Ice doll   --- sc.025

コウの視界に、すでに他の受験者の姿はない。
見えないほどに、一人遠くまで移動したという事だ。
どれほどの広さがあるのかはわからないが、それももう終わり。
彼女の正面には、両開きの扉が見えていた。

「…残り2時間と10分か…」

天井の数字は、どの位置かでもちゃんとその数字を読み取る事ができる。
コウはそう呟いてから、目の前の扉のドアに手をかけた。












「受験番号222番、第一試験合格!所要時間51分30秒!」

ドアを開いた先に居たのは、ピンクのツインテールが印象的な女性だった。
高らかに合格を宣言する彼女の声には聞き覚えがある。
そう、あのマイクから聞こえてきた声だ。

「わー…この試験を1時間以内で突破する人間が居るとは思わなかったわ」

感心、感心。
嬉しそうに微笑む彼女は、歳はまだ10代のように見える。
少なくとも、容姿的にはコウよりも年下だった。
あくまで見た目での判断になるために、それが必ずしも正しいものであるかどうかはわからない。

「この時間でクリア出来たって事は、ちゃんと天井の地図を見てたのね?」
「え、あ…はい」
「それにしても…あなた達の位置は、出口から一番遠かったんだけど…よく覚えられたわね」

そう、コウの中でずっと引っかかっていたのは、それだったのだ。
あの天井の模様は、透明の壁による迷路の地図だった。
制限時間が始まった時…いや、カウントダウンが始まった時には、すでに消えていた、最大のヒント。
もちろん、縮小してあるとしても、かなりの広さの地図だ。
コウでなければそれを完璧に覚える事などできないだろう。

「あなたの知り合いも、そろそろ出てくる頃かしら」

そう言って彼女は、ドームの壁に掛けられている大きな電光掲示板のようなものを見上げた。
覚えのある地図と、その通路に点々と存在する番号。
その脇に、小型のモニターが5つついていて、3秒ごとに違う画像を送り込んでいた。
なるほど、彼女はこれで受験者を監視しているのか。
223の番号を探せば、10ある出口の一つに限りなく近づいていた。
もう数分もすれば抜けられるだろう。

「あ、また潰れた。まったく…あの程度のトラップが避けられないなんて、ハンターを甘く見すぎてんじゃないの?」

ぶつぶつと文句を言う試験官。
コウは彼女の様子を眺めた。
強そうには見えない。
いや、弱くはないだろう。
恐らく、この場に集っていた受験者よりも遥かに強い。
けれど、クロロよりは遥かに弱い。
故に…コウにとっても、彼女はあまり強そうには感じなかった。
試験官はライセンス所有者が行なうらしいと言う情報を見たことがある。
ライセンス所有者と言っても、そのレベルはそれこそピンからキリまで様々。
少なくとも、コウはライセンス取得には十分なレベルにある、と言う事になる。
尤も、彼女がその実力の殆どを隠しているならば、分からないけれど。

「受験番号223番!第一試験合格!所要時間、1時間32分5秒!」

彼女の宣言の声が聞こえ、コウは顔を上げた。
こちらに向かって歩いてくる姿は、見紛う事無くシャルナークその人だ。

「シャル!」
「あ、コウ。第一試験合格おめでとう。コウなら余裕の試験だと思ったよ」
「気付いた?」
「コウが見当たらなくなった辺りでね。途中、覚え切れてない箇所が難しかったけど…」

まぁ、無事に出られたよ。
1時間半ともなれば、天井がかなり降りてきていたはずだ。
まるで何もなかったように笑うシャルナークに、コウは苦笑した。
相変わらず、どんな時でも冷静な人だ。
かく言うコウもまた、気付かないうちに、自分も彼らの仲間入りをしているのだろう。

「二人揃って合格おめでとー。二次試験開始まで適当に遊んでてよ」

そう言うと、彼女はさっさとモニターの方を向いてしまう。
そんな彼女を指差し、シャルナークが声を潜めた。

「彼女、試験官?」
「そうみたい」
「…ふぅん…。まぁ、ハンターってのは、結構試験内容の運もかかってくるしね」

弱くても、その時の試験が易しい物であれば合格できる時もある。
その辺りの話をしているのだろう。

「…実力を隠してる可能性は?」
「うーん…ない、とは言い切れないけど、団員ほどじゃないよ」

自分の目は正しかったようだ。
シャルナークの言葉に、コウは「そっか」と僅かに安堵する。
不意に、彼の表情が険しくなる。
その変化にコウが首を傾げた。

「………シャル?」
「コウ。今回の受験、気をつけなよ」

彼の視線の先には、大きなモニターがある。
数秒おきに切り替わる映像の中に、彼は何を見たのだろうか。
数百人を映すのに、5つのモニターでは数が少なすぎる。
彼が見たのと同じ映像を見るには、暫く待たなければならないだろう。

「どう言う事?」
「受験者が死んでる」

その言葉に、コウはシャルナークの方を向こうとした。
しかし、視界の端に映った映像に、瞬時に視線を戻す。
1秒ほどだったけれど、彼女には十分な時間だ。

「見えた?」

彼にそう問われ、彼女は小さく一度だけ頷く。
映ったのは、鋭利な刃物のようなもので、首の頚動脈を切られた死体だった。
恐らく、抵抗の暇すらなかったであろう、綺麗過ぎる傷口。
シャルナークの言わんとすることが、理解できた。

「誰がやったのかはしらないけど、殺すのに躊躇いがない」
「…!また!」

コウが指差した映像には、同じような骸が映っていた。
同じく、一撃で殺されている。

「コウ、場所からどいつか特定できる?」
「待って…」

一瞬見えた映像の人物配置の中から、殺された受験生を探し出す。
コウの記憶力でなければ、出来ないことだ。
暫くモニターの数字を睨みつけるようにして沈黙していた彼女。

「53番と、187番」
「…動いてないし、間違いなさそうだね」

モニターの中で動こうとしない数字を見つめ、シャルナークが頷いた。
数百人の受験生のうち、数十の数字がすでに動かない。
試験官が言っていたトラップによって命を落としている者が殆どなのだろう。
そんな中、不自然に増えていく死体。
致命傷の一撃以外はこれと言った傷もなく、抵抗の暇すら与えられずに地に伏す。
数字を追っていくけれど、その犯人には行き当たらなかった。
次々と映し出される映像の中でも、決定的瞬間だけは映っていない。
まるで、こちらが見ていることを知っていて、あえてその瞬間を隠すかのようだ。

「―――っ」

ゾクリと、背筋が逆立った。
今、一瞬だけモニターに映り込んだ男がいた。
弓なりにした目を細め、まるでレンズ越しに見ている自分達に気付いているように笑ったのだ。

「コウ?」

彼女の表情が固まった事に気付いたシャルナークがそう呼んだ。
しかし、コウはそれに答えられない。
ただ、睨みつけるようにしてその男を映していないモニターを見つめた。

「…あの人…危険…」

あれはただの人殺しの目じゃない。
あれは…己の欲を解放するように、それを目的に人を殺める目だ。

―――恐い。

クロロの時ですら持ち合わせなかった恐怖がコウの中に刻まれた。

07.12.18