Ice doll   --- sc.022

クロロからハンター試験を受ける事の許可を貰って1ヶ月。
待ち合わせた場所に着いたコウは、用意していた暇つぶしの本を開く。
いつも読むような分厚い本ではなく、精々1センチ程度の薄いものだ。
持ち運びの際に邪魔にならないようにと考慮した結果である。

「あれ、コウ?」

活字に視線を落とし始めて15分。
そんな声が聞こえ、彼女は顔を上げる。
そこに居たのは喫茶店で待ち合わせ、と昨晩メールをくれたシャルナークだ。
彼はコウと視線が絡むと、急ぎ足で彼女のテーブルへと歩いてくる。

「遅れてごめん。まさか、もう着てるとは思わなかったよ」
「少し早く着いてしまったから。ここで時間を潰そうと思っていたのよ」
「あぁ、ビックリした。待ち合わせはまだ1時間も先だったよね」

俺が間違えたのかと思ったよ。
そう言ってから、彼はもう一度ごめん、と頭を下げる。
それから、近づいてきたウエイトレスにコーヒーを注文した。

「何で謝るの?」
「女性を待たせる男なんて、碌でもないよ」
「…私が早く着いただけよ?」
「それでも」

そう言ってから、彼はコウに向けてにこりと微笑んだ。
その柔らかい表情を見てしまった女性客の数人が頬を染めたのが視界に映る。

「久しぶりだね、コウ」
「ええ。2ヶ月ぶり?」
「惜しい。2ヶ月半だよ」

それを久しぶりと言うのかはわからない。
要は、本人の感じ方次第だ。

「ハンター試験の話が聞きたいって言ってくるとは思わなくて、驚いたよ。
でももっと驚いたのは…団長が許可したってことかな」

先ほどのウエイトレスとは違う女性が湯気立つコーヒーを運んでくる。
そちらに視線を向けることもなく、シャルナークはその意識の全てをコウに向けていた。
もちろん、どこからか襲撃されたとしても、彼は即座に対応出来るけれど。

「毎年それなりに死者が出てる試験だからね。許可するとは思わなかった」
「…そんなに酷いの?」
「うん。でもまぁ…コウは、すでに許可してもいいって思える実力だってことだよ」

自信を持っていいよ、と彼は微笑んだ。
その笑顔に吊られるようにして、コウも表情を崩す。

「申し込みの方は、頼まれてたように俺が済ませておいたよ。後は試験会場まで行けば受験できる」
「ありがとう」
「試験開始は1ヶ月後だからね。それまでどうする?」

シロップなどをコーヒーの中に流し込み、ティースプーンでクルリと掻き混ぜる。
そうしながら、シャルナークはコウの意見を待った。
彼女は少し悩むようにして、それから申し訳なさそうに眉尻を下げる。

「もし、迷惑じゃなかったら…でいいんだけど」
「何?コウの頼みなら、聞いてあげるよ」
「…操作系の能力を使いこなすコツ…みたいなのを、伝授してもらえたら嬉しい」

クロロにはああ言った手前、シャルナークにそれを頼むのは非常に恐縮だった。
だが、どうにも上手くいかないのだ。
テキストなどあるわけもないのだから、使いこなすしかない。
それなりに努力はしてきたが、亀の歩みの成長も、ここ三日ほどは完全に止まってしまっている。

「何だ、そんなことか。いいよ。俺でいいなら、いくらでも」

ここ1ヶ月は暇だし、気にすることないよ。
そう言って彼は二つ返事でそれを了承してくれた。
断られる事はないだろうと思っていたけれど、実際に引き受けてもらえたことに安堵するコウ。

「なら、1ヶ月は修行だね。ついでだから、ハンター試験も一緒に行こうよ」
「ええ。よろしく」
「所で、団長から条件をいくつか出してあるって聞いたんだけど…そこのところ、詳しく教えてくれる?」

カラン、とコウの前に置かれたグラスの中で氷が踊る。
頭の中でもう一度反芻したクロロとの約束を教えるべく、彼女は唇を開いた。

「アイス・ドールだとばれないこと。危険だと感じたら、迷わず試験を放り出すこと」

それから、と彼女は僅かに視線をずらした。
店内と言う事を考慮したのだろうか。
少しだけ声を小さくして、彼女は続ける。

「殺しを…躊躇わないこと…」

あぁ、とシャルナークは思う。
だから声を潜めたのか。
彼は、敵を前にした時の躊躇いの一瞬が死に直結する事を知っている。
だからこそ、クロロの言い分は尤もだとわかるのだ。
それは彼女とて同じ事だろう。
聡い彼女の事だ、ちゃんと、クロロの言い分を理解している。
けれど、理性と本能とはまた別物だ。
彼女は、奪う事に慣れていない。
彼女自身が、全てを奪われた人間だから。

「それが出来ないなら…やめた方がいいよ」

かちゃん、とコーヒーカップをテーブルに戻す。
恐らく、彼女はシャルナークがそう言う事も、分かっていた筈だ。

「命の保障はない。ハンター協会はそれを掲げている。
つまり、それを目的として参加してくる奴が居てもおかしくないってことだよ」

事実、ハンター試験を利用した無差別的殺人劇が行なわれた年もあった。
血の気の多い連中が集る場所だからこそ、醜くて危険な場所なのだ。

「試験中は誰一人信じちゃいけないよ。人間ってのは、笑って人を騙すものだからね」

親切心を前面に押し出してきて、信じさせた所で後ろからグサリ。
実際に、そんな事が起こりうる場所だ。
黙って瞼を伏せているコウに、シャルナークは言いすぎただろうかと思う。
けれど、多少は大げさに言っているけれど、全て起こりうることなのだ。
覚悟もなしに参加させるのは危険。
たとえ、クロロが認める実力を持っているとしても。

「…でも、私には必要なの」

いくらかの時間を置いて、コウはポツリとそう言った。
すでに店内の客も入れ替わっているのか、見覚えのないサラリーマンが小さく新聞を広げている。
二人のテーブル付近に客はなく、声を潜めずとも聞かれる事はないだろう。
しかし、コウの声はそれほどに大きいものではなかった。

「ハンターライセンスが、必要」
「…うん」
「殺すことは…人を殺せるかは、わからない。でも…私は受けるわ」

顔を上げて、しっかりとシャルナークを見つめ返してそう告げた。
その眼差しに浮かぶ決意に、彼は口角を持ち上げる。

「うん。わかった。それだけ決めてるなら、何も言わないよ」
「シャル…」
「大丈夫。コウみたいに実力さえあれば、殺さなくても乗り切れるよ」

相手の動きを封じるのは、何も殺すだけが全てではない。
大丈夫と言ったシャルナークに、コウは漸く肩の力を抜いた。

「団長から頼まれてるからね。出来る限り俺と行動してもらうけど…そこは、納得してよ」
「うん。ごめんね、迷惑をかけて…」
「コウ一人連れて歩くくらい、迷惑でも何でもないよ。その代わり、受かるように助けたりはしないからね」

試験自体は自分で頑張るように、念を押す意図からではなく、どこか雑談のように彼はそう言った。
先ほどまでのシリアスな空気が消え、その場を包む柔らかいそれ。
もちろん、と微笑みを返した。

07.11.30