭が仲良くなる寸前で抜け出せた者からすれば、軽く殺意を覚えるところだろう。

「何を笑ってるの?」

いつの間に戻ってきたのか、コウがすぐ傍らで首を傾げていた。
そんな彼女に何でもないよ、と答えてから、シャルナークは彼女に手を差し出す。

「折角だから甲板に出てみない?船、初めてなんでしょ?」
「…気付いてたんだ」
「うん。酔いそうだって事は気付いてたよ」

やや顔色が悪い事に気付いていたらしい。
そんな中で本を読むなと言いたいところだか、そうする事で意識をそちらに集中させていたのだろう。
本を手放して戻ってきた彼女は、先程よりも顔色が白い気がする。
そうは言っても心なしかと言う程度なので、付き合いが長くなければ気付けなかっただろうけれど。

「この辺の海は波が穏やかだから、まだマシな方だよ」
「…もっと酷い所もあるんだ」
「そりゃね。嵐の海なんかだと、慣れてなければ一発でダウン。
まぁ、コウの場合は今回が初めてだから仕方ないんだろうけどね」

慣れれば「嵐でも何でも来い」そうなるタイプだろう。
一歩甲板へと足を踏み出せば、潮風が二人を包み込む。
詳細は省くが自身の念能力の一旦で、どこにでもあるような黒へと変化しているコウの長い髪が揺れた。
風を頬に感じるのが心地よいのか、コウは猫のように目を細める。

間もなく2次試験会場上陸。

07.12.30