Ice doll --- sc.020
珍しい人物がきた。
朝、起きた時にはすでにクロロの姿はなく、代わりにフェイタンがいた。
基本的に人と深くかかわらない彼は、滅多な事がない限りアジトには近寄らない。
コウは、新たに入った自分が信用されていないのだと思っていた。
彼女は彼の態度を改善すべく動く―――などと言う事はなく、寧ろ時間が解決するだろうと放置している。
クロロは、出かけなければならない時には、メンバーの誰かをコウの傍に置くようにしている。
声がかかる人物は様々だが、今までフェイタンがここにきたことはなかった。
だからこそ、コウは驚いている。
リビングと思しき部屋のドアを開いたままの状態で静止してしまったとしても、仕方がないだろう。
「入るか、入らないか?」
「あ、入り…ます」
出来ればこのままくるりと回れ右をして部屋から立ち去りたい。
しかし、そうすれば彼から鋭い目を向けられることは必至だ。
コウにとって、それは出来れば避けたいことである。
入るのか入らないのかと問われた以上、入っていけないということはないのだろう。
そう納得して、コウは部屋の中に入った。
その足でいつもの朝のように、キッチンの成れの果てとなっている所へと歩いていく。
ここに住むようになってから持ち込んだものでコーヒーを入れる準備をしながら、はた、と気づく。
当たり前のように用意された二人分のカップ。
いつもクロロの分まで用意するその習慣が、そうさせたらしい。
しまおう、と思ったところで、彼女はふと考える。
「…コーヒー、飲む?」
キッチンから顔を覗かせてそう問いかける。
数秒して、何かの本を読んでいたらしいフェイタンが顔を上げた。
自分に向けた問いだと認識するまでに少し時間がかかったらしい。
彼は少し悩んだ後、ただ一度頷いた。
それを見届け、コウはキッチンへと戻る。
本の背表紙に『拷問器具全集』と書かれていたのは気のせいだと思い込むことにした。
例えば、相手がシャルナークなら、色々と教えてもらえばいい。
しかし、今ここに居るのはろくに話もしたことがないフェイタン。
どうしようか。
とりあえず、クロロに出されている課題である念の修行を行いつつ、この沈黙の打開策を考える。
これと言った案が思い浮かばないのは、念の修行中だからだろうか。
色々と悩み、脳内は「とりあえず何か会話を」と言う結論を導き出した。
「……今日はどうしたの?」
なんてことだ。
とても直球な質問になってしまった。
遠まわしに…と思ったわけではないけれど、もう少し変化球でもよかっただろうと思う。
それなりに緊張しているらしい自分に気づき、彼女は心中で己の失態を苦笑した。
「コウに頼みがあるよ」
「………頼み?」
後悔するコウを他所に、不思議と会話は成立している。
ならばこのまま、と彼女自身も言葉を繋ぐ。
「団長から色々聞いた。裏通りの商品を落とせるらしいね」
「あー…うん。たぶん」
ここで大丈夫!と拳を握れるほど、コウは自分に自信があるわけではない。
なんとも頼りない返事になってしまったけれど、そこは見逃してほしいところだ。
「落としてほしい商品がいくつかあるよ」
今更だが、もしかするとチャンスなのでは、と自覚した。
パソコン画面の前で呼吸を正す。
別にそんなに緊張する必要はないのだ。
先日のように、自分の自然体で行えばいい。
わかっているのだが…変に身体に力が入ってしまっている。
とりあえず、深呼吸を一度行えばある程度は解れてくれた様だ。
「これで間違いない?」
表示されている商品名を指し、コウが問う。
横から覗き込んでいたフェイタンが頷くのを見て、彼女はそれを選択した。
商品落札を開始します、そう画面に表示されると、フェイタンは一歩下がって画面を覗き込むのをやめる。
コウの集中を邪魔してはいけない、という配慮だろうか。
頭の片隅でそんなことを考えつつ、彼女はそれをクリックした。
次から次へと表示される、同じような画像。
それらをひとつずつ確認しながら作業を進める。
時間にして、まだ1分程だ。
足早にアジトへと急ぐクロロの頭を占めているのは、残してきたコウのことだ。
別に、彼女の身が危険に晒されている事を案じているわけではない。
ここ数ヶ月、彼女はまるで水を吸うスポンジの如く、クロロのスキルを盗み取っていく。
視覚的に覚えた事を忘れない例の能力も関係し、彼女はメキメキと実力を伸ばしていった。
恐らく、彼女に一撃を食わせるだけでも相当の実力者でなければ不可能だ。
クロロの足を急がせる原因は、外の敵よりも内の敵のことである。
いや、相手は団員なのだから、敵と言う言葉は該当しないだろう。
しかし…ある意味では、そう称するに値する人物でもある。
新入りのコウにとっては。
ぽっかりと口を開いたままの玄関を通り抜け、瓦礫の落ちる廊下を歩く。
「(コウの実力も伴ってきたし…そろそろ、アジトを移すか…)」
念能力の習得に集中できるようにと、あえてアジトを移動していなかった。
今しがた上から崩れ落ちてきた天井の一部をひょいと避けながら、クロロはそんな事を考える。
そうして、唯一明かりが零れている部屋へと入った。
視界に飛び込む光景が自分の望まないそれではない事を祈りつつ。
「―――…何をしているんだ?」
クロロの声は、真剣にそれを問うていた。
彼の帰還に気付いたらしいコウが、パッとこちらを向く。
そしてお帰りなさい、と小さく微笑んだ。
彼女の手には、その白くて綺麗な手には似合わないような不気味なものが握られている。
「落とした商品を開梱中」
小首を傾げる様は中々だが、手に握っているそれがいただけない。
微妙な表情のまま、クロロは彼女のすぐ脇に腰を下ろしていたフェイタンを見た。
「思たより遅かたね」
「あぁ、賞金稼ぎに出会ってな」
「コウ、それいくら?」
一度は視線をクロロへと向けるも、フェイタンの興味は他にあるらしい。
さっさとコウの方を向き、彼女が持っているそれを指差す。
少し悩んでから、彼女は「20000ジェニー」と答えた。
「なら、倍額の40000ジェニーで買うよ」
「別に落札価格のままでいいけど…」
「そう言う訳にいかないね。これ、世界中に3つしかない貴重品よ」
「…どうやって使うのかがさっぱりなんだけど」
そう答え、ひょいとひっくり返して裏面を見てみる。
やはり、使い方がよくわからない。
うーん…と首を捻る彼女に、フェイタンは目を弓なりに細める。
「その摘みの部分で2つに割れるよ。火で熱してから使うとより効果的ね」
「………………………」
何となく、使い方が分かったのだろう。
眉を顰めつつどこか嫌そうに彼の方へとそれを放り投げる。
難なく受け止めたフェイタンは嬉しそうだ。
「…随分と打ち解けたようらしいな」
「団長。コウの能力、凄いよ。使いこなせるように鍛えるべきね」
「………そう、だな」
説明はないが、大方フェイタンが欲しがっていた品をコウが落としたのだろう。
破格の値段でそれが手に入った事によりご満悦の彼と、元々嫌っていたわけではない彼女。
打ち解けるのに、これ以上の機会はない。
フェイタンの拷問好きがコウに向けられていないかと不安だったクロロは、その光景に肩を落とした。
ほっとしたやら、予想以上にあっさりと打ち解けてしまった事に拍子抜けするやら。
とにかく…結果的には、良かったのだろう。
嬉々とした様子で拷問具の説明をしてやるフェイタンと、表情を引きつらせつつ大人しく聞いているコウ。
そんな光景を眺めながら、クロロは小さく笑った。
07.11.22