Ice doll   --- sc.018

あの一件以来、コウがアジトから出る事は無くなった。
誰かが強制したわけではなく、彼女自身が出ようとしないのだ。
理由は、考えるまでもない。
彼女は出かけるのに使おうとしていた時間の全てを、念の訓練に費やすようになった。
自分は弱い―――彼女自身にそう実感させるには、十分すぎる一日だったのだ。
団員は徐々に自分の拠点へと帰るようになった。
しかし、アジトにはいつでも2人以上の団員が居る。
示し合わせたわけではないのだが、ごく自然にそうなっていたのだ。

ある者はコウと当たり前の会話を交わし、またある者は彼女の修行に付き合う。
それぞれが、自分の得意とするところを彼女と共有し、時間を過ごした。
彼女がゾルディックに攫われる前には、まだ少し残っていた壁。
それは、あの一件以来、完全に取り払われていた。

「ありがとう」

アジトに戻った彼女は、そう言って微笑んだ。
あぁ、これが彼女が持つ、一番自然な表情なのか。
そう思わせるには十分な、柔らかい空気と共に、その笑顔はあった。
最後の一枚残っていた壁が、綺麗さっぱりと取り払われた瞬間でもあった。
















とある昼下がり。
数日前にシャルナークから譲り受けたパソコンの前でカチャカチャとそれを弄っていたコウ。
次々に情報が表示されるディスプレイを見つめていた彼女は、随分と慣れたようだ。
暫くの間黙って画面に集中していた彼女は、突然大きく目を見開いた。

「…シ…シャルシャルシャル!!」

次の仕事の打ち合わせを行なっていたシャルナークは、その切羽詰った声に目を瞬かせる。
もちろん、反応したのは彼の向かいに居たクロロも同じだ。
お互いに顔を見合わせる暇も惜しむかのように、半ば蹴飛ばすようにして椅子から立ち上がる。
そして、コウが居るであろう部屋に駆け込んだ。

「どうした?」

急いできた事など微塵も感じさせない声でそう尋ねる。
しかし、コウはクロロの問いには答えずに、ただディスプレイを見つめている。
穴が開くほどにじっと見つめるその様子に、シャルナークとクロロは初めて顔を見合わせた。

「何があったの?」

そう言いながら、シャルナークがコウの後ろへと回る。
彼女は静かに画面を指差した。

「何か、落としちゃった…みたい?」

彼女が指した箇所を見れば、確かにでかでかと「落札」と表示されている。
一体何を落としたんだ、と思いつつ、その周囲を読んだ。
読み終えるや否や、シャルナークは珍しくも目を見開いたまま口をぽかんと開く。

「……え…。まさか、これ落とせたの?」
「うん。進めるままにやってたら―――落とせた」

頷きながらそう答えたコウに、彼は表情をそのままに絶句する。
一体何が彼をそうさせているのか。
パソコンを置いた机を挟んで反対側に居たクロロは、心中で首を傾げた。
とりあえず、コウに何か害のある出来事があったわけではないらしい。

「…団長」
「どうした?」
「ベンズナイフの処女作が手に入ったみたいだよ」

そう言った彼自身も、まだ信じきれないと言った表情だ。
シャルナークの言葉にクロロが目を見開いて二人の背後へと回りこむ。
ディスプレイに表示されているのは、確かにベンズナイフの処女作だ。
本物かどうかはわからない。

「本物だよ。ここのサイト、裏では有名な闇取引サイトなんだ。通称『裏通り』。知ってる奴なら、それで通じる」
「どう言う所だ?」
「管理者も規模も不明。だけど、世界中からモノが集ってくる。ただ…落札条件が難しいんだ」
「落札と言う事は、オークションのような形で売買されるのか?」

クロロの質問に彼が頷く。
一応は知っているはずのコウも、そこまで深くは知らなかったのだろう。
シャルナークの言葉を邪魔する事無く、寧ろ隅から隅までしっかりと聞き取っている。

「あくまで落札っていう言葉を使うだけで、売値は決まってるよ」
「…その条件と言うのは?」
「200ページ表示されてくる画面の中から、本物を探すんだ。チャンスは1回きり。1枚にかけられる時間は3秒」
「本物を知らなければ無理だろう」
「あぁ、本物は開始前に見れるよ。同じく3秒だけだけど」

そう言うと、彼はコウの後ろからマウスを手に取った。
そして、彼女の方を向いて口を開く。

「このナイフ、いくらで落ちた?で、いつ届く?」
「い、10000ジェニー…。いつ届くかはわからない」
「わぉ、目が飛び出そうな程に破格の値段だね。流石、『裏通り』だ」

漸く頭が正常に回るようになって来たのだろう。
彼は慣れた手つきでそれを操作しながら、どこからとも無く取り出したマイクをパソコンに接続する。
そして、コウの口元へと角度を調節した。

「自分の名前」
「え、あ…コウ」
「………よし。認証完了。後は年齢を打ち込んで」

そう言われて、コウはアイコンの動く位置に数字を入力する。
それを見届けると、さっさと作業を済ませてしまうシャルナーク。
あれよあれよと言う間に、画面は動いていく。

――コウ様。 【落札物:ベンズナイフ初期作品(No.001)】3時間後にお届けいたします。

そんな画面が表示されたかと思えば、読み終えると同時にその画面は元のトップページへと戻ってしまう。

「これで完了。3時間後に届くよ」
「…あれだけで?」
「そう。音声で名前を言って、年齢を送れば絶対に届く。到着時間までに死ななければね」

さて、と彼は殊更に明るい声を発した。
そして、再びコウの背中からパソコンを操作する。

「これ、欲しかったんだよね。どうやって落としたか気になるし…落としてみてよ」
「でも…シャル?」
「いいから。落とせなくても文句言わないよ。持ち主から盗ればいいだけだし」

ほら、と急かされ、コウは躊躇いながらも画面に向き直る。
3、2、とカウントされていく数字にあわせて呼吸を整えた。
そして、1の数字が消えると同時に映し出された宝石をじっと注視する。
シャルナークとクロロは、彼女の様子と画面を黙って見つめていた。
きっかり3秒後に、「暫くお待ちください」と表示された画面。
それから程なくして、その文字が「開始します」との表示に切り替わる。
再び3、2、と数字がカウントされ、それが0になると同時に画面に先程の宝石が映し出された。
その下には、「落札」と「次へ」と言う二つのボタン。
マウスを持つコウの手は、1秒を待たずに「次へ」と言うボタンをクリックする。
即座に表示された2枚目を見て、クロロは驚いた。

「(全く同じじゃないか…)」

些細な違いはあるのだろう。
しかし、パッと見た感じでは全く同じだ。
まさか―――と彼がそう思ったところで、コウは再び次の画像へとページを送る。
次に表示された画像も、そう大きな違いは見られない。

「殆ど同じ画像なんだよ。そんな200枚の中から、本物を見つけ出す。しかも確認できるのは3秒だけ」

難しいでしょ、とシャルナークが笑う。
コウの邪魔をしないようにと、極力小さくした声だ。
男二人の視線を気にした様子も無く、コウは次々にページを送っていく。
凄く集中しているらしく、彼女の周囲の空気はどこか張り詰めている。

「―――53枚目か…」

今回はどこまでいくのかな、と呟いた。
その時、コウが初めて違うボタンを選ぶ。
迷った素振りも無く、また3秒と言う時間をギリギリまで使う事もない。
表示されるなりそちらへと動かし、クリック。
次いで表示された画面には、また「暫くお待ちください」と言う一文。
その瞬き3回後、画面に「落札」と言う表示が浮かび上がる。

「…偶然、じゃないみたいだね」

どうやら、彼女は類稀なる能力の持ち主らしい。

07.11.15