Ice doll   --- sc.017

門と呼ばれるからには、開く筈。
そう思ってグッと力を入れてみるも、両開きと思われるそれは全く動かない。
外開きではなく内開きだった、と言う可能性があったとしてもここまでピクリとも動かないという事は無いだろう。
前方のイルミを警戒しつつ、背中でドアを開けようとしているため、全力と言うわけには行かない。
それでも、それなりに力をこめている筈なのに開かないという事は―――

「(ゾルディックが門に鍵をかけるなんて思えない。それなら…)」

浮かび上がる答えは、一つだ。
門には、重量と言う名の鍵がかけられている。
そしてそれは、一般人には想像もつかないような重さなのだろう。
そんなことを考えていたコウの思考は、右肩スレスレを飛んだ針数本によって遮られた。






顔面ストレートのコースで繰り出された拳を逃れるように、しゃがみ込む。
かなりの速度だった拳が、直前にそれが緩んだ理由は、己の容姿的価値からだろう。
屈んでいるのをいい事に、コウはオーラを足へと集中させる。
そして、一気に地面を蹴った。
飛び上がる彼女とは反対に、蹴った地面は大きく窪む。
重力を感じさせない速度で飛び上がったコウは、そのまま分厚い門の上へと着地した。
眼前に広がる景色を邪魔するものは何もなく、どこまでも続きそうな森が延々と広がっている。
その向こうに、己が拘束されていたであろう屋敷が見えた。
予想していたよりも、遥かに遠い。
特にこれと言った感情も浮かばせず、コウはイルミを見下ろす。
即座に追って来るかと思われた彼は、その場からコウを見上げていた。
このままコウが逃げたとしても、門を開いて追い、捕まえる事ができるという自信からだろう。
彼は慌てた様子も無く、黒曜石を嵌めこんだような無機質な目がコウに向けられる。
両者の間に沈黙と言う名の風が吹いた。














不意に、コウの髪を遊ばせるような強めの風が吹く。
ザァ、と耳元で音を立てた風にあわせて、隣に現れた気配。
覚えのあるそれに、コウは安堵の息を零した。
イルミの位置からも、その人物の姿はしっかりと捉えられているだろう。

「団長…」

コウの小さな呟きが聞こえたのだろう。
クロロは僅かに微笑みを落とし、それからイルミを見下ろした。

「コウは蜘蛛の仲間だ。返してもらう」

男性らしい低い声だが、思ったよりも良く通る。
風に誤魔化される事もなく発せられたそれに、イルミはこれと言った反応は見せなかった。
しかし、クロロはそれを気にすることも無く、隣に居るコウへと意識を移す。

「先に向こう側に降りていろ。あいつらが待ってる」
「あ…うん」

短くそう答えると、コウは分厚い門の上を歩く。
そうして反対側まで到着すると、上から地面を見下ろした。
そこに居たのは、もちろん団員達だ。
コウが顔を出した事に気付いた数名が、彼女を招くように手を動かす。
それに誘われるようにして、彼女はトンと飛び降りた。
この高さから飛び降りたとは思えないほどに軽やかな着地を見せたコウ。
反動で折っていた身体を起こし、彼女は彼らを見た。
かと思えば、ぎゅっと抱きしめられてしまう。
ふわりと鼻に届いた香水の匂いに、それがパクノダのものである事を何となく悟った。

「よかった…!心配したのよ」

一番に反応したのが彼女で、それを皮切りに皆が安堵の表情を浮かべる。
彼女が記憶を読むのだという事は知っていた。
恐らく、自分に対する感情の始まりは同情に似たものだったのだろう。
しかし、それを差し引いてもパクノダはコウを大事にしていた。
まるで妹のように扱われていくうちに、コウ自身も頭のどこかで彼女を姉のように思っていたのかもしれない。
腕が緩み、彼女の顔が見えるようになると、コウはただ安心させるように首を振った。

「ゾルディックに捕まてよく五体満足だたね」
「そりゃそうだろ。アイス・ドールは存在そのモノが希少価値なんだからな。傷つければ価値が下が―――」
「ノブナガ!」

ゴン、と鈍い音が響く。
カラカラと笑いながら言葉を紡いでいたノブナガが、マチの拳により後頭部を殴られた音だ。
コウ本人を前に何を言うんだ、と言いたいのだろう。

「いってぇな!事実を述べただけだろ!…まぁ、無事でよかったな」

そう言って頬を掻いてから、彼はコウの頭を撫でた。

「ノブナガはデリカシーに欠けるからなぁ!」
「ウボォーに言われちゃおしまいだな」

ウボォーギン、フランクリンと順に声を発し、それぞれがコウの両肩を叩く。
もちろん、前者は割れ物に触るように優しく、だ。
彼がそれなりの力を込めれば、彼女の肩を砕いてしまいかねない。
そんな彼らに何かを言おうとしたコウの前に、フィンクスが移動してくる。

「…悪かったな。一緒だったのに、その…」

彼らしくない歯切れの悪い言葉だ。
コウは何も言わずに首を振った。
そんな彼女に、彼もまたそれ以上は何も言わない。
ただ、ノブナガと同じように彼女の頭を撫でた。

「皆が荒れて大変だったよ。無事に帰ってくれて、良かった」

帰って、と表現するには、まだ場所が完全ではないだろう。
しかし、彼らの元に帰ったと表現するならば、何もおかしくは無いのかもしれない。
マチの言葉にコウは頷いた。

「よく頑張ったね、コウ。怖かっただろ?」

シャルナークの言葉が、コウの限界だった。
糸が切れたように脱力したコウに、皆が慌てたようにその名を呼ぶ。
へたり、とその場に座り込んだ彼女。

「…こ、腰が抜けた」

安心して、緊張の糸が完全に切れてしまったのだろう。
恥ずかしそうにそう告げる彼女の言葉に一呼吸置いて、笑い声が溢れた。

「やっぱりゾルディックはまだちょっと早かったね」

よしよし、とまるで子供を扱うみたいに頭を撫でられる。
そんな彼を少しだけ睨みつけたコウは、背中側に降りてきた人の気配を察知する。
振り向く前に、脇に差し込まれた手によってひょいと抱き上げられた。

「大丈夫か?」
「団長…。うん。大丈夫。緊張の糸が切れただけ」

向かい合うように身体を反転させられれば、見えたのは黒い双眸。
イルミのものとは違い、彼の眼差しにはちゃんと感情が読み取れる。
それにどこか安堵の表情を浮かべ、コウは頷いた。
しかし、クロロはコウの顔を見るなり僅かに眉を顰める。

「シャル」

名前を呼ばれた彼は心得たり、とコウを受け取る。
彼に彼女を渡したクロロは、何も言わず聳え立つ門の方へと歩いた。
皆の視線を背中に集めながら、彼はそれに手が届く位置で立ち止まる。
一瞬の間を置いて、ドゴォン、と激しい音がそこに響き渡った。





幻影旅団は自分の手には負えない。
守衛小屋に引きこもっていた守衛は、とんでもなく大きな音に思わず小屋から飛び出した。
彼の目に飛び込んできたのは、無人の門前。
先程までそこに居た筈の人物は、見る影も無くそこから消えうせていた。
そして、残された門の方へと視線を向けた彼は、唖然と口を開く。

「も、門が…」

最早ヒビ、などと言う代物ではない。
亀裂だらけの門は、完全に修復しなければ開く事はないだろう。
幾重にも強化されたそれが、たった一度のあの音の原因によってボロボロになっている。
信じられない光景だった。















「マチ、この傷は残るか?」

ゾロゾロと集団で移動する最後尾で、クロロは少し前を歩いていたマチにそう問いかける。
彼女はすぐにクロロの元まで下がり、この傷、と示したそれを負っているコウを見た。
大丈夫だと言ったのだが、彼女はクロロの腕によって抱えられている。

「ちょっと見せて。うーん…残らないと思うよ。気になるなら縫っておくけど?」

コウの頬に残った一筋の傷跡。
すでに血は止まっているし、見た限り傷口は綺麗だ。

「残らないなら必要ない」

頭を振るクロロに、マチは「そう?」と引いていく。
彼女自身も、あまり縫いたいとは思っていなかったのだろう。
そんな彼らの遣り取りを間近で見ていたコウは、ふと思い出したようにクロロを見た。

「…団長。門を壊したのは、追手を防ぐため?」

先程から気になっていたのだろう。
コウが躊躇いながらそう問いかける。
そんな彼女に、クロロは緩く首を振った。

「追手なんかはどうでもいい。自分のものを傷つけられるのは嫌いなんだ」

あれは自分を傷つけた礼の一撃だったようだ。
それを知ったコウは、数秒瞬きを繰り返し、それから嬉しそうに笑った。

07.11.10